平成19年5月31日午後3時58分、
うちの会で活躍されていた仁六家拾八さんが
亡くなられた。享年59歳。
素人の落語家で「にろくや・じゅうはち」と読む。
一昨年に病気が発覚。
その後手術をして一旦は回復し、
昨年の9月に高座復帰されてからは
大ネタの「らくだ」や創作の「拾八闘病記」など
精力的に活動されていたが、
昨年末に病が再発して帰らぬ人となった。
平成18年12月10日の
第108回「駅前寄席」での「二番煎じ」が
最後の高座だった。
まことに残念としか言いようがない。
「噺の会じゅげむ」初期の頃からのメンバーで、
苦楽を共にしてきたこともあり、
私にとっても会にとっても大事な人だった。
ほんわかした独特の雰囲気で、
いい味を出す噺家さん。
見かけはのんびりと楽しんでいるように見えるが、
落語に対する姿勢は真剣そのもので、
稽古の熱心さでは当会随一であった。
お見舞いに行った時に、
「いろんな趣味をやったけど、
落語ができたのが人生で一番嬉しかった」
と仰っていた。
私もその言葉が身にしみて嬉しかったし、
一緒に落語をやってきてよかったと実感した。
ご家族の方のご厚意により、
息を引き取られる瞬間までの時間を
共に過ごさせていただき、
その数日間、拾八さんのご家族と接することができた。
私はたまたま職場も同じで、
共に落語の会でも活動してきたので、
拾八さんの人となりは知っているつもりだったが、
家庭でも素晴らしい父親だったことがよく分かった。
6月3日の告別式は、
定例会の第111回「駅前寄席」と同日同時刻なので、
メンバーでは私のみが代表で参列したが、
時刻まで寄席と一緒というのは何か因縁がありそうだ。
拾八さんがそうしたのかも知れない。
告別式ではご遺族のたってのご希望で
故人のお気に入りの出囃子「野崎」を流していただき、
ご出棺も「野崎」でお見送りできた。
池田の猪買いツアー (H13.2.4) → 落語国探訪
天国でも落語が出来るように、
棺の中には愛用の紋付き羽織、扇子、手拭い、
小拍子を入れていただく。
法名にも、落語の「落」、仁六家の「仁」が入っている。
本当にご遺族の愛情あふれる葬儀となった。
また、同日に開催している「駅前寄席」の会場でも
ご出棺の時刻に合わせて「野崎」を流した。
多分、その時間の拾八さんは、
寄席の高座に上がっていたに違いないと思う。
あまりにも早すぎる旅立ちだが、
拾八さんの落語への熱い想いを皆で引き継ぎ、
これからも力を合わせて頑張って行きたい。
第106回 駅前寄席 (18.10.15) → 拾八復活祭
今日、6月6日は、拾八さんの60歳の誕生日。
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