○落語は庶民の生活そのもの
「酒を呑む方から言わせますと酒は百薬の長、呑まぬ方から言わせますと酒は命を削るカンナてなことを申しまして・・・」お馴染み桂春団治師匠の『寄合酒』のまくらです。落語にはどういう訳か、お酒がよく登場します。落語のストーリーは、昔の庶民の生活そのものです。それだけ、日本人の生活にお酒はなくてはならないものであったということでしょうか。
その『寄合酒』ではお酒を呑むためにみんながいろいろな知恵を出し合って、それぞれが酒の肴を持ち寄ります。また、『貧乏花見』ではお酒の代わりにお茶をお酒に見立てて花見に出かける始末です。
『子ほめ』はお酒をおごってもらうために一生懸命に人の子供を褒めちぎります。『酒のかす』はお酒を呑めない男が酒のかすを食べて酒を呑んだと自慢しようとする噺。『禁酒関所』は禁酒令のしかれた城下の関所を酒屋が知恵を絞ってなんとか突破しようとしますし、『二番煎じ』では酒が御法度の番小屋で煎じ薬と偽って酒を呑もうとしますが、役人に見破られてしまいます。
『首提灯』の前半は安く酒と肴をいただこうという噺ですが、その部分だけを『上燗屋』と題して演じられることもあります。『近眼の煮売り屋』では、旨そうな肴で酒を呑んでいる姿を見て、自分もタダで同じ肴を手に入れようとした男が失敗する噺です。
これらの噺だけでも、落語の登場人物がお酒を呑むために涙ぐましい努力をしているのがわかると思います。
○演じる落語家は・・・
演じる落語家も、お酒ではかなり苦労をしているようです。お酒といえば、やはり今は亡き6代目笑福亭松鶴師匠でしょう。聞くところによると、松鶴師匠は8歳で居酒屋の暖簾をくぐったそうで、それ以来、お酒を愛し、お酒にまつわる落語を好んでやっておられました。呑みっぷりはとにかく豪快だったようです。ある夜かなり酩酊していた師匠は気に入らないことがあり、お弟子さんをボコボコに殴りました。翌朝、師匠はその弟子本人に「なんか知らんけど、朝起きたら手がものごっつい痛いねん」と不思議そうに言ったそうです。
その松鶴の名跡を襲名することになった笑福亭松葉さん(注:松葉さんはこの記事の発行の月に死去、没後に7代目松鶴の名跡を追贈されました)もこんな話があります。実は松葉さん、落語家になる前は、某有名ビール工場に勤めていたのですが、できたての商品をついフラフラと盗み呑みしてしまい、それがばれて3か月で退社したという本当かウソかわからないエピソードですが。
同じく松鶴師匠のお弟子さんの笑福亭松枝さんは、奥さんが妊娠した時、男の松枝さんもつわりがひどかったのですが、日頃の行状から陰では「あいつ、二日酔いを隠すカモフラージュや」てなことを言われていたそうです。
またこの人も故人ですが、先代の林家小染さんも酒癖の悪さでは有名でした。無類の相撲好きの小染さんは、当時、青葉山という力士と懇意にしており、よく二人で呑み明かしたそうですが、いつも介抱するのは関取の方で、朝に小染さんが目を覚ますと、小染さんが脱ぎ散らかした着物がきちんとたたんであったそうです。
○落後者にならぬように
笑福亭松之助師匠などは、酔っぱらって高座に上がり、噺の途中で眠ってしまうという、信じられないドジを踏んでいます。
桂春団治師匠もかなりの酒豪でしたが、胃潰瘍を患ってからは、酒よりも甘い物に手を出すようになり、お弟子さんも師匠の所へはもっぱら甘い物を持って行くようになりました。おかげで周りの人は「今度は糖尿病が心配やな」と話しているそうです。
