◎ くじらいだー@の「わがまま勝手なことばかり」 

 潮吹亭 くじら (1961年12月15日生まれ)

お気に入り女性有名人(2012年3月現在)
吉田えり/(関西独立リーグ・兵庫ブルーサンダース投手・ひと呼んで「ナックル姫」/前田有紀(愛称ユキドン。アイドル演歌歌手。)/平松愛理(数々の病魔から復活したシンガーソングライター)/三倉茉奈・佳奈(朝ドラ「だんだん」でお馴染み双子アイドル)/「丸山桂里奈(なでしこジャパンのFW・スペランツァFC大阪高槻所属)」/「田代沙織(日本初の『落語のできるアイドル』略して『らくドル』」/春野恵子(かつての「ケイコ先生」今は「アイドル浪曲師」)」/田中理恵/「兄妹代表」で話題の女子体操選手。

No1

 野球と落語1

No2

野球と落語2

No3

残念な出来事

No4
桂枝雀師匠逝去1

No5

桂枝雀師匠逝去2

No6

桂枝雀師匠逝去3

No7
桂枝雀師匠逝去4

  No8

激突!天才と怪物

  No9

 ラブマシーン

  No10

 紅白歌合戦

  No11

  成人の日

  No12

 ホームページ

 No13

 若乃花引退

  No14

ピンチランナー

 No15

 さよなら興行

  No16

  慰  問

 No17

ヨーデル食べ放題1

 No18

ヨーデル食べ放題2

 

  No19

ミヤコ蝶々師逝去

 No20

21世紀の落語

 No21

 池田の猪買い

 No22

ヨーデル食べ放題3

 No23

  趣  味

 No24

 歌は世に連れ

 No25

  至福の時

No26

大阪五輪落選

 No27

 ワッハ上方

 No28

ニュースの価値観

 No29

志ん朝師匠逝去

No30

近鉄優勝

 No31

グリーンプラザ

 No32

ビッグニュース

 No33

みゅーじあむ

No34

江 戸 落 語

No35

前 田 有 紀

No36

日本人の美徳

No37

ジェンダー 

No38

古典語語と常識

No39

中 座 炎 上 

No40

ぱどタウン 

No41

がん克服落語会

No42

2002年のじゅげむ

No43

2003年のじゅげむ

No44

テ レ ビ

No45

卒  業

No46

枝雀ネタベスト5

No47

大 喜 利

No48

柳昇師匠逝去

No49

今年のタイガース

No50

地球温暖化

No51

トリビアの泉

No52

いとこい漫才

No53

投 票 日

No54

今年のじゅげむ

No55

お 囃 子

No56

大阪じゅげむバファローズ

No57

ぼやき漫才

No58

ハンサムマン

No59

喜丸さん逝去

No60

落語と講談

No61

球団合併問題

No62

アテネオリンピック

No63

上方落語の定席

No64

オレ流

No65

大震災

No66

多彩なゲスト

No67

ピン芸人

No68

ファンサービス

No69

ご冥福を…

 

 No70

 お見舞い…

  

 No71

 ゲスト出演

  

 No72

 グリーンプラザ駅前寄席

  

 No73
桂吉朝師逝去
 No74
この指とまれ
 No75
竜介氏逝去

 No76
 寝ずの番

  No77
 西武百貨店
 No78
 拾八復活祭
  No79
 吉朝師一周忌
 No80
 繁 昌 亭

 No81

 関西テレビ

 No82
そのうちなんとかなるだろう~
 No83
 正  座
 No84
 仁六家拾八  追善興行
 No85
 大 相 撲

  No86

 赤 福 餅

 No87
 歳末ご挨拶
 No88
 大 阪 の 顔
 No89
 ちりとてちん 続編
 No90
 お 半 長

 No91

一周忌追善興行
 No92
 桂吉弥さん
 No93
ライオンズ優勝
 No94
不思議な団体
 No95
田辺屋「冬籠」

 No96

 独立リーグ

 No97
二代目春蝶襲名
 No98
ワッハ上方移転
 No99
 愛宕山登山
 No100
 亀山房代さん

No101
入場者2万人


No102
 
  お囃子

No103
全日本社会人  落語選手権
No104
がんばれ大相撲
No105
芸 名

No106
安楽庵策伝上人



No107
  大阪場所


No108
 復活・復興

No109
 なでしこジャパン
No110
 米 朝 師

No111
選 挙



No112
人と防災未来センター



No113
 七代目・
 月亭文都

No114
    節 電

No115
なでしこジャパン銀メダル

No116
高槻市民表彰
受賞

No117
20年前

No118
三代目桂文之助

No119
偉大な落語家
    
  No120
 女性落語家
 
  No121
 阿遊亭弘遊
 追善興行
 
  No122
 150回
 
  No123
スピーチ力

  No124
落語の作者

  No125
 サゲの分類
 
  No126
 握手会
 
  No127
 彦八まつり
 
  No128
 落語研究会
吉朝全集
 
  No129
 カレンダー
 
  No130
  貴重な仲間
 
  No131
 米朝師匠逝去
 
  No132
 訃報続く
 
  No133
 入場者総数3万人
 
  No134
 セットテープ
 
  No135
  来年の暦
  No136
 春團治師匠逝去
  
  No137
 スーパースターの DNA   
  
  No138
 笑点50周年 
 
 
  No139
 天満天神繁昌亭 
 
  
  No140
 吉本新喜劇
 井上竜夫さん逝去
 
 
  No141
 今年のカレンダー

  No142
 露の雅さん逝去

  No143
 渡瀬恒彦さん逝去

  No144
  熊本県へ慰問

  No145
  記念公演告知

  No146
 高槻市民寄席
 100回記念公演

  No147
 盲導犬育成チャリ ティカレンダー

  No148
   訃報2件

  No149
   You Tube

  No150
 熊本出前寄席と
 風流落語旅

  No151
 歌丸師訃報と
 仁智師会長就任
  No152
 高槻市民寄席中止

  No153
 盲導犬育成チャリ ティカレンダー

  No154
 定例会300回
 記念公演

  No155
 平成最後の
   大ニュース

  No156
 いわき支店と
 熊本被災地慰問

  No157
 「西武」から
 「阪急」へ

  No158
 笑福亭鶴二師匠


  No159
 平成から令和へ

  No160
 チコちゃんに
 叱られる!?


  No161
 コロナ予防と
 笑福亭夢二さん
  No162
  駅前寄席再開

  No163
  昨今の落語会


  No164
 着てはもらえぬ
 セーター?
  No165
 プロ廃業の件

  No166
 ワムワム落語出演

  No167
  女性落語家

  No168
 女性落語家(2)

  No169
 上方寄席めぐり
 「此花千鳥亭」

  No170
 上方寄席めぐり
  「動楽亭」

  No171
 上方寄席めぐり
 「心斎橋角座」


  No172
 上方寄席めぐり
 「ツギハギ荘」


  No173
 駅前寄席
 200回記念公演


  No174
 上方寄席めぐり
 「神戸新開地
  喜楽館」

  No175
 上方寄席めぐり
 「落語喫茶
  古々粋亭」

  No176
 上方寄席めぐり
 「梅田・太融寺」


  No177
 上方寄席めぐり
「尼崎市・道心寺」

  No178
 上方寄席めぐり
「京都伏見・笑亭」

  No179
 上方寄席めぐり
番外編「田辺寄席」

  No180
令和上方落語家列伝 「笑福亭銀瓶」

  No181
令和上方落語家列伝 「桂 米紫」

  No182
令和上方落語家列伝 「桂 吉の丞」

 

ひとりごとNo1

 

「見るスポーツ」で一番好きなのは、やっぱり野球ですね。で、このことは、私が落語ファンあることと無関係ではないのです。野球というのはよくできたスポーツで、団体競技と個人競技の両方の要素を合わせ持っています。なるほど、勝ち負けはチームで争いますが、打者の一打席一打席は、まさに個人の戦いです。(例えばマグワイヤvsソーサのように)で、落語会もまさに個人芸と団体芸の融合なのです。たしかに高座の一席一席は個人芸ですが、落語会のプログラムは、野球の打順同様出番によって役割が決まっています。演者は、その出番に合ったネタを選び高座の臨みます。「この演者の役割は。」「なぜここでこのネタなのか。」そんなことを考えながら聞くのも落語の楽しみ方の一つだと思います。それで実は、野球と落語とはもう一つ意外な共通点があるのですがそれはまた次回……

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ひとりごとNo2

 

前回の続きで、野球と落語の意外な共通点についてふれる約束でしたね。正確に申し上げますと、プロ野球選手とプロの落語家の共通点なのです。なんとどちらも、個人のテーマミュージックを持っているのです。野球の場合、応援団トランペット等で打席ごとに演奏しています。落語の場合は、そう、あの出囃子は一人ひとり決まっています。例えば米朝師匠-「三下がりかっこ」枝雀師匠-「ひるまま」ざこば師匠「御船」…といった具合です。ですから通の人は出囃子を聞いただけで誰が出てくるのか分かるのです。

先日、三代目桂春団治師匠の特番(毎日放送)がありました。なんと、あの三代目が一門の野球大会でユニホーム姿で登場。出囃子「野崎」にのって、バッターボックスにたちました。あの場合、「野崎」をトランペットで演奏して「かっとばせー三代目!」とやれば、球場の雰囲気そのままだったわけです

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ひとりごとNo3

 

今回は、上方演芸界におこった三つの残念な出来事について…

その1 戦後の上方落語復興の陰の功労者、桂米之助師匠が、3月5日、永眠されました。昨年11月、師の独演会で味のある高座を拝見したばかりなのに…

直接のお弟子さんこそおられませんでしたが、プロ・アマを問わず、多くの噺家さんを指導、育成されました。(当会のメンバー京洛亭洛京さんも、師の薫陶を受けた一人です)桂米朝師とは、同期・同門にあたります。私はあえて桂米之助師を「陰の人間国宝」と呼びたい。

その2 女性漫才コンビ「トゥナイト」が3月一杯で解散してしまいました。話術の勝負できる若手コンビとして、ずっと注目していましたのに…

気になるのは、解散の原因になったしずかちゃんの言動。あれだけの人気者だったのにそれを捨て去ることに対して、実にあっけらかんとしている。確かに彼女自身の人生だから、我々がとやかくいくことではないかも知れない。でも、しずかちゃん!貴方の行為はファンに対する重大な裏切りである。貴方たちが漫才界いや、芸能界の頂点に上りつめるまで見守っていこうと思っていたのにどうしてくれるんだ!! えーいしずかのバカヤロー。もう私は生涯「551」の豚まんなんか口にせえへんぞぉぉ!

その3 既にご存知のように、4月19日に桂枝雀師匠が永眠されました。このことについては次回に詳しくふれたいと思います。

                                                   目次へ

 

ひとりごとNo4

 

はっきりいってまだ信じられない、いや、信じたくない。我等が枝雀師匠がもうこの世の人ではないなんて…(泣)

私と落語のかかわりを語る場合、枝雀師匠の存在は絶対にはずせません。そもそも落語ファンになったきっかけは師匠の「鷺とり」でした。あのとびぬけたおもしろさは、ある種カルチャーショックでした。

それ以来、私の中では「落語=桂枝雀」でした。枝雀師匠は、私に落語の面白さを教えてくださった恩人です。師匠がいらっしゃらなければ、私が高座に上がることも、このようなコラムを書くこともなかったでしょう。

TVの「枝雀寄席」の中で桂南光師は「師匠は健康が回復し、高座復帰が可能になれば番組を再開したい」とおっしゃっていました。私はこの言葉を信じたかった。回復後の「ニュー枝雀」に期待を寄せていたのは決して私だけではなかったはずです。心からご冥福をお祈りいたします(合掌)

でもでも、次回も枝雀師についてふれたいと思います。

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ひとりごとNo5

 

「派手なオーバーアクションに独特のイントネーションの爆笑落語」これが枝雀落語を表す常套句になっています。しかし、それは枝雀落語の一面にすぎません。

枝雀師匠の得意ネタのひとつに「愛宕山」という話があります。その冒頭で、幇間(たいこもち)の一八が舞妓にせがまれて蝶々を追いかける場面があります。その時枝雀師は、首を小刻みに振って、目で蝶々を追いかけます。文章に書けばこれだけの事なのですが、高座では本物の蝶々が飛んでいるように見えるのですその瞬間、その辺り一面は菜種の花が咲き乱れる春景色…

「愛宕山」という噺は、人間国宝の米朝師をはじめ多くの噺家さんが演じられます。それぞれにすばらしい高座です。でも、あの場面で蝶々の姿が浮かぶのは、枝雀師の高座だけなのです。師匠の高座にはそんな細やかな部分もあるのです。もしあれから、師匠が復帰されたらもう一度、あの見事な春景色を満喫できたろうに。そう思うと残念でなりません。いったい枝雀師匠は何処へいってしまったのでしょう。「究極の枝雀落語」という蝶々を追いかけたまま…

