第8日(2017.3.18) 浜松 → 白須賀 
 
  浜松 

 
今回も静岡方面の夜行バス利用、東京駅から静岡を経由して浜松へ行くバスは2本あるので今回は遅い方に乗車、所定の5時よりやや早くに到着した。前回のゴール地点だった磐田駅前までの始発を待つ間、取り留めもなく歩く理由はただ一つ、じっとしていると寒いから。3連休の初日だがさすがに朝早すぎて駅周辺もひっそりとしている。今回、連休の最終日は市民寄席になるので、着物も背負っての西進となる。

      

始発に乗って磐田駅前から再開。駅前の道をまっすぐ進めば見付宿へ戻るが、ルートは左へ折れて西進する、土曜日の早朝というのもあるが駅近くの通りにしては車の通りも少なく歩きやすい。快調に歩を進め天竜川が近づいて来たところで右折して上流へ進む。左へ進めば新天竜川橋というところを直進する。さらに上流へ進みかつての渡し場所の跡地を目指す。途中、奇妙な常夜灯を目にする。観音開きで神棚にも見える「木箱」が掛かっている。そういえばスタート直後からここまで意識せずに来たが、お札のようなものが付けられていたり、石灯篭でなく立派な瓦屋根の中にあるものなどユニークな形のものを見てきたが、カメラに収めることなく通過してきたことが悔やまれる。

      

天竜川の渡しは2~300m間隔で上中下と3か所の渡し場所があって通常は中之渡しと下之渡しを使用したが水量の多いときは最上流の上之渡しを使用したようだ。上之渡し付近に池田の渡し歴史風景館という名の施設があったが、大井川のときと同じくまだ開館時間前で仕方なく外観のみ見学。

      

500mほど下流へ戻り、新天竜川橋で一気に川を越す。広重の東海道五十三次の中で見付宿の図は天竜川の川越しが描かれていたが、一旦中洲で一休みしてその両側を船で渡した。一口に川越しといっても大井川は肩車や蓮台だったが、水深のあるこの川では船を使うしかなかったのだ。

      


橋を渡り切ったところは浜松市東区中野町、町名の由来は江戸側からも京側からも60里の距離で東海道のちょうど中間にあったことから。袋井宿は五十三次の27番目ということからど真ん中を主張したが、こちらは距離での中間点。
ここでまた本坂通(姫街道)安間起点の標識。見付宿で分岐し天竜川で合流、川越しの後分岐した姫街道だが2kmも進まぬところでもう一つの起点が。一方が本線、もう一方が支線という考え方なのだろうか。

      

65里、赤茶けた標識のある馬込一里塚跡を通過し、馬込川の小橋を越えると左手にアクトタワーが大きくなり、いよいよ次の浜松宿が近いと気付く。新幹線で通過するとき浜松の駅名板を見なくてもこの建物でここが浜松とわかるくらいのシンボル的なビルだ。

      

 29番目の浜松宿は川渡しの天竜川西側にあることから相当の規模があったことは想像できる。杉浦、川口それぞれの本陣跡看板に浜松には6か所の本陣があったと記されていた。維新後の開発か度重なる空襲か、それともその両方かにより東海道の遺構を見つけることはできなかった。