酔っぱらいを実にうまく演じる落語家も、実生活で落語の登場人物に負けないくらい酒の上のドジを踏んでいるようです。噺家は、やはりそういう失敗を芸の肥やしにしているのでしょう。とは言うものの、落語での酒の失敗は笑って済ますことができますが、実生活における酒の失敗は、人生の落後者にもなりかねないので、呑みすぎにはくれぐれも御注意を。 【つづく】
【1996年9月 文化情報誌「シイーム」第50号(成岡流お酒の楽しみ方 48)に掲載 】
○お噺ならではの銘酒
お酒というものは人とお付き合いをするうえで、なくてはならないものというように昔から言われています。特に日本酒は、相手とさしつさされつ呑みますので、コミュニケーションにはもってこいではないでしょうか。杯を交わすことにより、見ず知らずの人同士が、一夜にして旧知の友のように仲良くなれるのも酒の効用です。
『青菜』では「柳かげ」というお酒が登場します。噺の中では貴重で高価なお酒というようになっていますが、実際に呑んでみると、お酒というより味りんという感じで少し呑みづらいものでした。『ちりとてちん』は知ったかぶりの男の鼻をあかすために、腐った豆腐を長崎名産と偽ってその男に食べさせる噺ですが、その中に「京都伏見屋の白菊」というお酒が登場します。「しらぎく」という銘柄は全国にいくつか(
○酒呑みも十人十色
落語の中には、酒を呑みすぎて人に絡んで迷惑をかける噺も見受けられます。『住吉駕籠』では駕籠かきが酔っ払いに絡まれて往生しますし、『かぜうどん』では通りがかりの酔っぱらいが、『親子酒』では酔っぱらいの息子が、それぞれうどん屋に絡んで困らせます。『百人坊主』では伊勢詣りの途中に酒が原因でけんかになってしまいます。
酒を呑みすぎて本人が失敗する噺もあります。『がまの油』では酒を呑みすぎたガマの油売りが自分でつけた傷の血が止まらなくなって右往左往しますし、『市助酒』では市助が酔っ払って火の用心の夜回りに出て失敗します。『舟弁慶』では女房に隠れて舟遊びをしていた男がはめをはずし過ぎて女房に見つかり夫婦喧嘩になってしまいます。
お酒を呑み出すと止まらなくなる人も結構おりまして、『一人酒盛り』や『猫の災難』ではお酒を独り占めにしてしまい、それを他人や猫の責任にしてしまいます。『らくだ』では気の弱い紙屑屋が酒を呑んで豹変し、強面の熊五郎と立場が逆転してしまいます。『試し酒』では、五合の酒を呑めるか賭をした男が、本当に呑めるかどうか、その五合を呑む直前に、試しに別に五合の酒を飲み干してしまうという酒豪の噺です。
また、ほのぼのとした酒呑みの噺もあります。『替り目』では、酔っ払った男がひとり言で女房に自分の日頃のわがままを詫び、感謝している姿を女房に見られてしまって照れるという本当に情のある噺になっています。『宿替え』の中にはお酒は全く出てきませんが、引っ越しに自分の父親を連れてくるのを忘れた男が、隣人に「わが親を忘れる人がおますかいな」と言われ、「親なんて何でもおまへん。私なんか、酒を呑んだら我を忘れてしまいます」というのが噺のサゲになっています。
このように、落語の中にはお酒が重要な小道具として活躍しています。落語において酒を呑む仕草、そして酒を呑んで酔っ払っていく様はかなりの演技力が要求されます。それをどのようにうまく演ずるかに落語家諸氏は苦労されているようです。
○酒は呑んでも呑まれるな!?