                                                   目次へ

 

ひとりごとNo6

 

いい加減うんざりですね。来る日も来る日もミッチーとサッチーがどうたらこうたら…。

一部マスコミが勝手に面白がってるだけで一般視聴者にはどうでもいいことですよね他に何もネタが無いのならともかく、伝えるべき事柄はいくらでもあるはず…

で、ここからが本題です。あれから4ヶ月。枝雀師に対するマスコミの扱いにはどうも納得がいきません。上方落語界だけでなく、日本の芸能界にとっても大きな存在だった筈なのに、すっかり「ミッチー・サッチー」にかき消された格好です。まぁ、この際全国のマスコミはしかたがないとしても、せめて関西マスコミだけでもと思うのですが、さっぱりですな。追悼番組もほんの数える程度でした。

マスコミの皆さん。もう一度良く考えてみてください。枝雀師は、落語はテレビで通用する芸である事を証明した噺家です。また、役者としても貴重なキャラクターでした。そんな枝雀師の足跡をもう一度見つめ直すのがマスコミの努めだと思うのですが・・

                                                   目次へ

    

ひとりごとNo7

 

『桂枝雀追悼落語会によせて』

 ♪ 今も聞こえる あの「昼まま」

    落語の楽しさ 教えてくれた 素敵な 師匠…

                 ■海援隊『母に捧げるバラード』

 枝雀師匠が亡くなられて約4ヶ月になる今、哀しみの想いが感謝の気持ちへと変わってきています。枝雀師匠は演者としてだけでなく、指導者としても超一流です。枝雀一門(南光・雀三郎・雀松・雀々・九雀・文我・む雀・紅雀)…こんなハイレベルな個性派集団は、他には無いでしょう。落語という芸の持つ素晴らしさを熟知した枝雀師なればこそ成せる業だと思います。

 で、枝雀師は素人落語家も多く世に輩出しました。もちろん、師が直接指導したというのではなく、師にあこがれ落語の面白さを知った何人かが素人落語家として活躍しています。そうこの「噺の会じゅげむ」もそんな人間の集まりです。つまり、枝雀師がいなければ、この会自体が存在しなかったことになるのです。 

 ♪ 僕らはみんな 慕ってた 慕っていたから 悲しいんだ

   僕らはみんな 慕ってた 慕っていたから 今がある

   師匠の得意ネタ 語ってみれば 脈々と流れる 熱き血潮

   洛京だって ぜい六だって 司之助だって

   みんなみんな 慕っていたんだ 我らが師匠

■「手のひらを太陽に」

 今日は「噺の会じゅげむ」の面々が師匠への思いの丈を高座にぶつけます。どうか、最後までおつきあいくださいませ。

       (1999年8月22日・第60回駅前寄席プログラムより)         目次へ                

     

ひとりごとNo8

 

 『激突!天才 VS 怪物』

 味付亭紺染

      観客の心を捕らえて放さない、卓越した話術。その抜群のセンスは、他の

     追随を許さない。また、「鳴り物」の腕も一級品。落語に関する技術をすべて

     兼ね備えた男。彼を「天才」と呼ばずして何と呼ぼう。 

 雀家ぜい六  

       『駅前寄席』ファンの皆様お馴染みのあの男。落語に注ぐ情熱は、半端で    

     はない。今なお大ネタに挑戦し続ける「怪物」。

 

  素人落語界が生んだこの二大スターは、お互いを尊敬しあいつつも、ひとたび 同じ高座に上がると、並々ならぬライバル意識をむき出しにする。今日も、そんな激しい一騎打ちが繰り広げられるに違いない。

ところでこの二人、ともに何らかの事情でアマチュアなのだが、本来なら、プロの中堅どころとして、上方落語界の勢力図はかなり変わっていた、いや、何人かの半端なプロは失業に追い込まれるに違いない。

あ、まもなく「天才VS怪物」の一本勝負が始まります。あなたはどちらに軍配をあげますか?

  【1999年10月17日・第61回駅前寄席「紺染・ぜい六二人会」プログラムより】

                                                     目次へ                

   

ひとりごとNo9  【1999年12月12日・第62回駅前寄席プログラムより】

 

最近なぜか、「モーニング娘」の「LOVEマシーン」なる歌にはまっています。

 ユニークな歌詞と軽快なメロディ、ついつい口ずさんでしまいます。

 で、今回はこの歌の節で我が「噺の会じゅげむ」のテーマソングを作ってみました。

 

   ♪ ほんとに こたえられない 

     あたしゃ今日は 大受け大受け

     自分は ひょっとしたら 

     名人じゃない?

 

     受けなきゃ 謝ればいい

     すべったら ごめんねごめんね

     誰にも わからない 

     このネタ どこで受けるのか

     ミステリー 高座はミステリー

 

     どんなに不景気だって 大入り満員 

     客席笑いの渦で みごと

     お越しのお客様ありがとうございます。

 

     「じゅげむ」の未来は(Wow×4)

     プロもうらやむ(Yeah×4)

     もっと喋ろじゃないか(Wow×4)

     我ら 噺の会 

 

なんと、この歌のビデオまで買ってしまいました。(¥1,020.意外に安かった)

ほぼ、毎日見ております。「そんな暇あったらネタの稽古せんかい!」と言う声が

聞こえてきそうな…。

                                   皆様、よいお年を


                                                              目次へ 

  

ひとりごとNo10  【2000年1月15日・第1回高槻市民寄席プログラムより】

 

このコラムは「交遊亭」から引き続いて私「潮吹亭くじら」が担当します。どうぞよろしく。

 さて皆様、この年末はどのように過ごされましたでしょうか。例の2000年問題でお正月から出勤された方もおられたのではないでしょうか。私の方は、年末は「紅白」年始は「初詣」とごく平均的日本人の過ごし方でした。

 さて、やれマンネリだ何だと思いつつも、やはり見てしまうのがあの「紅白歌合戦」ですな。54組ものいろんなジャンルの歌い手が一堂に会するステージは、なかなか見ごたえがありますね。

 特に、最近何かと冷遇されている演歌歌手たちが、ここでは堂々と頑張っています。別に演歌ファンと言う訳ではないのですが、演歌はやはり日本人の心。滅んでは欲しくない。そう言う意味で、演歌勢の多くが、その年のヒット曲ではなく過去のヒット曲だったのは少々寂しいですね。演歌の新しいヒット曲がもっと生まれて欲しいものです。

 そんな演歌歌手と、若手のアイドルやロック歌手たちと共に交わるステージ、このような歌番組は、今や「紅白」だけですな。今回、最も印象深いのは、小林幸子でも美川憲一でもなく、中村美津子「河内酒」そして、その横で着物姿で踊っていた「モーニング娘」。こんなシーンは「紅白」以外では見られない!(趣味がバラバラやと思われるかも知れませんが、私は中村美津子、モーニング娘、両方のファンです。)

 さて、初詣は伊勢へ行ってきました。この話は、今日の「煮売屋」の枕でいたしましょう。

                                     今年もよろしく。                                                                                                                目次へ

 

ひとりごとNo11  【2000年2月13日・第63回駅前寄席プログラムより】

 

1月15日の「高槻市民寄席」は、予想以上の大盛況のうちに終わりました。これもひとえに「駅前寄席」ファンの皆様の御支援の賜物と、深く感謝しております。

 さて、1月15日といえば「成人の日」というのは昨年までの話。祝日法の改正で、今年から「成人の日」は1月の第二日曜日。それはともかく、各地で成人式のあり方が問題になっています。

 とにかく、新成人たちの成人式におけるマナーがなっていないのです。来賓挨拶の最中に携帯電話で話したり、友人としゃべり続けたり、果ては爆竹を鳴らしたり、胸ぐらを掴んでけんか・・・情けない! いったい誰の何を祝う式典なんだ。こんなニュースを目の当たりにすると、日本の未来が、そして、落語の未来が心配になります。

 落語という芸は、「他人の話を集中して聞く」という最低限のルールの下に成り立っています。ですから「駅前寄席」の場合、このルールの守れそうもない「騒がしい大人及びお子様」の入場をお断りしています。ということは、あの新成人たちは、全員入場をお断りせねばならんということになるではないか。

おーい!いったい誰が聞きに来るんだ。

 自治体によっては、成人式の中止を検討したり、式典を無くして遊園地で開いたり・・・でも、ちょっと違うんじゃないか。最低限のルールを身につけたちゃんとした「成人」を育てるのが社会の任務でしょう。日本の未来はどうなる?

「駅前寄席」を遊園地で開かねばならないなんて、世も末ですぞ!                                          

                                                      目次へ

                

 

ひとりごとNo12  【2000年3月12日・第2回高槻市民寄席プログラムより】

 

早いもので、「噺の会じゅげむ」がホームページを開設して、はや一年たちました。いつも見ていただきましてありがとうございます。…えっ、そんなもん見た事もない? それはそれは恐れ入ります。

 無理もございません。かく言う私も、インターネットなるものには全く興味がありませんでした。もし、私がこの「じゅげむ」に入会していなければ、今でもこう言った物には見向きもしなかったでしょう。

 考えてみたら不思議ですな。私どもは「落語」という、いわば伝統芸を扱う団体です。この様な世界で、時代の先端とも言えるインターネットに目覚めるとは…。

 実は、落語関係のホームページは、結構多いんです。つまり、落語ファンや、プロの噺家さんも、かなりの人たちがインターネットに興味を持っている訳ですな。

 で、私もこのたびEメールを始めることにしました。これを覚えれば、メンバー同士の意見交換が頻繁に行えるだけでなく、たとえば、私が今書いている原稿も、スムーズに担当者に送れます。今はまだ、使い方の勉強の段階ですが…。

 とにかく、一度私共のホームページを覗いて見て下さい。パソコンがお手元になくても、見る方法は色々ございます。アドレスは、

 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2307/ です。

(この文章をホームページでお読みの方へ…この原稿は、会のプログラム用に書かれた物です。あしからず。)

                                                      目次へ                

 

ひとりごとNo13  【2000年4月16日・第64回駅前寄席プログラムより】

 

今回の「駅前寄席」は、「初舞台のネタ特集」ということですが、私潮吹亭くじらは、現在勉強中の「たけのこ」をかけさせてもらいます。

 私の初舞台のネタはなんと「宿屋町」という初心者には難しい噺です。今から思えば、何と大胆な!何とも恐いもの知らずだったのですね。今やれと言われても、できないでしょう。

 そんな私の初舞台は、1998年の7月。当時のプログラムには自己紹介として私の「落語以外で好きなもの」が列挙してあります。(この文章をホームページでお読みの方は、このページの冒頭をごらんください。)なんとここに「新横綱若乃花」とあるではありませんか。この時は思いませんでしたね。まさかこんなに早く引退するとは。

 横綱になってからの彼の土俵は、度重なるけがに泣かされ続けました。大型化した昨今の大相撲の中で、ぎりぎりのところで頑張ってきた横綱は、心身とも摩耗しきっていたのでしょう。

 力士の大型化に伴い大相撲がつまらなくなった、という声をよく聞きます。若乃花の引退で、ますます淡泊で大味な相撲が増えるのではないでしょうか。もっともっと個性的な力士がでてこないと、取り組みの妙味がなくなるように思います。

 取り組みの妙味、それは落語会にもいえます。代わり映えのしないメンバーによる落語だけではどうかなと思いまして、今回は色物として「落語家養成高座」なるものをやることになったのですが、さてさてどうなることやら…。

                                                     目次へ                

 

 ひとりごとNo14  【2000年5月14日・第3回高槻市民寄席プログラムより】

 

 【くじらくご日記7】

 

我らがモーニング娘(こんなことを書くとメンバー全員がファンみたいですな。実はファンなのは私だけです。)初の主演映画「ピンチランナー」が5月20日に封切られます。なんとモーニング娘7人全員(注1)が主演…そんなことが可能なのかな、と思ってたら考えましたね。なんと駅伝の物語。なるほど、これなら全員主演も可能ですな。

 そうです。この駅伝は出場者全員が主役になれるスポーツなのです。複数人の主役を一本のたすきでつないでいるのです。モーニング娘のメンバーたちはこの映画の撮影の一環として実際の公式駅伝の大会に出場して、見事完走したのです。たいしたもんですな。

 で、落語会というのはまさにこの駅伝なのです。芝居等とは違い、落語会は出演者全員が確実に主役になれるのです。さて、本日の「高槻市民寄席」、トップランナーの潮吹亭くじらからアンカーの文々亭小輔まで、見事たすきがリレーされますように。

注1(モーニング娘はしょっちゅう人数が変わります。7人というのは映画撮影当時の人数で、その後4人増えて11人。5月17日に1人脱退して10人となります)

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 ひとりごとNo15  【2000年6月11日・第65回駅前寄席プログラムより】

 

「雀家ぜい六さよなら興行」によせて

 

 2000年6月11日。諸般の事情により、雀家ぜい六は「噺の会じゅげむ」を卒業することになりました。「駅前寄席」ファンの皆様方、さぞお力落としの事でしょう。何と言っても、彼は「駅前寄席」の顔ですから。「噺の会じゅげむ」は、この先会の運営上かなり厳しいハンデを強いられる事になるでしょう。

 しかし、彼はあくまでも「噺の会じゅげむ」を卒業するのであって、落語家「雀家ぜい六」にとっては新たな旅立ちなのです。これまで雀家ぜい六を応援して下さった皆様、どうか引き続き彼を見守って下さるようお願い致します。

 さて、雀家ぜい六が「駅前寄席」の看板男としてつとめる最後の高座は、これまでのご愛顧に感謝の気持ちを込めたビッグプレゼントです。

 まず「代書・完全版」。「代書」という噺は、三代目春団治師や故枝雀師の得意ネタとしてご存じの方も多いでしょう。しかし、実はこの噺はまだまだ続きがあるのです。で、この中でちょっと聞くと外国人差別と受け取られ兼ねないくだりがあります。もちろんこの噺はそのような事は意図しておりませんが(噺を良く聞いていただければお解りになると思います。)現代人には理解しにくい箇所が多いこともあって、今後高座にかけられることはないでしょう。でも、秀逸なギャグ満載のこの噺、このまま埋もれさせるのは惜しいということで、あえて挑戦します。これを聞き逃す手はないでしょう!

