「駅前寄席・高槻市民寄席」

噺の会じゅげむ

 

高槻市の駅前グリーンプラザたかつき1号館4階多目的ホールと高槻市立総合市民交流センター5階視聴覚室を利用して毎月定例的に寄席を開催している噺の会じゅげむという団体があると聞きました。

以前は寄席と言えば庶民が足を運ぶ娯楽の一つでした。しかし最近はテレビの普及の影響もあり映画同様わざわざ足を運ばなくても見られる、聞ける状況になっています。時代が求めた結果なのかもしれませんがさみしい気持にさせられます。

そんな中、駅前寄席・高槻市民寄席を開催している噺の会じゅげむのメンバーは落語好きが高じて高座に上がり、たくさんの市民の前で演ずるようになった素人の集まりなのだそうです。

寄席好きの市民を楽しませてくれている噺の会じゅげむの代表である 司さんにいろいろ話しを聞きました。


駅前寄席・高槻市民寄席は最初からこの名前でされていたのですか。

最初はグリーンプラザ寄席と言って、グリーンプラザ1号館5階飲食店街の広場で開催していました。場所も狭く20人もお客さんが来たら一杯という状況のところからこの寄席は始まりました。

いつころから始まったのですか。

平成4年11月から始まりました。私がメンバーに入ったのは翌年の平成5年からで当初はスタッフでした。

グリーンプラザ1号館で始まったのにはきっかけがあるのですか。

グリーンプラザ1号館の飲食店街にある吟醸酒蔵みゅーじあむの成岡館長と落語好きのメンバーが意気投合して、このビルの活性化のためにしようということで始めたのがきっかけです。私は客として聞く側にいましたが、当時は観客席の準備や後片付けをするスタッフがいなかったものですから、裏方専門として参加しました。

最初は裏方のスタッフとして会に入ったのでしょうが、聞きに来るくらいですから落語は好きだったのでしょうね。

子供のころから落語は好きでした。しかし聞くのと演じるのは別です。人前で演じるなど考えたこともなく、学生時代も落研に入らずもっぱら聞く方専門でした。ところが必要にかられてというか人材不足もあり、演ずるようになってしまいました。裏方から見る落語というのは一種独特の雰囲気があります。高座の裏側から見ていますとお客さんの反応がよく分かります。それで一回お客さんの前でやってみたい気になりましたし、落語好きなら出来るのではないかと思い稽古をして高座に上がったのですが、惨澹たるものでした。頭が真っ白になりました。初めての時ですがお客さんは10人くらいしかいないのに、それでも駄目でした。頭が真っ白になるというのは言葉では聞きますが、身をもって始めてこの時に経験しました。一生懸命稽古をして覚えたはずなのに頭の中には何も無いんです。

どうやって思い出したのですか。

同じことを何度も繰り返して話しているうちにぱっと戻って来るというか思い出すということでしょうね。自分では相当長い時間と感じたのですが、後で仲間に聞くとそれ程長いブランクではなかったらしいですが。

落語を聞く側から演ずる方に変わったと言いましたが誰かに習ったのでしょうか。

それはありません。この駅前寄席や市民寄席で演じているのは古典落語なんですが、昔の名人と言われる方のテープがあります。それを何度も聞いて覚える。好きな話ですから聞いてるうちに自然に頭に入っていきます。さっきも言いましたが、私は子供の時から落語が好きで、毎日でも聞かないと眠れない、子守り歌みたいなものでした。かなりの部分が頭の中に残っていましたから、細かいところを稽古で補ったというところでしょうか。

こういった落語の会をされている方は学生時代に落研に入っていた人達というイメージがあります。その延長線上で社会人になっても続けていると思うのですが。

大阪にもたくさん素人の落語の会があります。確かに落研出身の方が多いのは間違いないと思います。しかし落研の悪い慣習というかプロのなぞりが多いんです。今でも先輩を師匠と呼んだり、後輩は上の言いなりになるなど厳しさをなぞる傾向にあり、体育会系みたいな感じです。私もメンバーもそうですが素人が楽しむための落語としてはあまり良いとは言えないと思います。従来のイメージを払拭するような独自の考えで出来る落語の会があってもいいなと感じて、上下など無くしてフランクに出来るということを目指してこの噺の会じゅげむが出来たということもあります。

