第1日(2017.1.7) 日本橋 → 平塚
 
  <その4> 戸塚 

 
5番目の戸塚宿手前でJR戸塚駅の脇を通過する。


    


5番目の戸塚宿手前でJR戸塚駅の脇を通過する。ここにはつい最近まで開かずの踏切があって、一時間に3分しか開かない時間帯もあったという。吉田茂も自宅の大磯から出勤するのにこの踏切にしびれを切らし、鶴の一声でバイパスを作らせたというエピソードもあるくらい。そのバイパスにルート変更するまでは箱根駅伝でも「難所」であった。ひとたび遮断機が下りてしまえば、その間は体が冷めないようにアップしながら電車の通過をひたすら待つというシーンが、毎年CM前の懐かし映像で放送される。2015年にアンダーパスが開通してこの踏切も長年の役目を終えたが、その跡地にパネルが掲げてあり、当時の写真が貼り混ぜてあることからすると、住民長年の悲願だった一方で、どこか懐かしく思っているのであろう。現在では歩行者はというと陸橋や地下道で線路を超えて、駅前から旧宿場町に入る。江戸を七つ時に発った場合、最初の宿場は戸塚で、東海道中膝栗毛の弥次喜多もそうだった。


   


緩やかに坂を上って1号線に合流。ここからしばらくの間は、コンビニ、ファミレス、紳士服屋、GSなどどれをとっても十分な駐車場を完備したロードサイド仕様だ。すき家があったのでここで昼食。朝、昼と牛丼になってしまったがここでは30分も滞在、疲れと足の痛みが相当効いてきたらしい。


    


ほどなく藤沢市に入る。この街道沿いにみごとな松並木があったという記念碑が立っている。


    


海岸線を通ることが多い東海道は箱根のような例外もあるが、ほとんどが海風に強い松の木が使われた。夏は日陰に、冬は風や雪から旅人を守ってきたが、1960年頃に猛威を奮った松くい虫にことごとくやられてしまったとのこと。よく見るとマンホールの蓋にも松の木が。藤沢市の「松並木推し」に執念を感じる。つい4日前にここを学生さんがタスキをつないで走ったことがわかる応援の小旗も発見。