 もう一席は「蛸芝居」。上方落語特有のはめもの(噺のバックに流れる三味線などの鳴り物)がふんだんに入るにぎやかな噺です。いわゆる「芝居噺」のひとつで、歌舞伎芝居をよく勉強していないと演じられない、そういう意味では格調高い噺ですが、ストーリーはいたって荒唐無稽、情けないほど馬鹿馬鹿しい。まさに「落語の中の落語」といえるでしょう。

 本日は、どうか「ぜい六ワールド」を思う存分満喫して下さい。そして、今後の雀家ぜい六、並びにぜい六が去った後の「噺の会じゅげむ」に引き続きご声援下さいますよう、お願い申し上げます。

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  ひとりごとNo16  【2000年8月13日・第66回駅前寄席プログラムより】

 

我々「噺の会じゅげむ」の活動のメインは、この「駅前寄席」及び「高槻市民寄席」といった定期公演ですが、他に慰問として色々な施設等にもおじゃましております。先日、私潮吹亭くじらは初めてその慰問を体験いたしました。今回はそのお話です。

 6月24日、高槻市川西コミュニケーションセンターにおいて行われた独居老人のための昼食会の慰問に代表寿亭司之助とともに行ってまいりました。地域のお年寄りたち約30名の前で、2人で30分程の高座を勤めることになりました。

 私の場合、普段は「駅前寄席」のお客様の暖かさに甘えてる部分があるのですが、今日はそんな訳にいくだろうか…そんな心配は一切無用でした。

 潮吹亭くじら「たけのこ」、寿亭司之助「寿限無」、2席ともなかなかの受けようでした。特に、私にとっては今後の高座への大きな自信になったと思います。聞いて下さったお年寄りの皆さん、お世話下さったセンターの方々、心から御礼申し上げます。

 これからも、私たちはこのような活動にも力を入れていきたいと思っております。お声をかけてくだされば、どこへでも参りますので、よろしく!

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 ひとりごとNo17  【2000年9月24日・第4回高槻市民寄席プログラムより】

 

【くじらくご日記8】

 

1996年11月、摩訶不思議な歌が巷に流れ出しました。その曲の名は「ヨーデル食べ放題」。歌うは上方落語界の実力派桂雀三郎師。「枝雀寄席」や関西のラジオ等でも紹介され、そこそこのブームにはなりました。しかし、CDの売上枚数は2000枚程度。もちろんオリコンチャートなどとは全くの無縁でした。 

 

ところが、今年になって突然この「ヨーデル食べ放題」がブレイクしだしたのです。6月ごろ、東京ニッポン放送の高田文夫氏のラジオ番組で紹介されて急に脚光をあびはじめました。あれよあれよという間に、オリコンチャートに顔を出しました。9月14日現在63位(最高48位)で9週連続ランクイン総売上枚数36870枚。もう立派なヒット曲です。

 

 ただ、このブームは東京が主で、本拠地である関西ではまだブームには至ってません。逆に言えば、関西で今の東京並に売れ出すと、さらに順位が上がりそうです。

 

我々「噺の会じゅげむ」は、上方落語界が産んだこの曲を大ヒットさせたいと考えています。本日は、開演前及び中入りに「ヨーデル食べ放題」をお聞き頂きます。お気に召しましたら、CDをお買い求めくださいませ。

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 ひとりごとNo18  【2000年10月15日・第67回駅前寄席プログラムより】

  

駅前寄席特別プロジェクト

     「ヨーデル食べ放題」高槻ブレイク大作戦!

 

96年11月、上方落語界の実力派桂雀三郎師が歌う「ヨーデル食べ放題」なる歌が巷を賑わせました。関西のラジオ等でも話題になりました。しかし、CDの売上枚数は2000枚程度で一過性のブームと思われていました。ところが、今年になって東京ニッポン放送の高田文夫氏のラジオ番組でこの歌が紹介されるなり、とんでもない事になりました。まず、オリコンチャート(一週間CD売上ランキング)に登場。最高48位、10週以上連続ランクインで、総売上枚数は四万枚を突破。どこへ出しても恥ずかしくないヒット曲に成長致しました。

 また、東京のコンビニでは「ヨーデル焼肉弁当」なるものが発売されました。また「月刊歌謡曲」といういわゆる歌本の10月号・11月号には楽譜入りで掲載。そして「JUNON」という若い女性向け雑誌にまで登場。留まるところを知りません。

 しかし、我々上方落語ファンは少々複雑な思いです。この大ヒット曲を生み出した筈のこの関西でなぜかまだブレイクに至っていないのです。この名曲を一人でも多くの関西人に知ってもらいたい。真の全国ヒット曲に成長させたい。

 そこで、我々「じゅげむ」は立ちあがりました。我が本拠地高槻に「ヨーデル食べ放題」旋風を巻き起こしたいと思っています。本日開演前にこの歌を聞いて戴きます。もし、お気に召しましたら・・・

 1.CDを御購入下さい。グリーンプラザ内「新星堂」でも購入できます。

   店頭になければとりよせてもらえます。

 2.ラジオのリクエスト番組にはがきを出してください。

 3.カラオケボックスへ行かれたとき、歌ってください。今のカラオケは

   通信システムですので、一曲歌う毎にカウントされます。

 これで、大泉逸郎「孫」級のスーパーヒット曲になる・・かも。年末の「紅白」が楽しみだなぁ・・・。

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 ひとりごとNo19 【2000年11月12日・第5回高槻市民寄席プログラムより】

 

【くじらくご日記9】

 

先刻ご承知のとおり、ミヤコ蝶々師が10月12日亡くなられました。蝶々師の活躍ぶりは、あえて説明は要らないと思います。

 ただ気になるのは、この事に関する報道のされかた、というより蝶々師の紹介のされかたです。「上方芸能界を代表する喜劇女優」これは間違いとは言えませんが、どちらかと言えは「日本を代表する喜劇女優」だと思います。活動の拠点は関西でしたが、その影響力は日本芸能界全体に及んでました。

 もっと気になるのは、「ナニワのオカン」という呼び方。蝶々師はそんなちっぽけな存在ではないのです。もっともっと心から尊敬できる「人生の師匠」とでも申しましょうか。

 「上方」とか「ナニワ」などと限定する必要はないのです。世の中の動きを常に的確に捉え、脚本・演出・主演を一人でこなす姿は「日本のチャップリン」とでも申しましょうか。いずれにしても、21世紀を目の前にして、20世紀最大のスターがこの世を去りました。

心よりご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo20 【2000年12月10日・第68回駅前寄席プログラムより】

 

 耳をすませば、21世紀の足音が聞こえてきます。さて、きたるべきこの21世紀、落語という芸はいったいどうなるのでしょう。

 確かに、今時の芸とはちょっと言いにくいですね。着物を着て正座をしてたったひとりでしゃべるだけ。話の時代設定はほとんどが江戸時代もしくは明治時代。なぜこのような芸が今日まで生き残ってきたのでしょうか。それには次の二つのことが考えられます。

 一つは、聞き手の想像力に助けられてきた、ということがいえるでしょう。何の舞台設定も無い分、落語の世界は聞き手一人一人の頭の中に無限に広がってゆくのです。落語の歴史とは、聞き手の想像力をどう掻き立てるか、語り手の創意工夫の歴史とも言えるでしょう。

 そしてもう一つ。それは落語の世界は決して古くはないということです。たとえ時代設定が江戸時代明治時代であっても、登場人物はみんな等身大の人間達。決して賢くは無いけれど本音の部分で堂々と生きている、そんな人間達に何と無く共感を呼ぶのです。

 だから、やれ「IT革命」だの「BSデジタル放送」だのと叫ばれてる昨今でも生き残れたのだとおもいます。私達「噺の会じゅげむ」はそんな落語に携わっていることを誇りに思っています。また、河島英五の歌じゃないけれど、一見「時代おくれ」であることが、かえっておしゃれじゃないかなとも思います。

 21世紀も「噺の会じゅげむ」は落語にこだわり続けます。

                          これからもよろしく。

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 ひとりごとNo21 【2001年1月18日・第69回駅前寄席プログラムより】

 

ご存じの方はご存じでしょうが、我々「噺の会じゅげむ」はインターネットのホームページを持っています。

 

 メンバー紹介、過去の活動報告等いろいろなページがありますが、中でも異彩を放っているのが「落語国探訪」のページです。これは「じゅげむ」のメンバーが、落語の舞台となっている場所を実際に訪れレポートするというものです。で、その一環として先々週の2月4日にとんでもないことをやってまいりました。

 

「池田の猪買い」という噺で主人公の男が歩いた道筋、大阪の丼池から池田までの約23キロの道程を実際に歩いて、噺の世界を体験しようという企画です。ふだん運動とほとんど縁のないメンバー4人が、池田をめざして北へ北へ・・・

 

丼池筋(今は「丼池ストリート」と名を変えています)を北へどーんとつき当たり、淀屋橋、大江橋、蜆橋(今は有りません)。十三の渡し、三国の渡しはどちらも橋になっています。服部の天神さんは噺では通過するだけですが私達は、ちゃんとお参りしました。

 

池田市域に入ったあたりで、さすがに普段の運動不足がたたって足が重くなってきます。昔の人の健脚ぶりには脱帽。また、こんな思いをして手に入れようとした猪の身とは、どんな魅力的なものだったのでしょう。

 

このような体験を通して、我々の演じる噺に深みが出ればいいな、と思っています。詳しい様子は是非ホームページをごらんください。

                            【落語国探訪へ】       目次へ                                                       

  

 ひとりごとNo22 【2001年3月11日・第7回高槻市民寄席プログラムより】

 

【くじらくご日記10】

 

昨年9月の「高槻市民寄席」、10月の「駅前寄席」において我々は「桂雀三郎withまんぷくブラザーズ」の歌う「ヨーデル食べ放題」のキャンペーンを行いました。開演前、中入りと「ヨーデル流し放題」でお客様方は耳にたこが「出来放題」だったかもしれません。

 で、「その後あの歌はどうなったの?」という問い合わせが殺到・・してる訳ではないのですが、ちょっとご報告申し上げます。CDの総売上枚数は、約7万枚。この勢いを受けて11月にはアルバム「雀肉共食(じゃくにくきょうしょく)」をリリース。東京のある居酒屋チェーン店ではこのアルバム収録曲「煮えろ!水炊きよ」にあやかった鍋料理が期間限定で出たといいますから、大したものです。

 年末の「紅白歌合戦」の出場こそなりませんでしたが、年始の特番には何本か出演して「歌い放題」。ご覧になった方もおられると思います。さらに、雀三郎師は「上方お笑い大賞・最優秀技能賞」を獲得されました。受賞理由はあくまでも本職の落語によるものだそうですが、やはり「ヨーデル」との相乗効果もあるでしょう。(もちろん、雀三郎師はどんなに歌が忙しくても、落語で手を抜くような人ではありません。)

 それで、今一番特筆すべきは、「ヨーデル食べ放題・ダンスバージョン」の出現でしょう。「J・PARADISE」という、日本のヒット曲をダンスミュージックにアレンジした曲を集めたCDの中に収録されています。本日の開演前にお耳にかける予定です。この軽快なリズムに乗って、今日もどこかでガン黒に厚底ブーツのお姉さん達がパラパラを「おどり放題・・」