落語における数々の酒の失敗談というのは、私たちに対する呑みすぎへの警告であるような気がします。適量のお酒を楽しく呑むのが一番です。そうすれば、「酒は百薬の長」に間違いありません。
なにはともあれ、おもろい落語に旨い酒があれば、人生は「五合徳利」にはならないでしょう。え、何のことやて? 「五合徳利」に一升酒は詰まりません。ですから、「五合徳利」とは「つまらん一生」ということです。
それでは皆さんの「二升五合(ますます繁盛)」をお祈り申し上げます。それでは、お後がよろしいようで・・・。
【1996年10月 文化情報誌「シイーム」第51号(成岡流お酒の楽しみ方
49)に掲載 】
噺の会じゅげむの活動について、高槻の情報誌「高槻倶楽部」から取材を受け、2000年5月号に掲載されました。その内容については、「高槻倶楽部」のHPにアップされています。
三波春夫さんじゃないけれど、わが『噺の会じゅげむ』は応援してくださるお客さんの温もりで成長してきました。私も噺のマクラで時々言いますが、最初は本当に2〜3人のお客さんの前で演っていたグリーンプラザたかつき1号館の『駅前寄席』も次第にお客さんの数も増え、今では常に百数十人の方にご来場いただき、大きな4階の多目的ホールが毎回満員になるくらい盛況になりました。そのうえ、グリーンプラザのお隣の高槻市立総合市民交流センターでも奇数月(『駅前寄席』は偶数月)に『高槻市民寄席』を開催させていただいております(注1)。毎回、大勢のお客さんの前で落語が出来ることは本当に幸せなことです。
私たち『噺の会じゅげむ』のメンバーは、自分たちが落語を楽しむと同時に、そのお客さんに楽しんでいただくこと、楽しんでいただいたお客さんが常連さんになっていただくことに一人一人が腐心して参りました。その結果が今の盛況ぶりに結びついているのだと信じています。素人の落語サークルといえども、ひとりよがりな自己満足だけでは、これだけ会を続けてくることはできなかったでしょう。その点、各人にも悩みや苦労があるに違いありません。かくいう私もずいぶんと悩みました。会の存続に関わることも何度かありました。
平成4年にスタートした『駅前寄席』ですが、平成7年に主催者が来場者名簿を持ったまま失踪する事件が起こり、同時に私も事故で瀕死の重傷を負うというアクシデントにみまわれ、私の回復後、新生『駅前寄席』として一から再スタートということになりましたが、名簿が無く案内状が送れないので、当然、お客さんの数は減りました。窮余の策で、会場周辺の家庭にビラ配りをすることにして、2〜3日がかりで数百枚のビラを配りましたが、ほとんど効果はなく、お客さんは激減。『駅前寄席』も風前の灯火かと暗い気持ちでビラ配りを3ヶ月続けた後の『駅前寄席』の日、開場してもなかなかお客さんが来ないなあと落ち込んでいると、一人のおばあさんが私の配ったクシャクシャになったチラシを手に持って来てくれました。ほんとにその時は、涙が出るほど嬉しかったです。これまでの苦労が、無駄でなかったという実感を得た瞬間でもありました。
その後、口コミや地元のミニコミ誌の応援を得て、徐々にお客さんの数も増加してきた訳なんですが、その陰では、やはり私を支えてくれたスタッフの存在も大きいものがあります。会が成長するにつれ、メンバーも一人また一人と増えてきて、それそれのメンバーがスタッフとして頑張ってくれています。また、各人が自分に出来ることを考えて行動していただいているので大変心強いことでもあります。それに加えて、『駅前寄席』の会場を提供してくださるグリーンプラザたかつき1号館の入店者会及び高槻都市開発(株)の皆様、『高槻市民寄席』を共催してくださる(財)
いろいろと苦労はありますが、たくさんのお客さんに来ていただき、そして、お客さんの笑顔、「楽しかった」という一声、励ましのお言葉、時には差し入れ(?)なんかが無性に嬉しく、これまでの苦労やなんかを全て忘れされてくれますね。やはり、「お客様は神様です!」
●「噺の会じゅげむの歩み」をご参照ください。
(注1)「駅前寄席」の会場は、平成17年12月4日から高槻西武百貨店6階多目的ホールに移転し、
「高槻市民寄席」の会場は、平成15年6月1日から生涯学習センターに移管されました。
(注2)現在、「駅前寄席」は西武高槻百貨店、「高槻市民寄席」は高槻市立生涯学習センターにお世話に