噺の会じゅげむのメンバーは素人ですからお金をもらっているわけではなく、好きで落語をしている人ばかりでしょうが経費はかかるのではないですか。

そうです。メンバーが毎月会費を納めています。ただ有り難いことにグリーンプラザ1号館、交流センターとも会場費などの必要経費は入店者会と青少年センターから支援をいただいております。そういう意味では非常に恵まれているといえます。現在グリーンプラザ1号館の定例会は100人以上の方が来られますので、当初の目的であった活性化のために少しは役立っていると思います。

考えてみると市民のために演じているということではボランティアみたいなものですね。

そう言っていただくとうれしいですね。現在定例的に行っているのはグリーンプラザ1号館と交流センターですが、これ以外に聞きに来られる方からの依頼があり、老人会などに行って出前寄席として活動しています。グリーンプラザ1号館と交流センターが月交代で実施していますから年間で12回、それ以外の例えば敬老の日などは必ずといっていいほど依頼が入りますから、年間の総回数はかなりの数になります。

好きで始めたことですが、やはり聞かせたいという気持も強いものですか。

まず基本は自分が楽しむということですが、それが結果的にお客さんも喜んでくれる。これはプロもアマチュアも同じだと思います。

そうすると落語ですから自分で演じてお客さんの笑いの多い時が嬉しいということになりますね。

それが一番嬉しいし楽しいです。しかし現実には技術的なこともあって難しいところでもあります。

変な質問ですが自分で演じて笑うこともあるのですか。

亡くなりましたが桂枝雀師匠がそうだったらしいです。残念ながら私達ではそのレベルに達していません。とりあえず決まった話を最後まで通すということで精一杯です。今はビデオもあります。毎回撮って終わった後で見るのですが、出来の悪い時は本当に見たくもありませんしつらいです。拷問されているような心境です。逆に出来の良い時は自分で見ていても楽しいです。

定期的に行っていますので毎回同じ演目というわけにもいかないと思います。単純に考えて定例会だけでも12回あります。最低でも12の話は用意しておかなければなりませんね。

毎回同じものをするわけにはいきません。やはり変える必要があります。そうしないと聞きに来られるお客さんに、その話は先月聞いたということでは失礼にもなります。

メンバーの中で演目がダブるということもありますか。

古典落語と言っても数に限りがあります。実際には何百とあるわけですが素人がこなせるにはやはり限界があります。ですから自分の得意な演目の中に他のメンバーとダブるものがあってもやむを得ないところです。

3月の定例会を聞かせてもらいました。演目は古典落語ですが中に高槻市内の話など取り入れ工夫されていますね。

メンバーがそれぞれ工夫しています。基本から言えば古典落語を崩すということは良くないのかもしれません。しかし素人の武器として地元のことを入れるとお客さんの反応がいいわけです。せっかく高槻で開催しているわけですから入れた方が親しみやすいということもあり、なるべく入れるようにしています。プロではありませんから話の内容だけで笑わせるには限界があり、これも良いのではないかと考えています。

落語でお客さんを笑わせるのは難しいと思うのですが、特にここがということは何でしょうか。

人それぞれに難しいと感じる部分は違うと思いますが、私の場合は話を覚えるのが難しくなってきました。やはり年齢ということもあると思います。単純に覚えるという点では若い方が早いですし私もそうでした。セリフを覚えないことには高座に上がって話が出来ないし頭に入っていないと応用も利きません。そういう意味では覚えることが第一で表現や技術はその次になります。

覚えるためのコツはあるのでしょうか。

あったら聞きたいですね。話の荒筋は子供のころから聞いていますから分かりますが、セリフとなると覚えづらいです。聞いて理解するを繰り返す。要は稽古する以外にはないのではないでしょうか。

