落語に関するご質問ならどんな素朴なことでも結構です。 噺の会じゅげむのメンバーが、ネットワークを駆使して、 責任を持ってお答えいたします。 それでも分からないときは、素直に謝ります。 |
Q&A 目次 |
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「じゅげむ」とは、何ですか? |
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「大阪の七不思議」を教えてください。 |
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「噺の会じゅげむ」の活動内容を教えてください。 |
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大阪に定席の寄席はあるの? |
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大阪式の三本締めを教えて。 |
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落語を作った人は、誰ですか。いつできたのですか。 |
Q 「じゅげむ」とはどういう意味ですか? 「じゅげむ」の全文を教えてください。 |
A ホームページを開設してから、上のような質問が全国から寄せられています。「じゅげむ(寿限無)」は、一般的には次のとおりです。 生まれた子供が幸福に長生きできるようにと、めでたい名前をつけてもらうという噺です。ところが、欲張って名前が長くなりすぎて大騒ぎになります。大阪と東京、そして演者によっても微妙に違うようです。 【じゅげむの名前の全文】 「寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末雲来末風来末、食う寝る所に住む所、ヤブラコウジのブラコウジ、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」 【読み方】 「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やぶらこうじのぶらこうじ、ぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがん、しゅーりんがんのぐーりんだい、ぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけ」 【解 説】 この名前は、めでたいものばかりを集めたものです。「寿限無」は、寿(ことぶき)限り無しという意味です。「五劫のすりきれ」は、天人が地上に降りてきて、その衣の袖で岩をなでて、その岩がすり切れるのが一劫です。それの5倍ですので、すごく長い年月のことです。「海砂利水魚」は、海の砂と水に棲む魚は、数が数えられないくらい多いということです。「水行末雲来末風来末」は、水の行く末、雲の来る所、風の来る所は、果てしなく遠いということ。「食う寝る所に住む所」は、衣食住は人間の生活に無くてはならないものです。「ヤブラコウジのブラコウジ」は、ヤブコウジという正月には無くてはならないめでたい木のこと。「パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナー」は、昔、中国にパイポパイポという国があって、シューリンガンという王様とグーリンダイというお妃がいて、その間に生まれたポンポコピーとポンポコナーという二人のお姫様が長生きをしたという言い伝えからきました。「長久命」は、長く久しい命ということです。 「長助」は、長く助かるという意味です。大体、落語の「じゅげむ」はこんなもんでしょう。東京でも大阪でも前座噺と言われ、なじみもあり、比較的やりやすい落語です。当会のネーミングに使ったのも、「じゅげむ」イコール「落語」という風にイメージが分かりやすいことと、前座噺ということで初心を忘れないようにしようという意図からです。 【司之助】 |
Q 落語の「鷺とり」に出てくる「大阪の七不思議」を教えてください。 |
A 確かに落語の「鷺とり」の中には地のセリフで「大阪の七不思議」という言葉が出てきます。「大阪の北西の玉江橋から大阪の南東にある天王寺が真南に見える」のが、その「七不思議」のひとつなのだそうですが、あとの六つがどこにも出てきませんでした。ところが、上方文化評論家の福井栄一先生が膨大な資料の中から「大阪の七不思議」を見つけだしていただき、わざわざお教えくださいました。以下がその内容です。 1 蚊入らずの森 当初は、「大阪の七不思議」というものは実際には存在しないもの(落語の中のうそ)でこの噺を創った噺家さんは、してやったりとあの世でほくそ笑んでいるのかも知れないなどと思っていましたが、やはり存在していたようです。福井栄一先生、大変ご面倒をお掛けしました。ほんとうに有り難うございます。 ちなみに「天王寺七不思議」は、いろいろな説がありますが、延宝3年の「芦分舟」によると 「五重塔の露盤は、黄金一千両で 鋳造されてあるので、永久に色を変えない」「聖徳太子は四天王寺建立のとき、天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)から竜に銀を運ばせて 敷いたので諸堂から雨垂れが落ちても地面がくぼまない」「樹木は金堂や五重塔より高くならない。それ以上に伸びたら枝は下を向く」「池のカエルは決して鳴かない。