なっています。楽屋兼事務局の「吟醸酒蔵みゅ〜じあむ」は、平成18年1月15日に閉館しました。
アマチュアと呼ばれる人は、通常は芸以外に自分の仕事等を持っている。仕事を持ちながらでも芸で収入を得るというのは、立派なプロである。アマは芸以前にまず自分の仕事の事を考える。つまり、仕事あっての趣味の世界なのである。当然、趣味のために仕事を犠牲にすることは許されないし、社会においてもそれだけの責任を持たされている。その点、肉体的にも精神的にもかなり制限がある。趣味とは、そういったストレスを解消することのできる存在でありたい。しかし、余暇の全てを趣味にあててしまうというのはそれ自体がストレスになってしまうような気がする。
プロもアマもお客さんを楽しませなければならない。ところが、プロはどのような芸であれ、状況であれ、お客さんを楽しませるという義務を負う。アマはまず自分が楽しむ権利を持つ。これは大きな違いである。でも、やることは同じなのである。プロは当然ながら芸を日々研鑽しなければならない。アマも人前で演じる以上、芸を磨くのは当たり前である。かと言って、アマにプロの修行や仕きたりを強要するのは馬鹿げたことではないだろうか。
落語に関して、アマの高座に完璧という言葉は必要ないと思う。これは甘えだと言われればそのとおりだが、逆に言えば、それが素人落語の良さであるし、また、何が起こるかわからないという楽しみもある。この甘えはプロには許されるはずもない。素人寄席に来るお客さんは、あくまでも素人は素人としての高座を楽しんでおられる。言いかえれば、素人寄席のお客さんは、落語を純粋に鑑賞するという立場ではなく、演者とともに落語を楽しみ、素人の噺家さんを育て上げるんだといった気持ちが強いような気がする。落語という芸を極めたいという方は、おそらく少々高い入場料を払ってでもプロの寄席に行かれるであろう。
「アマはプロにあらず」と声高に言ってみたところで、「芸に携わる限りは、プロもアマも変わるところはない。従って、アマもプロ並みの実力を身につけるべく、日夜、芸の道にいそしまねばならない」と言われれば、当然のことである。いや、至極当然のように聞こえる。確かにこのセリフは、水戸黄門の『葵の御紋』の印籠と同じである。この言葉を浴びせられると平伏せざるを得ず、相手に返す言葉もなかなか見つからない。ここで議論は終わってしまう。というより、これに反論することは許されないのかも知れない。
アマでプロ並みの芸を追求するのも、それはそれで素晴らしい事だと思うし、そういう人には是非とも上をめざしていただきたい。しかし、自分の芸にいくら自信を持っていたとしても、安易にプロの芸の批判はしてほしくはない。同じ落語に携わる者として、アマにプロの芸を批判する資格はないと思う。プロの芸がいくら見劣っていたとしても、プロはプロ。所詮、アマはアマなのである。単にプロの芸を楽しむお客さんとしての立場なら好き嫌いもあるだろうし、どんなことを言おうと構わない。それでもアマチュアの落語家として、あえてプロの芸を批判し、アマにもプロを越える芸を求めるのであれば、掟破りかも知れないが、こちらも蔵の奥にしまってある『錦の御旗』を出さざるを得ない。
「芸の道を極めようと思うのであれば、あなたがプロになればいい!」
高槻と落語
元々、高槻市では落語会のようなものはあまり活発ではなかったようだ。私の記憶では、年に1〜2回のプロの会があったくらいである。最近は、若手の勉強会や小さな寄席がよく開催されるようになっている。そういう地域の落語の振興については、当会『噺の会じゅげむ』も少なからず貢献していると思っている。毎月の寄席の開催で、延べ入場者数はもうすぐ1万人に達する勢いだ。
高槻で落語が活発でない理由として、まず第一に高槻市の位置的なものが考えられる。大阪と京都のちょうど中間に位置しており、昔は人口も少なかったので、人を集めねばならない興行ものはあまり盛んにならなかったようである。これは近年において人口が増加しても同様で、位置的に中途半端な感は否めない。
第二に住民の気質に起因しているということである。高槻市の市章(
第三に地元出身の噺家が少ないことである。これは二番目の理由とも関連づけ出来るかも知れないが、やはり、高槻出身の噺家が多ければ、それなりに地元でも活動していたものと思われる。というか、高槻出身の噺家がおられても、入門後はほとんどが仕事に便利な大阪市内か師匠の家の近辺に移転してしまうということで高槻と疎遠になってしまっている。
