第7日(2017.3.11) 六合 → 見付
 
  掛川 

 

26番目の掛川宿は山内一豊が城主だったこともある城下町で、旧東海道からも立派な天守が近い。小高い丘の上にあり、駅付近は高い建物があまりないので新幹線の通過電車からもよく見える。あとで調べてみたらお城のHPに日本で最初の木造復元天守とあった。

     

山内一豊といえばその妻千代の内助の功によって出世したエピソードの印象が強い。中町交差点の銀行前に一豊・千代とそのヘソクリで買ったという名馬のレリーフが掛かっていた。

     

掛川宿を出てからは一旦国道1号へ合流、少し歩いてから左へ分岐するルートなので予め左側を歩いていたが、反対側に看板があったので道路を渡ってみたら、秋葉街道への分岐と書いてある。火伏せの神様である秋葉山へ通じる街道で、ここから9里の道のりだった。秋葉様といえば江戸落語では「牛ほめ」、秋葉様のお札をあるところに貼ると、穴が隠れて「屁の用心」になりますという実にこの、ばかばかしい下げで笑いの多い噺だ。短い噺なのでいつかはネタにしたいと思うが最近、このくらいの話もなかなかセリフが入らないのは困ったものだ。

     

天竜浜名湖鉄道の単線ガードをくぐるとすぐに1両の列車がやってきた。無人駅だが西掛川駅がルート沿いにあったのだ。単線でスカスカのダイヤに偶然遭遇したところを思わずパチリ。あとで調べてみるとこの線路は掛川から一度東海道本線を離れ、浜名湖の北側を通ってまた合流するのだ。旧東海道にも起点と終点はそれぞれ異なるが、姫街道という浜名湖北岸を進む別ルートがあって、みかんの産地で名高い三ヶ日なども通っていく。「ホントに歩く」のシリーズに姫街道編の別冊も(このルートを歩いた2017年9月に)発売されたようなので気が向けば歩いてみたい。

     

両側が田んぼの道に松並木が見えてきた。途中の看板には松食い虫の被害で枯れてしまってこの辺だけ残っていると書いてあった。松並木が途切れたあたりに道標があり「原川松並木」としてあった。さらに進んでややにぎやかになったと思ったら原川という集落。掛川とその先の袋井の間に設けられた間(あい)の宿のあったところで、茶店での休憩はOKだが宿泊はNGというルールだった。      


     


                                     <つづく>