興津川を橋で渡るが、かつてはここも人足による川越しだったと書いてあった。蓮台という2本の棒の台を乗せて前と後で担ぐもの、これのシンプルなのは梯子。もっとシンプルなのは一人で担ぐ肩車。

道路の反対側に行列の店が、唐草模様の自販機と変なバランスに惹かれて立ち寄るとフツーのタイ焼き屋さん。まあ、小腹も減ってきたし、カロリーチャージと言い訳して買ってみる。一匹100円、カリカリに焼き上げたタイプ、悪くないね。

17番目の興津宿は身延への道が延びる交通の要衝であった。身延といえば落語では「甲府い」、「鰍沢」などが出てくる。一度は参詣してみたいところだ。

もう一つ先の江尻まで行く予定にしていた。入り江の尻(端)だから江尻、江尻といえばあまり馴染みはないが、港町とちびまる子ちゃんで有名な清水のことだ。ここから、富士山と一緒に世界遺産になった三保松原まで渡りたい。調べてみたら最終の渡船が16時10分、まずい、急がねば。

とりあえず東海道walkは清水駅前交差点で終了し、清水駅を越えて渡船場へ、しかしこれが意外と遠い。何とか30秒前で滑り込みセーフ、乗ってしまえばこっちのものだ。清水港を離れると、薩埵峠で別れを告げたと思った富士山が再び出現。三保まで約15分の乗船だが次々に代わる景色にシャッターを押すのと肉眼で楽しむのとで忙しくって仕方がない。


三保に着いたはいいが、歩く途中に思いついて船に飛び乗ったものだから何の予習もしていなく、どこをどう歩いたら良いのか全く分からない。三保松原といえば三大松原の一つだからとりあえず松原を歩いてみる。歩きスマホで調べると羽衣の松というワードが。そうだよ、ここは押さえておかねば、いずれにしても時間がない。御穂神社の参道が羽衣の松の手前まで伸びている。天女が羽衣を掛けたという伝説の松の木、何とか明るいうちに間に合った。

そういえば、天女が3千年に一度、羽衣で巌をなでてその巌が擦り切れてなくなるのが一恍。確かに五恍というのは気が遠くなる。「寿限無」に出てくる「五恍のすり切り」のことだ。そこから砂浜に出て、太平洋に片足ずつチャポンとつけてみた。しかしもっと楽しめたはず。事前の調査が不足していたのは否めない。こうしてまた心残りが一つ増えてしまった。

さっき来た道を戻ると清水駅行きのバスがあったので、それに乗車し帰宅。
日本橋から211.6km |