以上の理由から、高槻市では落語とかの芸能はあまり根付かなかったようである。他に理由があるのかも知れないが、私はそのように推理している。古典落語にもほとんど高槻の地名は登場していないのがその裏付けになるかも知れない。強いてあげるとすれば、「宿屋仇」と「青菜」くらいである。それも、「宿屋仇」では、劇中の噂話として「高槻藩の小柳彦九郎」という人物にまつわる話が語られるのであり、実際に落語の舞台が高槻である訳ではない。「青菜」に至っては、ギャグとして「教育」という言葉を「京行く」と洒落て一言「うちの嫁はんは京どころか高槻へも行ってまへん」というセリフのみで、これも、演者や会場の場所によって他の地名にころころ変わるので、高槻の地名が出るとは限らないのである。それだけ、落語と高槻は縁遠い間柄だったようである。
男装の麗人といえば「宝塚歌劇」、女形といえば「歌舞伎」が代表的存在だ。私個人としては「宝塚歌劇」の男装の麗人には少々違和感を感じる。男の立場から見ているということもあろうが、かなり無理をしているように思えてならない。だからと言って否定するつもりはない。「歌舞伎」には女形が堂々と存在しているのだから。あくまで、私個人の趣味嗜好の域である。
それでは、「歌舞伎」の女形は全面的に肯定するのかと言われれば、こちらも違和感がないこともない。しかし、こちらは時代の要請があったとは言え、長い伝統により作り上げられた芸であり、肯定するだけの理由があると思う。江戸時代の芝居において女性が舞台に出られなくなった必要上、仕方なく男性が女装して演じていたのであるが、それは、女装としての不自然さを取り除き、女性美を追求していった結果として、現在の女形としての芸が完成したものと言えるだろう。「歌舞伎」の女形が芝居の中で女性らしさを提供してくれる(女性になりきる?)のに対して、「宝塚歌劇」の男装は男性を演じていても、あくまで女性の本質的な面は隠しきれていない。あえて、そういう演出をしているのかも知れないのだが、男装をし、男性の言葉を使っていても、やはり女性なのだ。
これは「落語」についても言える。噺家に女性が非常に少ないという事実も上記の論法があてはまっているように思う。「落語」も「歌舞伎」の影響を大きく受けており、従って、仕草も「歌舞伎」の演技方法を取り入れていると言ってもよい。「落語」も「歌舞伎」と同様に男の世界であり、「落語」に登場する女性を演じるのに、当然、「歌舞伎」の女形の仕草なんかがそのまま流用されている。ということは、「落語」も「歌舞伎」と同様に、男性が女性を演じる芸しか確立されていないのである。だから、女性が逆に男性を演じると何となく違和感を感じるのであり、お客さんの想像力に依存する「落語」、特に「古典落語」の世界では難しいことであると言わざるを得ないのかも知れない。女性の演じる「古典落語」はどうしても「宝塚歌劇」的になってしまう。それでも、最近は各分野での女性の進出もめざましいものがあり、女性の落語家も「創作落語」等いろいろと工夫をして、その違和感を払拭しようと努力されているようだ。
余談だが、私が一時期、毎日が夜勤で早朝に帰宅していたことがあり、午前5時40分ごろ、環状線のとある駅で乗車してくる高校生風の女性が2名いた。早朝でもあるし、彼女らは見るからに他の女子高生とは雰囲気が違っていたのである。一人はボーイッシュな感じで髪はショートカット、もう一人はお嬢様風で髪の毛は少し長いが後ろでくくってカッチリと固めてある。二人とも背が高く、実に姿勢がいいのだ。まるで「ヅカガール!?」と一瞬思った。翌朝も同じ電車の同じ車両に乗り合わせた。ふと、彼女らの胸のバッジを見ると、「TMS」と書かれている。つまり、「宝塚音楽学校」の生徒だったのだ。『凛(りん)とした』という言葉は、こういう彼女らのことを指して言う言葉なのだなぁと思わず納得した。
株式会社「三島コーポレーション」の情報誌「AM(アム)」の取材を受け、2004年7月号に掲載されました。
落語とパソコン…? あまり関連がないようだが、今の世の中はそう言う訳にもいかない。今や、プロの落語家がホームページを開設するのは当たり前になっているし、宣伝・広報には欠かせないメディアとなっているようだ。アマチュアによる落語のホームページも少なくない。