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 ひとりごとNo23 【2001年4月8日・第70回駅前寄席プログラムより】

 

人それぞれ「趣味」があります。読書、スポーツ、音楽鑑賞などなどまさに千差万別です。で、この趣味を大きく分けると次の二つになると思います。

 一つは、他人がしていることを見たり聞いたりする趣味。映画や芝居を見に行ったり、プロ野球の観戦などがこれにあたります。もう一つは自分が実際に行動する趣味。ダンスや歌を習って発表したり、草野球チームに入ってプレーしたり、日曜大工でいろんな物をつくったり、これもいろいろです。

 特に、どちらが良くてどちらが悪いと言うことではないのですが、物事は、実際行なってみると、見ていただけではわからなかったものが見えてくるようです。

 落語でもそうです。実際私は約10年間、落語を聞くのが趣味でした。これはこれで楽しかったです。しかしひょんなことからこの「噺の会じゅげむ」の存在を知り、落語を演じる側に回りました。お陰で、聞いているだけではわからなかった奥の深さを感じる事ができました。

 今日お越しになったお客様方。いつもありがとうございます。私どもの高座を見て「私も、しゃべってみたい」と思われた方、遠慮なくメンバーに声をかけて下さい。私どもは諸手をあげて歓迎いたします。

 探って見よう!落語の真の魅力を・・・

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 ひとりごとNo24 【2001年5月13日・第8回高槻市民寄席プログラムより】

 

【くじらくご日記11】

 

並木路子さん、三波春夫さん、そして河島英五さんと戦後のそれぞれの時代を代表する歌い手さんが相次いでこの世を去りました。この三人の誰に対する思い入れが強いかで、その人の年代が分かるのではないでしょうか。

 日本の戦後は、並木路子さんの「リンゴの唄」で始まったとも言えるでしょう。敗戦によってすさんでしまった日本人にとってこの歌は、今風に言えばまさに「癒し系」のメロディだったのです。

 そしてすっかり立ち直った日本人は、世界に追い付け追い越せとばかり働き続けやがて高度成長期を迎えます。三波春夫さんの「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」が日本中で歌われた頃がその絶頂期とも言えるでしょう。やや日本人が浮足立って来るころで、やがて「バブル期」がやってきます。

 そのバブル期に警鐘を鳴らしつづけたのが、河島英五さんの「時代おくれ」。浮かれ気味の日本人たちに「それでいいのか」と訴えています。その予言どおりバブルははじけ、今に至ります。

 「歌は世に連れ」といいますが、この3人は日本の戦後史そのものです。ご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo25 【2001年6月10日・第71回駅前寄席プログラムより】

 

お陰様で「駅前寄席」には、いつも100名近くのお客様にお越しいただいております。名も無い素人の落語会に、日曜日の昼下がりの貴重な時間をさいて足を運んでもらえるというのは、身にあまる光栄であります。それにもましてありがたいこと、それは会の終わった時のお客様方の笑顔。「おもしろかったよ」「また寄せてもらいます」とお声をかけてもらう瞬間。「落語をやっててよかった」と心から思える至福の時であります。

 私たちはどうも錯覚におちいってるようです。今の世の中、娯楽であふれかえっていると。確かに、家にはテレビ・ラジオにインターネット、外には映画・カラオケ・レンタルビデオ。しかしその一方で、娯楽に飢えている人達も結構おられるのです。特に、一人ぐらしのお年寄り等、話相手もなく寂しい毎日を送っておられる方も多いようです。そのような方々が、私達の高座を心待ちにされていると、先日うかがいました。

 このような話をうかがうと、私達の責任は重大です。私達が思っている以上に、私達は期待されている。そう、終演後のあの笑顔を裏切る訳にはいきません。今日も、「じゅげむ」のメンバーはあの至福の笑顔を心待ちに高座に上ります。どうか最後までごゆっくりと・・・。

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 ひとりごとNo26 【2001年7月22日・第9回高槻市民寄席プログラムより】

 

【くじらくご日記12】

 

先刻ご承知のとおり、2008年夏季五輪開催都市選考において大阪市の落選が決定しました。市長をはじめ、関係者各位には申し訳ないのですが、私としては落選すべきして落選した、と思えてなりません。なぜなら、大阪が五輪開催に向けて街をあげて盛り上がっていたとはどうしても思えないからです。確かに、街の至る所に「オリンピックを大阪に」なるポスターが貼られました。

しかし、我々市民は本当に五輪開催を待ち望んでいるのでしょうか。もちろん、待ち望んでおられた方々もおられるでしょう。でも、開催決定都市北京の市民達の様子を見ていると、やはり大阪市民はさめていると言えわざるをえないでしょう。

 実際、今大阪に五輪は必要なのでしょうか。財政的にも大阪市は決して余裕はありません。(その辺は、IOCにも見抜かれてました。)市民には、五輪開催は税金の無駄遣いとしか思えないのです。五輪のために造られた施設が、その後の市民生活に有効利用できる保証もありません。これでは、街をあげて盛り上がるわけにはいかないでしょう。

 「市民」をおいてけぼりした五輪招致に未来はない・・・規模は全く違いますが、この「高槻市民寄席」。「市民」の皆さんと二人三脚で突き進んで行きたいと思っています。街をあげて盛り上がるのはいつの日か・・・

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 ひとりごとNo27 【2001年8月19日・第72回駅前寄席プログラムより】

 

ワッハ上方を守ろう

 

今回「駅前寄席」が「枝雀ネタスペシャル」を行う事に歩調を合わせるように、ビッグニュースが舞い込みました。我らが枝雀師が「ワッハ上方・第6回上方演芸の殿堂入り」に決定いたしました。喜ばしいことではありますが、枝雀師の生前の功績から考えると至極当然であるともいえます。また、「殿堂入り」ということで、枝雀師も伝説の人の仲間入りなのか・・・と、ちょっと寂しい気もします。

 

さて、ご存じの方もおられるでしょうが、この「ワッハ上方」が今、危機にさらされています。大阪府の財政再建計画の一環として、なんと「閉鎖」が検討されているのです。さすがに、運営の民間委託などの方策をとるということで、最悪の事態はまぬがれそうですが、まだまだ予断を許しません。 たしかに、現在の「ワッハ上方」には、不十分な部分もあるでしょう。しかし上方文化の継承・発展のためのキーステーションとして、今や欠かせない施設なのです。しかも、上方演芸界にとって貴重な資料がたくさん収められています。民間委託するにしても、これらの管理について責任の持てる相手を選ばないととりかえしのつかないことにも成り兼ねません。なんとしても「ワッハ上方」を守りたい。一人でも多くの方に訪れて貰いたいと思います。この度殿堂入りした枝雀師の功績を無にしないためにも・・・

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 ひとりごとNo28 【2001年9月23日・第10回高槻市民寄席プログラムより】

 

ニュースの価値観

 

 日本時間9月11日午後10時ごろ、米国で、ハイジャックされた複数の旅客機による同時多発テロが起きました。米国経済の象徴である世界貿易センタービルが崩壊してゆくさま、そして米国の軍事の中枢であるペンタゴンの惨状は筆舌につくしがたい衝撃でした。

 卑劣極まりないテロにより、多くの尊い人命が、莫大な財産や情報が、一瞬にして消え去りました。「都市」というもののもろさを痛切に感じました。

 ところで、当然のことながらこの日のTV番組は、このニュース一色。超ビッグニュースの前に、他の出来事はすっかり飛んでしまいました。「新宿雑居ビル火災」「高祖議員派大量選挙違反」「中学教師女子中学生放置死亡事件」「狂牛病問題」そして「台風15号」それぞれが大ニュースのはずでした。しかし、あの「米国多発テロ」とのニュース価値はまさに雲泥の差なのです。やむを得ない事とは言え、「ニュースの価値感」というものを考えさせられた出来事でした。

 本日「高槻市民寄席」は、予定通り行います。このような時期とはいえ、いや、こんな時期だからこそ笑いのエネルギーをお越し戴いた皆様におすそ分けしたいと思っています。

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 ひとりごとNo29 【2001年10月14日・第73回駅前寄席プログラムより】

 

志ん朝師匠逝去

 

落語ファンでありながら、東京落語はあまり聞きません。上方落語にくらべて今一つなじめないから・・・そんな私の「例外」の一人こそ先頃亡くなられた古今亭志ん朝師匠であります。「ミスター江戸前」ともいうべきあの歯切れのよさ、「粋」ということばが最も似合う噺家さんでした。

 で、ふと思ったのですが、二年前に亡くなられた枝雀師匠と志ん朝師匠とは数々の共通点があります。まず若くして亡くなられたこと。共に享年は六十代。噺家として最も味の出てくる頃で、まさに「惜しい」の一言につきます。次には「役者」としても一線級であったこと。テレビ、舞台を通じて、両師匠ならではの存在感を示しました。そしてなんといっても、この両師匠のファン層には、東西の垣根がありませんでした。思えば、志ん朝師匠は、何度も大阪へ来られてました。もっと聞いておけば良かった!悔やまれます。

 あの世へ行ったとき、ぜひとも聞きたい「志ん生・志ん朝親子会」「馬生・志ん朝兄弟会」そして「枝雀・志ん朝二人会」・・・・・

 こころからご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo30 【2001年11月11日・第11回高槻市民寄席プログラムより】

   

おめでとう、大阪近鉄バファローズ

 

 何かと暗いニュースの多い昨今、大阪人にとっての久々の明るい話題といえば大阪近鉄バファローズの12年ぶりのリーグ優勝でしょう。日本一こそ逃したものの、今年のバファローズは大阪の街を思いっきり盛り上げてくれました。野球に興味の無い方もまた他のチームのファンの方も、今回はこの話題にお付き合い下さいませ。

 今回の優勝には「奇跡」という言葉がついてまわります。確かに、いろいろな意味で「よくぞ優勝できた」といえるでしょう。

 まず奇跡の一つ目は、昨シーズンまで2年連続の最下位であったことです。昨年から今年にかけて、選手の顔触れはそれほど変わっていません。個々の選手のレベルアップはあったでしょうが、最下位からいきなり優勝、多くの評論家や野球ファンは面食らったことでしょう。

 二つ目は、防御率(投手が一試合当たり相手チームに何点取られるかを示した数値)が12球団で最低、つまり最も相手に点を取られるチームでした。このようなチームが勝ち続けるためには、よほど打って打ちまくらないと無理です。中村、ローズを中心とした「いてまえ打線」のフル回転でようやく勝ち取った優勝でした。そして、優勝を決めた代打逆転満塁サヨナラ本塁打に代表されるように、今年はドラマチックな試合の連続でした。けっしてスマートとは言えないけど、ファンの心をつかんで離さないゲームで我々を楽しませてくれました。

 そんな今年のバファローズの野球を落語で言えば、そう、枝雀師匠!爆笑に次ぐ爆笑でファンの心を離さなかった枝雀落語。来シーズンも、ファンと共に歩む「枝雀野球」で、めざせ日本一!

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 ひとりごとNo31 【2001年12月9日・第74/75回駅前寄席プログラムより】

  

 We love グリーンプラザ

                       

 平成4年11月23日、グリーンプラザ5階の「吟醸酒蔵みゅーじあむ」館長

成岡氏の発案により「グリーンプラザ寄席」が開催されました。これが現在の「駅前寄席」の前身です。この日以来「駅前寄席」は、グリーンプラザとともに歩んできました。まさに「運命共同体」なのであります。

 そのグリーンプラザ、正直な話やや元気が無いように思えてなりません。実際テナントとして入っているお店の数も減っています。「駅前寄席」は大丈夫なのか・・・。

 「駅前寄席」はグリーンプラザ及びお店一軒一軒の理解と支援の上に運営されてきました。我々はそのご恩返しをしていかねばなりません。もちろん、メンバーひとりひとりが頑張って一人でも多くのお客様に楽しんでいただくこともそうなのですが、それプラス、お客様がたに次のことをお願いしたいのです。

 「駅前寄席」終了後、お時間がございましたらグリーンブラザ内のお店をのぞいてみて下さい。結構魅力的なお店が多いです。特に、5階の飲食店街、これは一見の価値ありです。冒頭で申しました「吟醸酒蔵みゅーじあむ」は「駅前寄席」の産みの親。一度冷やかしにきてみてください。

 我らがふるさと、がんばれグリーンプラザ!

