第8日(2017.3.18) 浜松 → 白須賀 
 
  舞坂 

 
     

浜松宿をそこそこに、東海道本線と新幹線をくぐり、66里目の一里塚跡を通過するとしばらく西に進むほぼまっすぐな道、途中片側だけの松並木に沿ってひたすら歩き、左側から国道1号が近づき合流するところで存在感のある浪小僧という名の小僧の像がはるか遠くを見上げている。なんでも昔、不漁続きのある日、網にかかった真っ黒な小僧が命乞い、助けてくれたら海が荒れるときには海の底から太鼓をたたいて知らせるとのこと。漁師がそれを信じて逃がしてやったらそれ以来、天気の変わる前兆として波の音が変わるようになったという、遠州七不思議の一つと書いてあった。国道301号を交差するとすぐに、舞阪宿の東側入口にあたる見附石垣、すでに次の宿まで来ていたのだ。

     

30番目の舞阪宿へ入る。徒歩の道はここで行き止まりとなり、次の新居宿までは航路(今切れの渡し)となるので、仕方なくJRも道路も手前で北側へ迂回する。そのこともあって、開発を逃れた脇本陣は書院棟が一棟のみだが東海道中唯一の脇本陣遺構として残っている。脇本陣というのは普段は一般の旅籠だが、本陣に大名や役人らが泊まれなくなったときに利用する施設、上段の間には畳2枚分を重ねたVIP席、これは当然一段高い身分を示す意味もあるが、寝首を掻こうと下からブスリとやられない工夫でもあったという。

     

思いのほか宿場散策に時間をかけたらすっかり時分時を過ぎてしまった、やっと見つけた鰻屋に入る。やはり浜名湖まで来たら鰻でしょう。出来上がるまで一杯やりたかったのだが何とノンアルコールのお店だった。「鰻の幇間」でも鰻が焼き上がるまでの間、一杯やりながらコーコ(香の物)でつなぐのが本寸法だと言っているのに。仕方なくお茶でつないで鰻丼をチャージ。

     

今切れの渡しの船着き場に戻ってみる。当時ならここから渡し船となるが、今では船の運航は不定期の観光船しかないので、「ホントに歩く」に従い、当時のルートから逸脱して徒歩にする。