まことにインターネットの威力(効力)はすごいものがある。かく言う素人落語のサークルである当会もホームページのおかげで、日本全国のみならず、世界的にも活動範囲が広がっている。これは大げさでも何でもない。実際、ドイツ在住の日本人音楽家の方と知り合いになって、来日された際、うちの会の寄席にもわざわざ来ていただいたし、日本の文化を英語で紹介するサイトの落語部門の映像も当会の寄席の模様が流れた(注:現在は配信終了)。国内においてもNHKを始め新聞社やマスコミ・ミニコミ関係の取材も当ホームページが契機になっている。その他、日本中から落語に関する質問なども多く寄せられるようになったし、相互リンク等により全国の落語愛好家の方との輪も広がり、出前寄席の依頼もほとんどがインターネット経由で入ってくる。そして、当会の現メンバーの半数はインターネットで集まったようなものである。
そういうことからも、一般の落語ファンがインターネットで落語関係のサイトを結構見ておられることがよく判るし、落語のファンならずとも家庭で落語に関する疑問(例えば、「寿限無」の名前の全文)などがあれば、気軽にインターネットで検索できる。落語を動画で配信するサイトなどもあり、家に居ながらにして落語が楽しめるようにもなった。また、ネット上には落語の速記なども多数あり、噺のネタを仕入れる時には私もちょくちょく利用させてもらっていたりする。インターネットでは寄席や落語に関する情報を収集するには事欠かない。ということは、古典芸能的な落語と言えども、それを利用しない手はない。地道に落語会を開催し続けることは大事なことであるし、口コミの力も重要である。しかし、インターネットのスピード性と広域性は無視できない。パソコンを効果的に活用することができれば落語にとっても絶大な力となり得る。とにかく、今やそういう時代なのである。
落語と講談のルーツは同じだと言われる。同じ舞台で口演されているし、落語に近い講談があり、講談に近い落語があったりと、境界線は非常に曖昧である。現況は落語家の方が大いに優勢であり、数の上では講談師を圧倒している。人の話によると、講談の方が発生は早かったらしく、講談師の人数も落語家よりはるかに多かったそうだ。ということは、講談から落語が派生したと言えるかもしれない。
落語と講談の大きな差異は、落語が主観的な話芸なのに対し、講談は客観的な話芸であるといったところであろうか。落語はそれぞれの登場人物になりきって会話を進行するが、講談はどちらかというと第三者が傍観している感がある。つまり、言いかえれば、落語は「舞台装置のない究極の一人芝居」で、講談は「カメラ中継のない究極のニュース解説」と言えるかもしれない。実際、講釈ネタというのは歴史上の事件や事実に基づくものが多いことからもそのように思料される。
講談に登場する人物のセリフはかなり芝居がかったものになっている。地の口調も調子に乗せて軽快に語らねばならない。そういった点からも、講談の方が落語より難しいといったイメージが強い。史実に基づいているので、臨場感は味わえるかも知れないが、その分、笑いは少ない。また、講談の独特の言い回しとかがあって演者には規制が多そうである。その反面、落語もきちんとしたルールはあるが、主観的な会話が主なので、少々言い回しがおかしくても噺は違和感なく成立させることができる。悪く言えば、いい加減にでも出来るのが落語なのである。講談はそうは行かないだろう。
講談の魅力は、リズムとテンポと言葉使いの妙である。もちろん、歴史好きにはストーリー自体も魅了される要因だろう。ところが、落語の中に登場する講談師(講釈師)はあまり良い扱いは受けていないようだ。「くしゃみ講釈」の後藤一山は、公演中にトンガラシの粉を焚かれるし、「不動坊」の不動坊火焔は巡業中に病死するし、その身代わり(幽霊役)の軽田胴斎は寒い中、襦袢一枚で天井から吊される有様である。この扱いは、昨今の講談師と落語家の勢力分布がそのまま反映されているかのようだ。
最近は、新進気鋭の講談師が笑いも十分に交えた創作の講談を語ったりして、ますます落語との差がなくなってきているように思える。マスコミの普及で、お客さんのニーズも時代物や世話物の解説より、笑いを求めているのかも知れない。