第1日(2017.1.7) 日本橋 → 平塚
 
  <その1> 日本橋 〜 品川 

まずは三連休を利用して静岡県富士市まで踏破する計画を立てた。「お江戸日本橋七つ立ち」と歌にあるから、普通江戸を出立するのは今でいう午前4時ごろ、この歌の1番は「高輪で明るくなったので提灯消す」とあるが、今の世の中だから都内の明るさを利用すればもっと早立ちしようと考えた。せっかくだから夜中の12時をスタート時間にしよう。逆算して前日の夜10時半ごろのはずだったがもたもたしてて11時に自宅を出発、急がねば。

  
 

日本橋、言わずと知れた五街道の起点であるが、今の1号線、4号線と主要国道の起点でもある。片側2車線の橋の真ん中に道路元標なるものが埋め込まれているが、現物を見に行くのは危ないので橋のたもとにあるレプリカで我慢する。
 

    

ここから京の三条大橋までの53次、ある資料では126里と6丁1間(約492km)の行程、京までのもう一つのルートに中仙道があるが、ここを起点に東海道は南、中仙道は北と全く逆方向に歩き出すのが興味深い。関東大震災の後、築地に移転するまでは日本橋川の水運を使用した魚河岸もここにはあった。「目黒のさんま」に出てくる殿様が遠足と接待で食べたのは両方とも、もとはと言えばここから流通したサンマ、目黒ブランドにまやかされて調理法の違いに気づかなかった(はずはないのだが)。
 
既に日付が変わり、12時20分、記念すべき一歩ではあるが何のセレモニーもなく歩き出したのが今思い返せば心残りでもある。


 
すぐに銀座に入る。ティファニー、ブルガリ、カルティエ、グッチ・・・中央通りのショップは当然閉店しているが、飲食店を出てきたサラリーマン、女性スタッフらがタクシーを求めて大勢歩く金曜深夜の光景。その中をリュックを背負い黙々と歩く姿は何とも場違いだが、それがなぜか快感にもなる。


 
田町駅の手前に西郷南洲(隆盛)と勝海舟会見の地の碑、ここで江戸城無血開城が決定した歴史的場所。一方でここ芝は名作「芝浜」の舞台、今は埋め立てのせいで見る影もないが俸手振りの魚屋が浜辺で大金の入った財布を拾ったのがきっかけで話が展開する。


 
品川駅前を通過し、箱根駅伝でも有名な八ツ山橋を越え、京急の踏切を超えたところが第一の宿場、品川宿。品川心中ほかここを舞台にした落語は多数あるが、ほとんどが廓の話。品川のほかにも千住、板橋、新宿と五街道の第一の宿は江戸の遊び場としても盛んだった。
  

   



ちなみに品川駅があるのは港区、品川宿があるのが正真正銘の品川区で、京急の北品川駅から青物横丁駅くらいの間。