自分で実際に高座に上がっているわけですが、稽古の延長線と言う意味で勉強のためにプロの落語も聞きに行かれますか。

元々好きですからよく行きます。以前は聞くだけで楽しかったのですが、自分でするようになってからは、どういうふうに演じるのか細かいところが気になり、メモをとったりしていて、逆に勉強のためという意識が強いせいか楽しめなくなりました。同じように自分でするようになると意識が変わるせいか素直に笑えないということもあります。

駅前寄席を開催してきて定着したと思いますが現状ではどれくらいの市民の方々があつまるのですか。

グリーンプラザで100人前後、昨年の12月は121人と最高の入場者がありました。コンスタントに100人前後で推移していますのである程度浸透してきたと感じています。

定着するまでは結構大変だったでしょうね。

そうですね。私が最初にお客として聞きに来た時は始るまで、私一人ということもありました。当時は宣伝もしていなかったし、私もこれは何とかしなくてはならないと思い入会したというところもあります。プログラムを作成したり、お客さんの名簿を作って案内状を出したりと宣伝に努力してきて今になったということです。

落語を通じての楽しみは何でしょうか。

普段話せないことが高座に上がると人格が変わるというのか話せます。それも楽しいですし、その話でお客さんが反応されて受けることも喜びです。そして終わった後の開放感を味わいながらのお酒が美味しく飲めるのも楽しみです。緊張感と開放感を味わえる、しかも趣味を通じてそれが体験できるという意味では幸せだと思います。

メンバーが現在6名と聞いていますが増やす意向はあるのですか。

ホームページを開いていて、その中でメンバー募集をしています。また定例会のプログラムの片隅にも募集を入れています。メンバーはそれぞれ本業を持っていますので参加できないケースもあります。余裕を持つという意味でも増えて欲しいですね。

駅前寄席、高槻市民寄席の活動をしているわけですが、他にこういうことをしたいとか考えていることはありますか。

毎月の定例会、それ以外に依頼を受けての出前寄席と活発にさせてもらっていますのでこれ以上何かをするというのは難しいですね。現実には毎月の定例会に追われているというが実状です。ただ出来るなら落語以外の漫才とかマジックなど、寄席で出来る対象のものを入れたいですね。見ている側からしても落語だけよりも、間に毛色の違うものが入った方が気分が変わるし、後の落語が新鮮に感じますのでそういうメンバーも欲しいですね。

いろいろお聞きしましたが、最後にこの活動を通じての夢を教えてください。

この会は古典落語がベースですが新作落語も取り入れたい。人が作ったものをしたことはあります。私も桂三枝さんが作ったものを自分なりに変えてしたことはあります。古典落語に厭きが来ると新作落語は新鮮でおもしろいと思います。私も出来れば自分のオリジナルなものを一つ作るのが夢なんですが難しいでしょうね。

これからも寄席好きの市民を楽しませる活動に期待しております。本日は楽しい話を聞かせていただきありがとうございました。

☆ 取材当日、 さんは「私は普段無口なんです」と、開口一番話され失礼とは感じつつ思わず笑っ てしまいました。高座に上がりあれだけ話す人が無口とは、これも落語のシャレの一部かと思いましたが、「メンバーの方も無口 ですよ」とも話していました。普段の生活と趣味は違うということでしょうか。

趣味を通じて緊張感と開放感を味わえる幸せがあるとも話していましたがうらやましくもあります。 駅前寄席の定例会は64回を数えています。当初の苦労は大変だったと思いますが、今は市民の間に確実に定着したようです。現在のように世間であまり明るいニュー スが無い時代、笑いで憂さを晴らすのも精神的には非常に良いことだと思います。 今後も私達市民をおおいに笑わせる活動を続けて欲しいものです。

※ 噺の会じゅげむからのご案内 駅前寄席、高槻市民寄席では、出演者を募集しています。落語に限らず、漫才、漫談、マジック等々何でも結構です。我こそはと思われる方は会場のスタッフ、または吟醸酒蔵みゅーじあむ・青少年センターまでご連絡ください。

吟醸酒蔵みゅーじあむ: TEL 0726―85―8470
青少年センター: TEL 0726―85―3724