第3日(2017.2.4) 風祭 → 原
 
  <その2> 箱根 〜 原 

          

     


箱根は芦ノ湖のカルデラの中にあるので、旧東海道は外輪山をもう一つ越えて進む。未舗装と舗装賂を繰り返し上り、国道1号線に出て標高846m、東海道の最高地点でもある箱根峠へ到着。相豆国境、つまりここから静岡県。今は1号線となってしまった車道を進むとすぐに箱根峠の道の駅が見えてくるが、旧街道は手前を右に折れ、しばらく未舗装路を進む。小田原から上る東坂と比べると三島への西坂は往時をしのばせるチェックポイントは少なく、旧街道も時折国道1号線と合流したり、工事やらで寸断されてやむなくルートを迂回させられたりしながら下る。



          


27里目、笹原の一里塚のところに東海道には似つかわしくない建造物が出現。2015年に開業したばかり、歩行者用としては日本一、長さ400mの吊り橋で、その名も三島スカイウォーク。なるほど、やたらと工事が多くルートが迂回させられたのはこの橋を中心に公園を造成するためだったわけだ。記録を塗り替えられたら多分二度と立ち寄ることはなかろうと思い、往復料金1,000円を払って渡ってみる。反対側にわたると、橋をバックに写真撮影、その画像を新聞記事風にプリントしてくれるサービズも。橋を渡った先にも退屈させない仕掛けを施してあるとは感心、展望デッキと定番のソフトクリームなどでついつい2時間を費やす。


       


山道を終わり舗装道路に出てからもひたすら下る。JRの踏切を越えてやや下るのが今井坂と言って、箱根峠からの西坂で、名前が付けられた最後の坂道、これを下り終わって富士山のよく見える橋を渡った先が11番目の三島宿。箱根から15kmの距離もあり、また立派な鳥居の三嶋大社の目の前が下田街道の起点になっているなど、交通の要衝であることから、東海道の宿場としても立派なものだったらしいのだが、宿場の名残はあまり残っていないのが残念。


      


三島宿をそこそこに、約6kmを歩くと狩野川添いに12番目の沼津宿に入る。ルートから左にそれやや歩くと御成橋という名の立派なアーチ橋。沼津御用邸に皇族が向かうための橋だったためこの名前が付いた。1945年の空襲で被弾した痕が今も生々しく残っている。ルートに戻って街並みを歩くが、この沼津宿も歴史の面影薄く、本陣跡にも石柱が残るのみ。京側の見附を通過して時計を見るとすでに17時。本日のホテルは沼津市内だが、JRの駅前。三島と同様、駅は旧東海道から離れている。ここで打ち切っても明日またここからスタートするのは非効率、というわけで暗くなるのは覚悟のうえで次の原宿を目指すこととした。


    


13番目の原宿を目指して約6kmを歩く。先を急ぐもいいが、今から無理して走ったところで原宿についたころには暗くなっているはず。途中にはこれといった見どころがあるわけでもなし、そうなると覚悟を決めてマイペース。セブンイレブンでコーヒーを淹れるほどの余裕の入れよう。予想通りすっかり日没、ここから先はまっすぐな道が続くのでルートミスの気遣いはないが、地図が見たい時には次の街灯を目指して歩く。街灯の下で蛇腹の地図を広げてみるとき、いい塩梅に目印になるものがあればいいが、近くに何もない時には現在地が分からない。何とか問屋場跡、本陣跡を見つけるも看板の字が読めない。フラッシュで写真だけ取って見たことにしてしまう。


     


並行して走る東海道本線の原駅に着いて時計を見ると18時20分。電車で2駅の沼津に戻りいったんチェックインして近くの居酒屋で一杯・・・のはずが二杯となり、二杯が四杯となりいい心持ちで就寝。

日本橋から132.9km