16番目の由比宿まではわずか5km、途中みかんの無人販売で、はるみオレンジを購入、6個入り1袋が200円の大廉売。

由比宿は宿場の入口を治安維持の目的で道をかぎ型に普請する桝型が残っていた。これは期待できると思ったら案の定、本陣跡地に立派な門を構える本陣公園が整備されており、門を入ると奥に広重美術館、「東海道五十三次」ほか歌川広重の浮世絵を余すことなく展示、わずか20分の滞在は少々もったいない気がしたが、駆け足で鑑賞。

これには理由があり、それは由比のもう一つの名物、桜えびを優先したからで、旧道から5分ほどそれることになるが、ゆい桜えび館に立ち寄る。桜えびの歴史は意外と浅く、明治になってからのこと、アジ漁の網が偶然深く入って水揚げされたのが始まりで、今でも駿河湾でしか取れないとのこと。ちょうど時分時、というより朝から何も食べていないので、ここで腹ごしらえ。桜えび100%のかき揚げとそばのセットで昼間から一杯。志の輔師の「みどりの窓口」で、「ワカサギという魚はフライになるために生まれてきた」というくだりがあったが、それでいくと桜えびはかき揚げのために生まれてきたというしか仕方がない。それが江戸時代には発見されてなく、行き交う人もすぐそこにあるごちそうに気づかなかった。もしわかっていれば、町には桜えびを食べさせるお店が何軒もあって、それが広重の絵になっていたかもしれない。

だいぶ寄り道をしてしまったが、本陣前から歩きを再開、対面におもしろ宿場館なる施設が目に留まる。入口にコミカルな表情をした旅姿の人形が立っており、中では当時の宿場町を再現しているとのこと。興味がないわけではないが、先を急ぐのと、この手の施設はまたどこかで立ち寄れるはずと考えてスキップ。

次の興津との間に西倉沢という間の宿があり、そこを過ぎると絶景の薩埵(さった)峠に向かって旧坂を上っていく。50mくらいの標高差だと思われるが、急坂を上り切ったころにはかなり汗ばんできた。

振り返ると眼下に国道1号線、東名高速と東海道本線がひしめき合うはるか向こうに、今朝左だ右だと言っていた名峰富士の山。広重の東海道五十三次で由比(油井)の絵はこの薩埵峠からの眺めで、当然大動脈の3路線は描かれてないが、構図はこの眺めと同じだ。

昔見た(今も?)道路地図の表紙にもこの写真があった。これから更に右へ目を向けると二百名山の愛鷹山、さらに伊豆半島の遠景が楽しめる。もっとも、このルートが開通するまでは、北陸の親不知のごとく、波打ち際を命がけで通過しなければならないほどの難所だった。

薩埵峠からの坂を下りきったところに「みかん100円」と袋詰めにしたのがコンテナに入って無人販売されていた。

そういえばさっきの薩埵峠、あるいは由比の街道沿いでもみかんの販売はあったが、有人だったり、無人でもそこそこの人通りがあるなかでは、よからぬことを考えるやつなどいないと思う。されどここは何の抑止力の感じられない場所、誰かどこかで見ているのか。ポンカン、はるか、はるみの3種類、そういえばきよみという名の品種もあったっけ。これらはみな、この付近で収穫されたもの、前出の広重の絵では植物といえばせいぜい松の木だったが、これも後年になって植えられたものだ、最近の柑橘類はどれもみな甘く品種改良されている。でもどうしてこう女性の名前みたいになってしまうのか。食べ比べしようと思い中を覗き込んだが、はるみはすでに完売、よって残りの2種類を購入、チャリーン。
|