第6日(2017.2.26) 江尻 → 六合 丸子宿でこれ以上時間を掛けられないのは、この後の宇津ノ谷峠越え、岡部宿のロケーションが今の東海道本線よりも北側にあって、とにかく夕方までに藤枝宿に入らないと、次回旅を再開するときのアクセスが滅法わるいことにあるのだ。とは言いつつ、精をつけることができないまでも、腹ごしらえはしておきたい。出店で買った食材に途中のコンビニでいくらか買い足し、宇津ノ谷の国道トンネルの手前にある道の駅(といってもトイレと自販機)でここまで万障繰り合わせてくれた胃袋を慰める。 宇津ノ谷峠は今回歩く旧東海道のルートが整備される前は蔦の細道というやや南側のルートで通過していたものを、秀吉が小田原を攻略するときに開いたとされるが、さらにその前は筆者幼少のころ東名のトンネル火災のあった日本坂を通っていたとの記事がある。箱根越えもそうだが、ここもその時代の事情によってルートが付け替えられるというのは、昔からの重要ルートだったのだ。 江戸時代は当然徒歩だったが、明治になってトンネル開通、大正時代にまた別のトンネルが掘られ、昭和になって今の1号線のトンネルが掘られた。これが交通量の増大を受け、平成になってもう一本下り用のトンネルを掘り、昭和のトンネルを上り専用としたのだという。というわけで、通称「明治のトンネル」から「平成のトンネル」まで4本のトンネルがまだ現役で残っている。旧街道の峠を越えて、蔦の細道と合流し、ほどなく歩いたところに平成のトンネル出口に直結する歩道があったので、しばらくトラックなどの自動車が走る様子を眺めていた。この光景も将来「今は昔」のシーンになるのか。 宇津ノ谷峠からの下りが緩やかになり、旧街道も途中で1号線と合流しながら進む。途中でまたみかんの無人販売に足を止める。ここでは最近の新種を系図で説明していた。それによると、きよみオレンジは温州ミカンと外来のトロビタオレンジとの交配種、清水出身で付近の清見寺から命名したもの、女性の名前ではなかった。更に、これとインド産のポンカンとを交配させたのが興津出身のはるみオレンジ(命名由来の記載はなかった)。これと、最近スーパーでもよく見かける長崎出身のデコポン。両者は兄弟だったのだ。人間にも似ても似つかない兄弟を見かけることがあり、筆者もその一例だが、どうDNAを分けたものかと思う。そういいながら売られているのは青島みかん、おいおい。100円で一袋購入、歩きスマホで由来を調べると、こちらは静岡出身で人名が由来だった。旧道は1号線から右に分岐し岡部宿に入る。 <つづく> |
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