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 ひとりごとNo32 2002年1月27日・第12回高槻市民寄席プログラムより】

 

昨年末から今年にかけて、上方落語界にビッグニュースが相次いで起こりました。まず、昨年12月8日、桂吉朝師が第30回上方お笑い大賞を受賞されました。この賞は、これまでどちらかといえばマスコミへの露出度の高い人が選ばれる傾向が強かったのです。それだけに、今回、地道に本芸の落語一筋に取り組んでこられた桂吉朝師の受賞は大変意義深いものがあります。我々落語愛好家の代表とも言える吉朝師。今後ますますのご活躍を期待してやみません。

 明けて1月2日。サンケイホールでの米朝独演会。実はこのような大ホールにおける独演会はこれがラストとのことです。喜寿を迎えられてもまだまだお元気な米朝師。引退というわけではないのですが、やはり一つの時代の終わりを感じます。

 で、この日静かに息をひきとられた一人の噺家さん・・・桂歌之助師、享年

55歳。吉朝師同様、地道に落語に取り組んでこられた方でした。米朝一門らしい端正な語り口と、ウィットにとんだまくらが持ち味でした。こういう噺家さんに、もっと光を・・・と思っていた矢先のことで、残念なことこの上ありません。心からご冥福をお祈りします。

 そんなこんなで、今上方落語界は大きな転換期にあると言えます。落語愛好家には、目の離せない年になりそうです。そして、我が「噺の会じゅげむ」にとっても重要な年となるでしょう。

 今年も、高槻市民寄席並びに噺の会じゅげむをよろしくお願い申しあげます。 

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 ひとりごとNo33 【2002年2月17日・第76回駅前寄席プログラムより】

 

         「すきやねん、みゅーじあむ」

 

ユニークな店が立ち並ぶ、グリーンプラザたかつき1号館5階飲食店街。中でも異彩を放っているのが、「駅前寄席」及び我ら「噺の会じゅげむ」の産みの親であり、現在も我々の事務局となっている「吟醸酒蔵みゅーじあむ」であります。

 ここの主人、成岡卓翁氏は店長でもマスターでもなく「館長」と呼ばれています。みゅーじあむとは、日本語で博物館。そう、ここはお酒の博物館なのです。日本中の酒蔵に、館長が自ら足を運び、自らの舌で選んだお酒が、店内に所狭しと並んでいます。

 そんな館長のお酒へのこだわりは半端ではありません。まさに職人気質です。こんな個性豊かなお店の存在が、高槻にお住まいの方々はもとより、駅前寄席にお越しのお客様方にもあまり知られていないのが、残念でなりません。お酒がお好きな方なら、一度足を運べば、病み付きになること請け合いです。お酒をお飲みにならない方も、ぜひ一度冷やかしに来てみてください。

 高槻に居ながら日本中の名酒が楽しめる「吟醸酒蔵みゅーじあむ」。ここはもちろん、駅前寄席終了後の打ち上げの会場でもあります。さあ今日も精一杯しゃべりましょう。おいしいお酒が待ってるよ・・・・。

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 ひとりごとNo34 【2002年3月10日・第13回高槻市民寄席プログラムより】

 

私共「噺の会じゅげむ」にも新しいメンバーが相次いで入会されまして、楽屋裏も随分にぎやかになりました。で、本日の「高槻市民寄席」は、そのニューフェイスのひとり、山椒家小粒さんの初舞台です。この小粒さんの高座は「噺の会じゅげむ」史上初の江戸落語です。お客様方同様、我々も大変楽しみです。

 さて、「お座敷芸」として発展した江戸落語、かたや「大道芸」から発達した上方落語。300年近い歴史のなかで、随分性格の違う芸になりました。上方落語では当たり前になってる事柄が、実は両者の違いなのです。例えば、見台、膝かくし、これは江戸落語では使いません。また、はめ物(噺の中に入る三味線などの効果音)も江戸にはありません(当初は出囃子もなかったのです)。だから、江戸落語のほうがおとなしいという印象があります。上方落語を聞き慣れていると、江戸落語に物足りなさを感じる方もおられるかも知れません。

 しかし、長い歴史の中で人々に親しまれて来たという点で、両者には何の違いもありません。昨今は、交通機関やマスコミの発達により、両者の交流も頻繁に行われています。今後、両者の間の垣根は、ますます低くなっていくことでしょう。江戸だ上方だと区別するような時代ではないのかも知れません。私の落語

に対する認識を変えてくれた小粒さんに感謝しつつ・・・

 

あっ、まもなく開演です。

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 ひとりごとNo35 【2002年5月19日・第14回高槻市民寄席プログラムより】

 

落語ファンになって十数年、今日に至るまで、私の好きなもののトップは常に「落語」なのです。で、それ以外の好きなものは、いろいろ変動しています。一時思いっきりはまっていた「モーニング娘。」今もファンではありますが、やや冷め気味です。(私の影響で「娘。」ファンになったS之助さん、ごめんね。)

 現在、「娘。」に変わって一推しの歌い手さん、前田有紀(まえだ・ゆき)さん。歌謡界の大御所、五木ひろしさん主催の歌謡コンクールで優勝したのが15歳。その後、ボイストレーニングを積み、2000年4月、二十歳でデビュー。「五木ひろしプロデュース」として演歌系歌手として活動する一方、「ハロープロジェクト」という、「モーニング娘。」の仲間、いわば一門会のメンバーとしても活躍中。アイドル的ルックスプラス卓越した歌唱力。もっともっと人気が出てしかるべき逸材であると思います。

 今年2月にリリースされた3枚目のシングル「東京、宵町草。」は、プロデューサーの五木氏が作曲を手掛けた「2002年の勝負曲」。彼女の伸びやかな歌声にマッチした意欲作です。本日、開演前にお耳にかけたいと思います。また、あさって5月21日「NHK歌謡コンサート」に出演します。もし良ければ私と一緒に前田有紀さんを応援していただけると、幸いです。思えば、故桂枝雀師の本名は「前田達」(まえだ・とおる)。「前田」という姓には、何かと縁がありますねぇ・・・

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 ひとりごとNo36 【2002年6月23日・第78回駅前寄席プログラムより】

 

まずは、おめでとうございます。サッカーワールドカップで、日本代表が堂々決勝トーナメント入りを果たしました。このプログラムがお手元に届くころにはそのトーナメントの結果も出ていることでしょう。

 

 それにしても、日本国中、異様な盛り上がりようです。私がサッカーにあまり詳しくないせいでしょうか。日本人が、サッカーと言うスポーツにこれほど熱狂している姿が、どうも信じられないのです。というか、よくも悪くも日本人も変わったな、というのが率直な感想です。サッカーは、選手もサポーターも、喜怒哀楽をストレートに表現します。選手がゴールを決めると、チーム全体で狂気乱舞します。その喜びを身体一杯に表すのです。

 

比べる対象が極端過ぎますが、日本古来のスポーツ大相撲の場合、たとえ優勝をきめても感情を表には出しません。たぶんないでしょう、優勝力士が土俵上を走り回ったり、躍ったり、ユニフォームを脱いだり・・・(おーっと、力士はもともと裸でした・・・)

 

 むやみにはしゃがないこと、これが日本人の美徳とされてきました。例えば高校野球における選手の塁上のガッツポーズ、プロ野球優勝チームのビールかけにも、批判がでてくる・・・よくも悪くも、これが日本の国民性なのです。ただ、この批判の裏には「負けた相手を思いやる」という考えかたがあるのです。サッカーの場合も、この思いやりが皆無とは申しません。でも、日本人的感覚からすると、ちょっとはしゃぎすぎ、とも言えます。

 

 今後、サッカーというスポーツは、どこまで日本に根付くのか。盛り上がるのはおおいに結構です。ただ、こころのどこかに、日本人の美徳も忘れないでほしいものです・・・。

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 ひとりごとNo37 【2002年7月21日・第15回高槻市民寄席プログラムより】

 

突然ですが、皆さんは「ジェンダー」という言葉をご存じですか? 

 

かく言う私も正確には把握していませんでした。先月29日、高槻市女性センター主催の「男女共同参画週間イベント」が、ここ交流センターの8階イベントホールにて行われました。第一部は、男女共同参画をめざす調査・研究活動を行う高槻市内の3団体の代表による発表がありました。そして、第2部が「桂文也のジェンダーブレイク」と称する講演会でした。

 

 文也氏の説明によると、「ジェンダー」とは、歴史的・文化的・社会的に作られた性差つまり、固定観念化された男女の役割及び生き方の事だそうです。真の意味での男女共同参画社会を作るには、「男らしく」「女らしく」ではなく「人間らしさ」が大切であるとのことでした。私にとっては、「常識」と思っていたことが実は「ジエンダーフリー」の考え方に反している・・・

 

 何かとカルチャーショックでした。しかし、もっとショックだったのは、講演者の桂文也氏が落語家であることです。私の印象では、落語家というのは「ジェンダーフリー」の考え方とは真逆の位置に居るように思うからです。例えば、大ベテランのZ師は「女というものは、男に尽くして尽くして尽くしてそして死んでいくもの」と声高に叫んでいます。文也氏の兄弟子でもあるK師は「今、午後8時。家庭の主婦の出歩ける時刻や無い。旦那は何とも言わんのか」とうそぶいています。そんな人達の集まりの中で修業を積んできた文也氏が、なぜ「ジェンダーフリー」の考え方に目覚めたのか・・・

 

 いずれにしても、男女共同参画社会への道はかなり曲がりくねってるようです。まずは、自分自身が、少しずつでも変わっていけたら・・・・

                                                                                              

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 ひとりごとNo38 【2002年8月18日・第79回駅前寄席プログラムより】

 

我々が皆様に聞いて戴いている落語は、そのほとんどが「古典落語」と呼ばれているひと昔もふた昔も前の時代のお話です。そのようなお話をしゃべる場合皆様にその落語の世界がどこまで伝わっているのか、時として不安になることがあります。それは単に言葉の意味-例えば現在使われない「かんてき」「へっつい」「おうこ」といった言葉の意味-だけではなく、現在とは違う時代背景がどこまで伝わっているのか、ということです。

 

 古典落語には、よく歌舞伎や浄瑠璃が出てきます。そしてそれはその時代の「一般常識」として登場します。子供からお年寄りまで、誰もが歌舞伎や浄瑠璃を知っている。まさに現代では考えられないことです。それは単に歌舞伎や浄瑠璃を知っているということだけではありません。今の時代、「誰でも知っている一般常識」というものが意外に少ないのです。例えば若者やごく一部のおじさんに大うけの「モーニング娘。」にしても、当時の歌舞伎や浄瑠璃に匹敵する一般常識とは言いにくいものがあります。

 

 そういった「一般常識」を前提条件にして落語のストーリーは展開していきます。こういう時代背景をどこまで皆様に解っていただけるか、我々の腕の見せ所であります。本日、私潮吹亭くじらがやらせて戴く「千両みかん」にも、現代では考えられない「一般常識」が出てきます。それは・・・高座でお話しします。

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 ひとりごとNo39 【2002年9月22日・第16回高槻市民寄席プログラムより】

 

ショックでした。この出来事の前には「米国同時多発テロから一年」と言う

ニュースなどどこかへ飛んでゆきました。9月9日、かねてから解体工事中で

あった道頓堀「中座」が火災により全焼しました。また隣接する「法善寺横丁」も類焼。上方文化のシンボルが一瞬のうちに灰になってしまいました。「解体中」ということで、いずれ取り壊される運命にあったとはいえ、見るも無残な「中座」の燃え殻・・・なんとも心が悼みます。

 

 思えば、上方文化の発信基地であったはずの道頓堀界隈。ここ数年で随分様

変わりしました。「道頓堀五座」といわれた、朝日座・弁天座・角座・浪花座、

そして中座。五つとも今は解体中もしくは他の建物となっています。時代の流

れとはいえ、今や道頓堀は「普通の繁華街」に成り下がってしまったように思

えてなりません。しかも、「中座」といえば、藤山寛美、ミヤコ蝶々といった上

方が、いや日本が世界に誇る喜劇人を生み育てた劇場です。本来なら「文化財」として何らかの形で保存されてしかるべき建物なのです。そんな「中座」が灰

に・・・なんとも、情けない。

 

 私は思います。これは、貴重な上方文化を粗末に扱ってきた大阪人に対して、神様が与えた大きな罰ではないかと。目先の利益に目がくらみ、本当に大切な

ものを忘れてしまった私たちに対する警鐘ではないでしょうか・・・

 「中座」の跡地はどうなるのでしょう。道頓堀が「古典落語」の中だけの街

にならないことを願ってやみません。

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 ひとりごとNo40 【2002年10月27日・第80回駅前寄席プログラムより】

 

素人ながら落語に携わっていてると、落語の世界の住人たちがうらやましく思えます。特に長屋では、住人同士のコミュニケーションが活発です。みんな、誰彼なしに時には

親切、時にはお節介を焼きます。ある意味、理想的な人間社会です。

 

ところが、現実社会はどうでしょう。団地などでは、隣に誰が住んでいるのかも知らない。そして、他人のことはなるべくかかわりたくない。人間関係が年々希薄になっているように思えます。現代において、あの落語的生活は望めないのか・・・