底に十丈の大蛇を祭り込めてあるから」「西門の石の鳥居は、極楽浄土の東門の中心に当たる」「南大門の仁王はインド渡来の力士が自分で造ったので威光を恐れてハトやスズメは門の上を飛ばない」「亀井の水は天竺無熱池の水を竜宮城を経て銀の樋で送られている」 の七つですが、実際に四天王寺さんで売っていたパンフレットによると、 「西門の石の鳥居は、極楽浄土の東門の中心である」「石の鳥居下のぽんぽん石に耳をあてるとあの世の先祖の声が聞こえる」「五重宝塔一層目の北西角には、正面に大黒天・左に毘沙門天・右に弁財天を彫った瓦があり、どの方角から見てもその顔が見える」「金堂西の井戸は竜の浮かび出る底なしの井戸である」「北引導鐘の音はあの世まで響く」「左甚五郎作・猫の門の「眠り猫」は元朝に三聲鳴く」「太子殿前の二股竹は根から二股になっており、いつまでも離れない縁結びの竹としておみくじがよく結びつけられる」 とのことで、こちらの方は落語「天王寺詣り」の中にも登場しているものもあります。ところが、最後の「太子殿前の二股竹」は今は存在しません。 以前、桂吉朝師匠がある寄席でちょっと言っておられた「南の『自由軒』というレストランは、椅子と椅子との間隔が狭いのでお客さんがいっぱい入ると体が不自由で仕方がない。それなのに『自由軒』という名前はおかしい」といったような勝手な「大阪の七不思議」を作るのも意外と楽しいかも知れませんね。おもしろい「大阪の七不思議」を新たに発見された方は是非ともお教えください。 【司之助】 |
No.3
Q 「噺の会じゅげむ」の活動内容を教えてください。 |
A 当会は落語を中心にその他お笑いなどの芸能が好きな方や自分でも演ってみたいという方のサークルです。現在、月に1回の公演を続けていますので、芸を持っているけど演る場所がないとか、これから覚えてやってみたいという方を募集しています。定期的に活動に参加できないという方は、入会しなくてもゲスト出演という形でも結構です。また、自分では演じる気はなくても、演芸に身近に接したい(スタッフとして参加)という方も歓迎です。 活動の詳細は、当HPの「活動報告」・「過去の活動報告」・「お知らせ」・「メンバー紹介」の各コーナーをご覧ください。 また、当会を紹介いただいた高槻の情報誌「高槻倶楽部」掲載のインタビュー記事が、「高槻倶楽部」HPでアップされています。 【司之助】 |
Q 大ちゃんの上方落語、素朴な疑問シリーズっ!(勝手に作んなっ!) その1 大阪には東京の定席のような感じでやってるところはあるのですか? 質問の意図:ふと大阪に行くことがあった場合・・・この超面倒くさがりな私に「ふと」なんてあるはずがないのですが・・・ちょっと寄って高座を拝見・・・ということが出来るかどうかの確認です。 【北九州市・大三治さん】 A 残念ながら大阪には東京の定席のような落語会はありません。漫才でしたらNGK(ナンバグランド花月)なんかでやってます。だいたい毎週どこかのホールや公民館やお寺で落語会がありますので、イベント情報誌やインターネットで調べて行くしかないようですね。ちなみに、当局の情報によると「噺の会じゅげむ」という会の落語会が毎月、高槻市で開催されていて、評判になっているらしいですよ。 |
【司之助】 |
Q NHKテレビ「ほんまもん」(だったかな)をたまたま見ていて・・・。三枝師匠が大阪式?の三本締めの音頭をとってらっしゃいました。そこで・・・大ちゃんの上方落語、素朴な疑問シリーズっ! 番外編その2 物覚えの悪い私に、その文句(台詞?)を教えて下さい。打ちまひょ・・とかいうやつね。それから(ポンポン)と何度手を叩けばいいかも教えて下さい。去年リリパットアーミーの福岡公演、楽日にこの大阪式の三本締めを「わかぎえふ」さんの音頭で行いましたが・・・如何せん物覚えが悪くて・・・ 【北九州市・大三治さん】 |
A 「打〜ちまひょ」(チョン・チョン) 「もひとつせ」(チョン・チョン) 「いおうて(祝うて)三度」(チョ・チョ〜ン・チョン) だったと思います。つまり手拍子は2・2・3回だと思います。最後のチョ・チョ〜ン・チョンのリズムが微妙に難しく、なかなかうまく合わないことが多いようです。間違ってたらどなたかフォローお願いします。(こういうことはくじらさん詳しいからなぁ…) 【哀楽】 哀楽さんのおっしゃるとおりでよろしいかと思います。これって、文枝師匠あたりが音頭をとると、決まるんですよね。 【くじら】 |
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Q 今,国語の勉強で落語について調べています。 本やインターネットで調べても分からないことがあったので,教えてもらえませんか。 @落語を作った人は、誰ですか。 Aいつできたのですか。 その2つを教えてください。 お願いします。 【福井県・I.Hさん(小5)】 |
A 国語の勉強で落語を調べるとは、すごくいい学校ですね。 >@落語を作った人は、誰ですか。 「落語の祖」といわれているのは、安楽庵策伝(あんらくあん・さくでん)という浄土宗のお坊さんです。世の中のおもしろい出来事をお話にして伝えたそうです。 >Aいつできたのですか。 策伝和尚(おしょう)が活躍したのは16世紀末から17世紀初めくらいです。ちょうど、戦国時代の関ヶ原の合戦前後になるので、今から400年くらい前のことになります。 以上がご質問に対する一般的な答えです。 でも、落語のルーツになる小咄(こばなし)なんかは、もっと昔から全国にあったようです。策伝和尚の後は、17世紀末から18世紀初めにかけて、江戸(東京)に鹿野武左衛門(しかの・ぶざえもん)、京都に露の五郎兵衛(つゆの・ごろべえ)、浪花(大阪)に米沢彦八(よねざわ・ひこはち)という人たちがほぼ同時期に出てきて、落語を広めました。この三人は、それぞれ「江戸落語の祖」・「上方落語の祖」・「大阪落語の祖」などと呼ばれています。その後は、たくさんの落語家さんが次々と出てきて、いろいろな落語を作り、後世に伝えてきました。 【司之助】 |