第5日(2017.2.12) 吉原 → 江尻
 
  吉原 


     

休日を使って細切れに歩くので、最初は良いが、ルートが進むにつれだんだんスタート地点が遠くなる。新幹線の始発は6時にならないと走ってくれないので、吉原に着くのは7時を過ぎてしまう。かといって前日から現地入りするというのも、早朝にホテルをチェックアウトするのは、なんだかもったいない気がする。こんな時頼りになるのが夜行バス、夜中に移動できるうえに料金もチープ。JRのバスで浜松行きがあったので、途中の静岡まで乗車。朝の4時半に着いて5時発の始発に乗車、つまり東京に向かって戻るわけだ。

     

静岡駅の改札が開いたので、ホームに立ってみると、東京行き4:40発予定の特急サンライズ瀬戸・出雲が45分遅れとの表示。始発の出雲市(島根県)から約12時間かけて東京を目指すやつだ。出雲市からは7両編成で走り、途中の岡山駅で四国の高松から来る同じ編成の瀬戸号と連結、そこからは14両編成で走り、途中の大阪を夜の12時半ごろ発車する。大阪に住んでた頃には、翌日の朝から東京で用事があるときに何度か世話になったものだ。夜行バスに比べてフルフラットで寝られるし、有料だがシャワーもついてるし、6時間半くらいで東京に着いてしまうというのはとても速い。ただし、今回のように遅れた場合は通勤の電車を優先するので平日だと東京に着くのはさらに遅れるらしい。そういえば何年も前に、途中の豪雨で大幅に遅れたことを思い出した。この時は静岡の手前で車内アナウンスがあって、特急券を提示すれば静岡から新幹線の自由席に乗られるという救済処置を取ってたっけ。しかしこの日は土曜日、通勤ラッシュはないわけだからそのようなことはしないのか。そんなことを考えているうちに始発電車が入線、サンライズよりも先に発車した。



5:40吉原着、まだ薄暗い中を歩き出す。前回、この吉原にたどり着いた時と打って変って快晴、実は前回、雨の中を無理しないで吉原で打ち切ったのにはもう一つ理由があった。新幹線の高架下をくぐってしばらく歩くとその光景が現れる。
東海道を日本橋から京を目指して進む場合、富士山は常に右側に見えるはずだが、ここでは田子の浦を内陸の方に大きく迂回して進むため、一瞬だけ左側に見える。その名も「左富士」、もともとのルートはまっすぐで、宿場も南側の海に近いところにあったものが、津波の被害を受けたため、宿場町が北側の元吉原に移動させられて、ルートもこのように湾曲するように付け替えられたことでできた。

     

で、この左富士がしっかり地名になっているのが面白い、さすがに住所の表記には使われていないが、バス停やアパートの名前、左富士神社なるものまで存在するほど。

     

     

なお、現代の新幹線ではこれとは反対に、東京へ向かうときに海側のA席の方からも富士山の見える「右富士現象」が静岡市内で数十秒間起こる。