 

 最近私は、パーソナルコンピュータの中に理想的社会を見つけました。ミニコミ誌「ぱど」が運営する「ぱどタウン」です。この「擬似都市」に「住民登録」をします。はじめはマンションの一室に住みます。そこでいろいろなゲームや他住民との交流を進める中で生活のレベルアップをはかります。

 

で、ここに住んでいると毎日のように多くの住民の方がたずねてきます。その方々に

お返事したり、またこちらからたずねて行ったりするなかで、多くの「ぱど仲間」ができました。「ぱど仲間」たちは、それこそ落語の世界の住人たちのように、積極的に交流を

求めてきます。その顔ぶれは、主婦、大学生、そしてなんと中学生の女の子! 実社会

では人付き合いの苦手な私が、「ぱどタウン」では、毎日楽しくコミュニケーションをはかっています。また、今日の「駅前寄席」にも私の「ぱど仲間」が来てくださってる・・・こと

になっています。

 

 パソコンをお持ちの方。「ぱどタウン」の住民になってみませんか。思わぬ出会いがあなたを待っているかも。

http://www.padotown.net/                             目次へ                                                                   

 

 

 

 ひとりごとNo41 【2002年11月17日・第17回高槻市民寄席プログラムより】

 

「笑福亭小松」という噺家さんをご存知ですか。1972年に15歳で六代目

松鶴に入門。将来を嘱望されながら、「悪い遊び」の誘惑に負け、借金による逃亡・放蕩の繰り返し。「上方落語界の超問題児」とまで言われました。

 

 そんな小松さんが見事生まれ変わりました。1996年12月、「進行性胃がん」と診断され、翌年1月に胃、脾臓、すい臓の摘出手術を受けました。進行性末期がん。手術後の生存率15%という絶望感の中、あることを思い立ちます。なんと、日本列島徒歩縦断!3000㌔、130日間。その中で「がん克服落語会」を各地で開催。それぞれの町で、がん患者たちを励ましてゆきました。落語を通じて生きることの素晴らしさを訴え続けました。 

 

そんな小松さんの独演会が、10月26日、ワッハ上方でありました。普通の落語ファンである私は、ちょっと面食らいました。会場立ち見も出る大盛況。しかし、一般の落語ファンよりも、小松さんが各地で出会ったがん患者たちの方が多数をしめていました。しかも、小松さんが登場するやいなや、花束攻め。かつての問題児はいまやヒーローです。また、普通の独演会と違って、前座も膝変わりも一切なし。まさに「一人会」です。「あいらぶ松鶴」というトークと「高津の富」。落語会としてはかなり異質です。ただ、小松さんは、がん患者たちにとってはある意味「教祖」。ほかの噺家が入り込む隙間はないと言う感じでした。

 

何にしても、落語を通じて生きる喜びを共有できるなんて、本当にすばらしい。私たちも、素人ながら落語をやってる以上、小松さんの何分の1ででもいいから生きる幸せを分かち合いたいものです・・・。                                              

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 ひとりごとNo42 【2002年12月8日・第81回駅前寄席プログラムより】

 

2002年も残すところあとわずか。今年も「噺の会じゅげむ」に並々ならぬご支援を賜りましたことを、厚く御礼申し上げます。さて、今年は我々にとって、いろいろな意味で大きく飛躍した1年ではないかと思います。ちょっと、振り返ってみましょう。

 

まず、定期公演の入場者数が大幅に増えました。4月に行われた「定期公演100回記念」では、史上空前の198名のお客様にお越しいただきました。また「駅前寄席」においては毎回150名以上の方々がお見えです。こんなに多くの皆様に愛される、本当に幸せな団体だと心から思います。

 

メンバーもまた、大幅に増えました。今年に入っての入会者が5名。もちろん史上最多です。しかも、5名とも今のじゅげむには欠くことのできない貴重な戦力です。落語を通じて結び合った仲間たち。大切にしていきたいものです。

 

「100回記念」「10周年」偶然にも一年のうちに2つの節目を迎えました。その記念イベントとして「チーム対抗大喜利」「三題噺リレー」に挑戦。メンバーそれぞれが、いい勉強をさせてもらいました。「出前寄席」も、今年は数多く開催させてもらいました。高槻近辺のみならず兵庫県赤穂市の妙典寺の「感謝と反省のつどい」出石町の「蕎麦処一鶴寄席」猪名川町などなど、多方面からの依頼に積極的に応えさせてもらいました。

 

そして、忘れてならないのが「じゅげむ岡山支店」の旗揚げ。岡山在住のメンバーが中心となり、岡山の地に落語を根付かせるべく奮闘。9月16日に第1回、そして12月1日に第2回「北ふれあい寄席」を開催。1回目は22名、2回目はなんと33名ものお客様にお越しいただきました。来年以降の飛躍が期待されます。今後も、現在の盛況にあぐらをかくことなく、精進してまいります。来年も、よろしくお願いいたします。                                              

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 ひとりごとNo43 【2003年1月26日・第18回高槻市民寄席プログラムより】

  

本日の「高槻市民寄席」は我々「噺の会じゅげむ」2003年のしゃべり初めであります。本年もよろしくお願いします。 さて、今日はじゅげむのオールスター勢ぞろいの予定です。手前味噌かも知れませんが、「噺の会じゅげむ」はまさに個性派集団です。今回は改めてメンバー全員の横顔を簡単に紹介します。まずは、今日の出演順に

「寿亭司之助」・・・我らが代表。お客様、メンバーを人一倍大切にする男。 謹厳実直な人柄で、メンバーから慕われている。
「吉備家めじろ」・・去年は地元に落語を根付かそうと「岡山支店」を旗揚げ。 おとなしそうな外見に似合わず、公私共になかなかの行動派。
「山椒家小粒」・・・じゅげむ初の「江戸落語」。じゅげむ初の「夫婦入会」。 見かけは「小粒」でも、人間のスケールは大きい。
「文々亭小輔」・・・最年少ながら、今や「じゅげむ」の看板男。どんな噺も この男に任せれば間違いなし。最近は貫禄さえ感じる。
「讃岐家かずのこ」・前述の吉備家めじろ共に「岡山支店」を旗揚げ。岡山は 津山在住。明朗な性格で好感度抜群。
「洋酒家巧駆」・・・かつては大学の落研部長。じゅげむ唯一の三味線の弾き手。 そんな「落語の申し子」も、普段は映画とカラオケの大好きな現代青年。
「阿遊亭弘遊」・・・昨年初舞台とは思えぬ、安心感のある高座。年長者らしい 気配りと、豊富な人生経験。今やじゅげむの名物男の一人。
「仁六家拾八」・・・「じゅげむ」で最も落語をエンジョイしている男。頭髪は ロマンスグレーながら、心は少年そのもの。
「潮吹亭くじら」・・一見「落語おたく」。実際は「歌手の前田有紀」やら「大阪 近鉄バファローズ」やら「ぱどタウン」やら結構多趣味。
「喜怒家哀楽」・・・常に万人にわかりやすい高座を追求する男。打ち上げでは 「鍋奉行」をかって出るなど、いわゆる「じゅげむの裏番長」


そして、「じゅげむ」はスタッフ陣も充実。忘れちゃいけないこの3名。
「真琴家笑吉」・・・代表・司之助と並ぶ「じゅげむ」創生期からの生き証人。 裏方一筋ながら、水面下では「笑吉高座引き上げ計画」が進行中?とか。
「みちのく小雪」・・山椒家小粒と共に夫婦入会、昨年2月よりお茶子デビュー。 以来、高座の進行がスムーズに。今やメンバー皆の姉貴分。
「いつき乃小桃」・・讃岐家かずのこの実妹。彼女の入会により「岡山支店旗揚げ」が実現したといえる。さわやかお姉さん。

今年も、以上13名、一丸となってがんばります。よろしく!

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 ひとりごとNo44 【2003年2月23日・第82回駅前寄席プログラムより】

 

今年は日本でテレビが放映されて50年。NHKなどではその記念特別番組が放送されています。なるほど、私の家にも物心ついたときからテレビはありました。(もちろん白黒です。)良くも悪くも、テレビは私たちの情報と娯楽の中心となっています。そう考えると、テレビ50年。意外に短い気がします。


 思えば私たちの生活は、高々50年の歴史のテレビに支配されてしまってるようです。確かに、家に居ながらにして世界中の出来事が手に取るようにわかる…すばらしいことです。また、スポーツ芸能なども、手軽に楽しめます。しかし、ここに落とし穴があるように思えてなりません。


 我々はややもすると、ブラウン管の中が世界のすべてであるような錯覚に陥ってはいないでしょうか。まず気をつけたいこと。今話題の「北」の国の例をひくまでもなく、テレビは決してすべてが真実ではないということです。情報を流す側の意図により、その気になれば情報はいくらでも捻じ曲げることができます。何かと問題になってる「やらせ」だって、いくらでも可能なのです。テレビの世界は決して
鵜呑みにしてはいけないのです。


 もう一つ気をつけたいこと。主に芸能人について、その人が有名かどうか、売れているかいないかの基準が、どうしてもテレビに露出しているかどうかになりがちです。「あの人最近テレビに出てないな。売れなくなったな」という会話、私も何の疑いもなくしていました。 それが間違いである事に気づいたのは、私が落語ファンになってからです。テレビに出ている「落語家」はほん一部。純粋に落語で勝負している落語家さんは、むしろテレビにあまり出ていない人の方が多いのです。
他のジャンルも然り。舞台が忙しくて、テレビに出る暇などない一流アーチストをわすれてはなりません。


 今後も、テレビは進化を続けるようです。流されないように、うまく
つきあっていきたいものですね。
                                          

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 ひとりごとNo45 【2003年3月9日・第19回高槻市民寄席プログラムより】 

 

3月は「卒業式」のシーズンです。そして本日の「高槻市民寄席」は実は「卒業式」を兼ねています。平成10年6月「高槻市民寄席」の前身「たかつき演芸市場交遊亭」を「高槻市文化振興事業団・青少年センター」と共催させていただいいて以来「青少年センター」の方々には、並々ならぬご支援を賜りました。会場の提供はもとより、プログラムの印刷など、我々が心置きなく落語に取り組めるよう多大なるバックアップをしていただきました。

 で、今回諸般の事情により共催していただくセクションが「青少年センター」から「生涯学習センター」に移管することになりました。したがってこの建物で開催される「高槻市民寄席」は、今日が最後となります。この会場とセットで会をご支援いただいたお客様方に、改めて感謝いたします。

 6月からは「高槻市立生涯学習センター」の1階に会場が変わります。引き続き「青少年センター」同様のご支援をしてくださるとのことです。私たちは約束します。今後もさらに精進し、これまでここで学んだ事をさらに発展させていく所存です。それが、お世話になった「青少年センター」の方々への、一番の恩返しとなると考えます。

 私たち「噺の会じゅげむ」は今日「青少年センター」を卒業します。私たちをはぐくんでくれたこの会場で、思い残すことなくしゃべりましょう・・・

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 ひとりごとNo46 【2003年4月6日・第83回駅前寄席プログラムより】

 

 月といえば、入社入学の季節、桜の季節。そして、私たち落語ファンにとっては、決して忘れられないあの季節・・・

 

 早いもので、桂枝雀師が亡くなられて、今月19日でまる4年になります。上方落語界のエース兼四番打者の居ない寂しさを引きずったまま、月日だけがいたずらに過ぎてゆきます。

 

 何度もこのコラムに書かせてもらいましたように、私が落語ファンになったきっかけは、他でもない枝雀師であります。落語の持つ、楽しさ、明るさ、ギャグの見事さ、奥の深さ、すべて枝雀師に教わりました。

 

 枝雀師は、持ちネタを60に絞っておられました。(絞って60だからすごいですな。)その中から、あえて、私の特にお気に入りの枝雀ネタベスト5をえらんでみました。(番号は思いついた順で、ランキングではありません。)

 

1.「鷺とり」・・・私が落語に目覚めたきっかけとも言うべき一席。

 

「さ~ぎ~」というあの呼び声が今も耳から離れません。

 

2.「愛宕山」・・・これも、以前ここに書いたかも知れませんが、幇間が蝶を

 

捕まえるシーンで、蝶の飛ぶさまが見えました・・・

 

3.「雨乞い源兵衛」・・・まくらの「進化論」がまず秀逸。民話調のほのぼの

 

した中にも考えさせられる噺。

 

4.「宿替え」・・・正確には「先代小米ネタ」というべきか。私的には、

 

枝雀になってからの宿替えもわるくない。

 

5.「宿屋仇」・・・初めて「生」で聞いた枝雀落語。隣に泊まり合わせた侍に

 

なんともいえぬ愛嬌が・・・

 

  私が落語ファンであり続ける限り、今後もやっぱり「落語イコール桂枝雀」なのかな・・

 

