第2日(2017.1.8) 平塚 → 風祭
 
  <その1> 平塚 〜 大磯 

 
前日の雨の予報をみてもうあきらめていたが、起きてみたらうす曇り。朝から雨なら歩くのはやめると決めていたが、降ってはいないので歩かざるを得なくなった。9時にようやくチェックアウトして歩き出す。昨夜の327歩が悔やまれてならない。





   


7番目の平塚宿は今の駅前よりもずっと西に寄ったほうにあった。現存はしてないが、大名が泊まる本陣、予備として使った脇本陣、人馬の継立をする問屋場のあった場所に跡地を示す標柱があるのみ。


   


次の大磯までは3km程度。





8番目の大磯も現存施設はなく、標柱のみ。同志社を設立した新島襄終焉の地碑、海岸まで少し歩くと海水浴発祥の地碑がある。坂道を上ったところで看板に誘われて文豪島崎藤村邸を訪ねる。昭和18年に急死するまで夫人と暮らした庵。苗字が2つ並んだ変わった名前だと思ったら、やっぱりこれはペンネームで、春樹といういかにも作家らしい「普通」の本名があることがわかる。そういえば6代目三遊亭円生師の本名は山崎松尾だった。大名跡の早期復活を望む。


   


400年前から植え継がれてきた立派な松並木を過ぎ、しばらく歩くと城山公園の交差点、旧三井財閥の持ち物だったものが今は県のものになっている。





道路を挟んで城山の反対側に旧吉田茂邸。先を急ぐので入口を確認しただけだが、あとで調べると平成21年に焼失してしまい今は見られないのだと。なお、大磯には吉田茂のほか伊藤博文、山形有朋ほか歴代総理が屋敷を構えたほか、別荘地も多い。





ここで痛恨のミスに気付く。さっきの城山公園交差点で旧道は右へ入るのがルートだったがうっかり直進してしまった。地図で確認していたはずなんだが、旧吉田邸が気になってしまい見落としたと思われる。気が付いたら1kmも歩いて旧道が再度合流するポイントまで進んでいた。引き返すとしても緩やかながら上り坂だし、先も急ぎたい事情から、そのまま進むこととした。後日再訪することを約束に何とかご勘弁いただきたい。