第7日(2017.3.11) 六合 → 見付
 
  袋井 

 
   

国道1号に合流してすぐに橋を渡ったところが袋井市。すぐに分岐して旧道へ入ると区間は短いがここにも松並木と袋井市教育委員会作成の説明版。明治以後道路の拡幅によって数々の並木が数を減らす中、このように看板を立てることもこの並木を守ることになるのだろう。

    

左側に袋井東小学校、この敷地に久津部一里塚跡、小学校の100周を記念して復元したものだと書いてあった。

    

ん、60里?看板には江戸から60里とあるのに携行する東海道マップには58里としてある。この差2里はどういうこと、どちらかが数え間違えたか。気になりながらひょいと小学校の校門に目をやると、袋井市立袋井東小学校の看板の反対側に江戸文字で「東海道五十三次どまん中東小学校」。なるほど、53次で日本橋から(京からも)数えて27番目、つまり中間点という意味だ。それにしても正式名称の看板よりも存在感が十分というのはアリなのか。

    

ルートが商工会議所に阻まれる格好になっており迂回してすぐに戻ったところが袋井宿の江戸側の入り口で、すぐ近くにどまん中茶屋という名の建物。中の一人と目が合った。一目でwalkの人だとわかるらしく中から「どうぞ」と声をかけられた。そういえばここまで休憩といえばただ立ち止まるだけで、腰かけることがなかったと気づく。さすが茶処静岡県、すぐにお茶を進められて矢継ぎ早に「どちらから」、「(今朝は)どこからスタート」、「(今日は)どちらまで」と尋ねられるが、一通り答えたあとは「そうですか、じゃ気を付けてね」と必要以上に入り込んでこないというのは、おもてなしに慣れた証拠か。お茶を一杯いただき、よろしいところでほかの団体さんが来たので交代とばかりに席をゆずり茶屋を出る。

    

「ホントに歩く」によると27番目の袋井宿は1601年の宿駅制定から15年後、前後の掛川と見付の間が約16kmと長かったために新設されたもの。繰り返しになるが27番目でどまん中であることを相当ウリにしているようだ。東小学校がそうだったわけだから当然の如く西小学校にも「・・・どまん中西小学校」という看板が掛かっていた。ただし、本来の宿場エリアでは本陣跡などが標識で残っているものの、その他に遺構とみられそうなものはあまり見られなかった。