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 ひとりごとNo47 【2003年6月1日・第20回高槻市民寄席プログラムより】 

 

本日は「新装開店・高槻市民寄席」にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。新しい会場ということで、期待と不安の入り混じった中、今日の日を迎えることになりました。皆様方には今後も引き続きご支援のほどをお願い申し上げます。

 

 さて今回は、新装開店及び第20回という節目を祝うということで「大喜利」を企画いたしました。どうぞお楽しみくださいませ・・・

 

 「大喜利」と聞くと、やはりテレビの「笑点」を思い出される方が多いのではないでしょうか。いわば、「笑点」は大喜利の代名詞ともいえるでしょう。確かに、私たちも、今回の企画を考えるにあたって参考にした部分もあります。でも実は、これは私個人だけかも知れませんが、私の中で「大喜利」といえば、「笑点」よりも、このなつかしのテレビ番組を思い出します。

 

 それは約20年ほど前、ABCテレビ夕方放送の「笑って、ゴーゴー」という30分の大喜利番組です。キャッチフレーズが「日本一の演芸場角座から、世界一おもろいメンバーによる、宇宙一おもろい大喜利」このころは、「角座」や「中座」など道頓堀が元気な時代でした。で、その「世界一おもろいメンバー」とは・・・

 

 枝 雀チーム ~ 桂枝雀・笑福亭福笑・笑福亭松葉・若井はやと

 福団治チーム ~ 桂福団治・笑福亭鶴瓶・笑福亭呂鶴・若井ぼん

 

鶴瓶さんは、あの「アフロヘアー」の時代です。松葉さんは「七代目松鶴」を追贈されたあの方です。そしてこの司会者が、桂春蝶さん。思えば、この中に枝雀・春蝶・松葉と故人が三人もおられます。時の流れを感じずにはおれません・・・枝雀・福団治という同じ日に襲名披露を行った宿命のライバルの2人をキャプテンとする両チームが、火花を散らしました。

 さて、今日の勝利チームは小輔チームか、巧駆チームか。あなたの拍手が、それを決めます。どうぞ、よろしく・・・・

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 ひとりごとNo48 【2003年6月29日・第84回駅前寄席プログラムより】

 

 「世界に一つだけの花」という歌をご存知でしょうか。アイドルグループのSMAPが発表したこの歌が、今幅広い年齢層で支持されています。

 

「むやみに人と争わず、一人一人の個性を尊重しあおう」という、昨今の音楽としては異色ともいえるテーマが、多くの人々に受け入れられたと言えます。

 

で、この歌を聴いていて、私はある人のことを思い出しました。その人は・・・

6月16日亡くなられた春風亭柳昇さんです。享年82歳。失礼を承知で申し上げるなら、柳昇さんは決して「うまい」人ではないでしょう。約100本もの新作落語を創られたというのはなるほどすごい業績ではありますが、その作品について、残念ながら今ひとつ印象が薄いように思えてなりません。

 

 しかし、あのフレーズだけは極めて印象的でした。それは「大きなことをいうようですが、いまや春風亭柳昇といえば、わが国では私一人でありまして…」

 

当たり前としか言いようのないフレーズですが、柳昇さんの口から発せられるとなんとも、味わい深いものがあります。そこにいるだけで、なんとなく面白いおじいさん。

 

芸や話術といったものを超越した不思議な存在・・・

そう、柳昇さんは「名人」でも「達人」でもない「わが国でたった一人」の人だったのです。ある意味、芸人さんの究極の理想像に一番近い人だったのかも・・・

 

NO.1にならなくてもいい もともと特別な Only one ・・・」

 

この歌を、天国の柳昇さんに、捧げます。

 

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 ひとりごとNo49 【2003年7月20日・第21回高槻市民寄席プログラムより】 

 

本日は今、人気爆発中のお笑いコンビ「テツ&トモ」風に言えば、

 

  ♪ 今年のタイガース、こんなに強いのなんでだろ~・・・

 

 そうです。ここ何年もBクラスに甘んじていた阪神タイガースのこの変身ぶり。熱狂的な応援を続けているファンたちも、内心とまどっているようにも思えます。

 

今年のタイガースの戦いぶりをみていると、なるほど野球というのは「個人競技」と「団体競技」の融合だというのがよくわかります。タイガースの選手たちは、自分のキャラ、役割を本当によく心得てるとおもいます。だから「カリスマ的」選手はいなくても、打線が、文字通りの「線」になっています。チャンスでその打者が凡退しても、次の打者がフォロー。その後も、打ってつないで、気がつけば大量得点・・・このつなぎ野球で今首位を独走中です。

 

で、私の持論である「落語会のプログラムは、野球の打順のようなものである。」これを再認識しました。手前味噌ながら、最近の我が「噺の会じゅげむ」のメンバーは、自分のキャラ、役割が確立されつつあるという、お褒めの言葉もいただいてます。

 

  本日の「高槻市民寄席」も、各演者、持ち味を遺憾なく発揮してトップからトリまで、見事につないでゆきたいと思います。

本日も、最後まで、ごゆっくり・・・・

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 ひとりごとNo50 【2003年8月17日・第85回駅前寄席プログラムより】

 

残暑お見舞い申し上げます・・・と、言いたいところですが、どうも、今年の夏は変ですな。梅雨が長引き、今年は「冷夏」かと思っていたら、8月に入って、「やっぱり夏だ」と思わせる猛暑。ところが、この暑さもつかの間。何と台風が日本を縦断・・・

 

 高校野球が台風で順延という、信じられない事態です。これは、やはり「異常気象」といってよいでしょう。確かに、暑い夏はしんどいです。ばてたり、熱中症にかかったり。でも、夏は暑くないと、米など農作物の生育にも影響が出てきます。そう、日本の気候には、四季のメリハリが必要なのです。

 

 で、この異常気象の原因は、自然破壊及び二酸化炭素の放出によるもの、「地球温暖化」ともつながっているようです。「冷夏」と「温暖化」何か逆のようですが、気候のバランスが崩れている事に変わりないようです。

 

 こう考えてゆくと、「天災」と思っていた台風などの気象現象が実は「人災」だった、ということにもなりかねない・・・

 

 自然の大切さ、四季のありがたさを、再認識しないと、取り返しのつかないことになりかねません。私たちの子孫たちに顔向けできないことにならないよう・・・

 

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 ひとりごとNo51 【2003年9月21日・第22回高槻市民寄席プログラムより】 

 

「トリビアの泉」というTV番組に、最近はまっています。トリビアとは、日常生活に全く必要のない無駄知識。この番組には、視聴者から寄せられた、時には衝撃的な、又時には間抜けな「トリビア」が次々と紹介されています。  そこで私も、落語界における「トリビア」を探してみました。「その程度の事くらい知ってるわい」というお声もありましょうが、しばらくお付き合いくださいませ・・・・

 

トリビアその1

 「桂枝雀には、かつて本人より年上の弟子がいた。」・・・昭和45年、べかこ(現南光)と同じ日に、当時朝日放送のアナウンサーだった「今井音也」が入門。当時枝雀30歳、音也34歳。音也は大学の先輩でもあった。ユニークな創作落語で脚光を浴びながら、昭和53年、42歳の若さで急逝。なんとも惜しい。

 

トリビアその2

「月亭可朝は、かつて『桂小米朝』を名乗っていた」・・・昭和33年、先代林家染丸に入門で「染奴」を名乗るも、破門になる。36年、桂米朝の預かり弟子となり、43年「月亭可朝」を襲名するまでの間「桂小米朝」を名乗る。現小米朝は米朝の実子だが、米朝と可朝とは全くの他人である。

 

トリビアその3

「明石家さんまは、入門当時古典落語をやっていた」・・・昭和49年、笑福亭松之助に入門。「笑福亭さんま」を名乗る。桂米之助主催「岩田寄席」にて「播州巡り」を演じている。なお「明石家」とは松之助の本名「明石徳三」からとったいわば「創作亭号」である。

 

 今日ご紹介したトリビアは、明日使えないものばかりでした・・・

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 ひとりごとNo52 【2003年10月19日・第86回駅前寄席プログラムより

 

歳がばれるのを承知で申します。私の幼児期、日曜日の午後はテレビにかじりついてました。正午から、某製薬会社のCMコントに続いて吉本新喜劇。で、その後が「がっちり買いまショウ」。当時は幼児期ゆえ、ゲームのルールもあやふやながら、なぜかはまってました。この司会者が、夢路いとし・喜味こいしの両氏。そうです。このお二方は、私が生まれて初めて興味をもったお笑い芸人さんです。「10万円・7万円・5万円・運命の分かれ道・・・」後々までお二方の漫才のギャグとなるこの名フレーズ。よく、まねをしていました。

 

いつも申しておりますように、私が落語ファンになったきっかけは故・桂枝雀師ですが、その下地である「お笑い好き」になったきっかけは、いとし・こいし両氏と言えます。幼児期から現在まで、お二方の絶妙の話術に慣れ親しんでまいりました。

それゆえ、夢路いとし氏(享年78)の訃報は、枝雀師が亡くなられた時に似た衝撃でした。「いとこい漫才」は、あらゆる「話芸」の中でも最高峰であり、もうこのような漫才師は現れないでしょう。心からご冥福をお祈りします。

 

これは私の勝手な持論ですが「いとこい漫才」は、ある意味「落語」に近い、ネタによってはそのまま落語になおせそうに思います。

「いとこい落語」って、できないかな・・・・・・

 

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 ひとりごとNo53 【2003年11月9日・第87回駅前寄席プログラムより】

 

○「皆さん、今日は、何の日ですか!」

 

AB「はーい、今日は『駅前寄席』の日でーす。」

 

 ○「そうですね。でも、もう一つ重要な日なんですよ。わかりますか?」

 

 A「さぁ?」

 

 B「駅前寄席と同じくらい、重要なことって・・・?」

 

 ○「わかりませんか。今日は、衆議院議員総選挙の投票日ですよ。」

 

  A 「なんや、しょうもない。」

 

 ○「そういうことを言うもんじゃないですよ。私たち国民ひとりひとりが、現在の政治のあり方に意思表示をする絶好のチャンスですよ。」

 

 B 「でも、どの候補者が何をいいたいのか、よくわからないし・・・」 

 

○「今回は『マニフェスト』といって、各党の政権公約がよりはっきり示されているから、選びがいがあるんじゃないかな。」

 

  B「でも、そんな長ったらしいの読んでる暇ないよ。」

 

  ○「各家に選挙公報が配られているはずですよ。あれをじっくり読めばおおよそのことは分かるでしょう。」

 

  A「僕は、選挙なんか行ったことない。だいたい、入れたい候補者がいないもん。」

 

  ○「困ったね。でもどうしても投票したい人がいない場合は、棄権せず『白票』を投じるという手もあるんですよ。」

 

  A「白票?」

 

  ○「棄権すれば、その人の意思は伝わらない。でも白票を投じるのはそれなりの意思表示ですよ。ただし、候補者以外の名前を書くと『無効票』になるからね。白票と無効票は違うから気を付けてね。無論、より自分の意思に近い候補者をさがして投票するのがベストなのは言うまでもないことですな。」

 

  B「よっしゃ、わかった。今すぐ投票所へ・・・」

 

  ○「ちょっと待った! もうすぐ駅前寄席がはじまるから、まずこの寄席を楽しんですっきりした頭で投票所に向かいましょう。投票は午後8時まで。駅前寄席が終わってからでも充分間に合うよ。」

 

AB「わかりました~」  

 

『噺の会じゅげむ』は、「とにかく投票所へ足を運ぼう」キャンペーンを実施中です。

 

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 ひとりごとNo54 【2003年12月7日・第88回駅前寄席プログラムより】

 

今年も1年間、「噺の会じゅげむ」をご支援くださいまして誠にありがとうございます。おかげさまで、充実した1年となりました。

 

まず、私たちのメインの活動である、この「駅前寄席」。毎回足を運んでくださるお客様方に、改めて御礼申し上げます。皆様の暖かい笑顔には、いつも励まされています。

 

一方もう一つのメイン「高槻市民寄席」は、会場が「生涯学習センター」に変わりました。これまでの「青少年センター」からは場所的にも離れていて、当初は不安もありました。しかしふたをあけてみると、じゅげむ史上最高の207名のお客様がお越しくださいました。また、生涯学習センターの方々にも、大変よくしていただいております。「駅前寄席」同様、今後さらに大きく育てていきたく思います。

 

「出前寄席」でも、いろんな場所に呼んでいただきました。そこで定期公演とはまた違った、多くのふれあいが生まれました。

 

そして忘れてならないのが、じゅげむの「支店」・「出張所」の充実ぶりです。去年旗上げした「岡山支店」は、今年は会場こそ変わりましたが地域に確実に根付きつつあります。また、慰問活動も積極的に行われ本店への良い刺激となっています。

 

そして「小倉出張所」。このわずか半年あまりの間に、八面六臂の活動ぶりです。もうすでに定例会が4回も開かれ、メンバーが一気に4名も増えました。「岡山」・「小倉」とも、応援のつもりで駆けつけた本店のメンバーが、逆に励まされて帰ってきます。今後も互いに刺激しあいながら発展していきたいものです。

 

また、当会のホームページのアクセス数が飛躍的に伸びました。今年の9月には、とうとう100,000件を突破しました。NHK教育TVで落語「寿限無」が紹介された事もありますが、わが「じゅげむ」の注目度がアップしていることは、身の引き締まる思いです。

 

来年も、今年同様のご支援をお願い申しあげます・・・・・

 

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 ひとりごとNo55 【2004年1月18日・第23回高槻市民寄席プログラムより】 

 

 本日は「高槻市民寄席(噺の会じゅげむ・吉例顔見世大興行)」にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。昨年同様、今回も『じゅげむ』のオールスターが勢ぞろいです。そして、昨年同様、今回も大阪学院大学落語寄席研究部のOBの方々のご好意により、生のお囃子による寄席をお送りいたします。

 

 さて、寄席のお囃子には、演者の登場時に演奏される「出囃子」、噺の効果音として演奏される「はめもの」などがあります。これらのお囃子はもともと上方落語独特のものでした。これは、上方落語と江戸落語の発達の違いによるものです。

 

 江戸落語は限られたスペースで演じられる「お座敷芸」として発達しました。ですから、にぎやかな「お囃子」の必要性がありませんでした。一方、上方落語は屋外で不特定多数を相手にする「大道芸」として発展しました。よって、お客さんの気を引くためににぎやかな「お囃子」が必要だったのです。

 

 今でこそ「出囃子」は江戸・上方両方で演奏されてますが、これも上方から江戸に移入されたものです。で、江戸・上方とも出囃子は各噺家さんのいわば「テーマソング」です。通のお客さんは、出囃子を聴いただけで、誰が出てくるかわかるのです。そこで、本日演奏される予定の出囃子をご紹介します。

 

     仁六家拾八    (石段)

     文々亭小輔    (鍛冶屋)・・・・・・・桂雀々

     阿遊亭弘遊    (せり)・・・・・・・・桂文我

     潮吹亭くじら   (三下がりかっこ)・・・桂米朝

     讃岐家かずのこ (金比羅)・・・・・・・桂米丸

     喜怒家哀楽    (外記猿)・・・・・・・桂吉朝

     山椒家小粒   (御船)・・・・・・・・桂ざこば

     吉備家めじろ   (いわみ)・・・・・・・桂文珍 

     洋酒家巧駆      (高砂丹前)・・・・・・笑福亭松喬

     寿亭司之助      (一丁入り)・・・・・・古今亭志ん生

 

 「石段」は、前座の定番曲です。上方の寄席では、トップの演者はこの曲で登場することになっています。その他は、その曲を出囃子に使用している、もしくは使用していた噺家さんを挙げています。

 というわけで、今宵は「噺」・「お囃子」両方にご注目くださいませ・・・

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 ひとりごとNo56 【2004年2月22日・第89回駅前寄席プログラムより】

 

200X年10月、プロ野球日本シリーズ「大阪じゅげむバファローズVS阪神タイガース」第1戦は、まもなくプレーボールです。先発は「じゅげむ」が岩隈、阪神が井川。マスコミの大方の予想は「4対3でじゅげむ」といわれております。

 

 昨年のプロ野球オーナー会議にて了承された「チーム名命名権売却」により、意外にも大阪・高槻を本拠に活動を続ける素人落語サークル「噺の会じゅげむ」がバファローズの命名権を取得しました。「じゅげむ」は営利団体ではありませんが、そのネームバリューを見込まれて、年1万円5年契約で近鉄より命名権を譲渡されました。

 

 で、「大阪じゅげむバファローズ」は、新チーム名1年目から、戦力、観客動員数とも大幅にアップ。戦力面では、巨人からT・ローズを取り戻し、また中村紀洋もメジャー行きを断念。「じゅげむ・いてまえ打線」のフル回転で、リーグ制覇。ここに、「大阪決戦」が実現しました。

 

 観客動員も年間200万人突破。「じゅげむ」は、素人落語とプロ野球の両面で、大阪文化のパイオニアとなりました・・・・

 

 (お断り:このコラムはフィクションです)

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 ひとりごとNo57 【2004年3月14日・第24回高槻市民寄席プログラムより】 

 

○「みんなワシの顔見たら、『ぼやき』や『ぼやき』や、言いよる」

●「当たり前じゃ」

○「今大阪で、漫才コンビが200組くらいおりますねん。わたいだけはね、まともに名前呼んでもろたことおまへんねん。『おい見てみ、ぼやきが歩いとる・・・』ぼやきやかて、歩きまんねん」

●「そりゃそやね」

○「そやけど、ありがたい事もおまんねん。わたいに向かって『おい、ぼやき。しっかりがんばれ。』『へえ、おおきに。』この暖かい声援は、ここに金を10万円積まれるよりも・・・」

●「どっちがうれしいやろね」

○「そりゃ、金のほうがうれしい・・・」

●「ほんまのこと言うな!・・・(唐突に)♪むりし~て、のんじゃ~いけないと、かたを~やさしく、だきよせ~た・・・」

○「やめ~!健全なるお客様の前で、なんちゅう歌を歌いよるか!」

●「おもいで酒や、これは!」

○「言われんでもわかっとる。耳にびんびん響いたある。ただ今のが大ヒットした小林幸子のおもいで酒。あの、すばらしい声で、なかなかいい歌です。誰が歌っても、いいというものでは、ない。そこに、このような間違いが生じる・・・」

 

 もうおわかりですね。「ぼやき漫才」で一時代を築いた「人生幸朗・生恵幸子」ご両人の漫才の代表的な冒頭部分です。このあと、その時々に流行った歌謡曲の歌詞の矛盾点をついた、見事な「ぼやきワールド」が展開されます。もう、亡くなられて22年になりますが、あのインパクトのある語り口は、今でも鮮烈に焼きついています。

 

 3月4日、人生幸朗師の命日でした。

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 ひとりごとNo58 【2004年4月25日・第90回駅前寄席プログラムより】

 

TVドラマはあまり見ない方なのですが、たまに思いっきりはまり込むことがあります。そんなドラマの一つが、もう今から8年前、朝日系で放送された「ハンサムマン」です。主人公は若きエリート外科医(V6の長野君)が、ある魔法をかけられました。長野君がエッチな事を考えるととんでもないデブ男(松村邦洋)に変身させられるという不思議なストーリーです。

 

 で、この長野君に魔法をかける謎の男・・・これがなんと、枝雀師匠なんです。偶然チャンネルをあわせていた私は、正直面食らいました。確かに当時NHK「ふたりっ子」などで、役者としても独特の存在感を示してはおられましたが、まさか長野君主演のドラマに出演とは・・・

 

 でも、やはりここでも、謎の男を見事に演じきりました。出番はそれほど多くなかったのですが。存在感は充分です。ただ、誤解を恐れずに述べるならば、枝雀師のファンの方は数多くおられるでしょうが、このようないわゆるトレンディドラマに出演されていたことをご存じの方は少ないと思われます。いずれ「トリビア」的ネタになるかも・・・・

 

今月19日は枝雀師の命日でした。落語以外にも映画、舞台などで味のある役者ぶりを披露されておられました。亡くなられて5年たった今でも、やはり「惜しい」の一言につきます。

 

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 ひとりごとNo59 【2004年5月16日・第25回高槻市民寄席プログラムより】 

 

その小さな訃報記事を不覚にも見逃していました。4月14日桂喜丸さんが亡くなられました。享年47歳。あまりにも早すぎます。私はいろんな意味で悔しくて仕方ないのです。味のある、まさに噺家になるために生まれてきたような彼が、文字通り志し半ばで永眠されたこと・・・かつては小米朝さんとの合同勉強会「月とすっぽん」などによく通ってましたが、最近はあまり喜丸さんの高座に足を運ばなくなっていました。もっと、喜丸を聴いておきたかった・・・。

 

本職一筋の喜丸さんは、マスコミへの露出はあまりなかったものの新聞の訃報記事がこんなに小さいとは・・・そしてこの記事を見逃していたこと。喜丸さんがこんな病魔に冒されていたことも知らなかった。何から何まで、悔しすぎます。

 

喜丸さんは、法政大学在学中に「全国学生落語選手権」で優勝されいわば鳴り物入りでざこばさん(当時朝丸さん)に入門。ABC漫才落語新人コンクールで最優秀新人賞を獲得するなど、筋金入りの実力派でした。

先にのべた「月とすっぽん」や「らくごDEきまる」「利久寄席」など数々の落語勉強会を主催し、多くの落語ファン、多くの噺家仲間に慕われました。

 

あまりTVには出ておられないので、映像はあまり残っていません。しかし私の心のDVDにしっかりあの高座姿が記されています。

 

心から、ご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo60 【2004年6月20日・第91回駅前寄席プログラムより】

 

一人の演者が、座布団に正座して話を進めてゆくスタイルの演芸に「落語」と「講談」があります。パッと見はほとんど同じようですが、随分性格が違います。

 

 落語は、登場人物の「会話」を主として物語が進んでいきますが、講談はどちらかというと、会話以外の「地の文」が主です。また、落語はほとんどがフィクション、つまり作り話であるのに対して講談は歴史上の事実をもとにした物語が中心となっています。

 

 また、落語が「笑い」をとることを主な目的としているのに対し講談は、ストーリー展開及び言葉のリズムを楽しむ芸となっているようです。(もちろん、これらには例外は多々ありますが・・・)

 

 で、最も決定的な違いは、落語は「語る」ものであり、講談は「読む」ものであると言うことではないでしょうか。つまり、落語より講談の方が「文学的」とも言えるようです。

 

 かくいう私も、最近まで講談を聞く機会があまりありませんでした。今年になって、上方講談の旭堂南鱗師匠が世話されている「講談道場」の生徒さんたち、そして南鱗師匠のお弟子さんの花鱗さんとの交流のなかで、かなり講談を身近に感じられるようになりました。また先月の「高槻市民寄席」では講談道場の「太閤堂海州」さんに見事な講談を読んでいただきました。

 

 今、プロの講談師は上方で16名だそうです。上方落語家の

200名に比べると相当少数派です。落語の歴史は300年ほどであるのに対し、講談の歴史は約500年。いわば、講談は落語の「兄貴分」とも言えます。落語・講談、どちらも日本独特の一人芸。共に手をたずさえて発展してほしいものです。

 

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 ひとりごとNo61 【2004年7月18日・第26回高槻市民寄席プログラムより】

 

落語と同じくらい、いやもしかしたら落語以上にプロ野球のファンだった私ですが、最悪の場合、来年の今頃は野球ファンをやめてるかも・・・

 

 6月13日に、近鉄球団によるオリックスとの合併に関する記者会見。そこからあれよあれよという間に、1リーグ制へとなびきつつあります。

 

 悲しいのは、私が応援していたバファローズが消えるかも知れない事以上に、今のプロ野球界のトップたちが、巨人の渡辺オーナーの顔色ばかり見て、ファンや選手の意見を全くくみ取ろうとしないことです。安易な合併、球団数削減はファンを減らすことは目に見えてます。

 

 また、近鉄球団の説明では、「球団の買い手がつかなかった」とのことでしたが、実は「ライブドア」というIT企業が今年の2月から球団買収を申し出ていたのです。買い手はあるんです。だったら合併より先に、この「ライブドア」の話を聞く、これが筋でしょう。

 

 球団の合併を、銀行などの合併と同じように考えてもらっては困ります。「オリックス・バファローズ」などという中途半端な名前のチームなど、応援する気もおこりません。

 

まだまだ、この問題は、二転三転しそう、いやしてもらわなくては困ります。もっと多くのファン、選手、有識者の声に耳を傾けて結論を急がず、じっくり論議してもらいたいものです。

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 ひとりごとNo62 【2004年8月29日・第92回駅前寄席プログラムより】

 

皆さん、もしかして「寝不足」じゃないですか? 今回のアテネ五輪。日本人選手の例年にない活躍ぶりに、思わずテレビにかじりついてしまって、寝るのを忘れてしまいまして、

 

♪アテネったら、やだね・・・

 

 失礼を承知で申すならば、今回の日本のメダルラッシュは昨年の阪神タイガース優勝以上に、予想外の出来事といえるかもしれません。世界の中で、体格や体力的なもののハンデから考えると、本当に大健闘です。

 

 今回の日本人の健闘を見ていると、日本人精神的にたくましくなったと言えるでしょう。一昔前の日本選手は、国民の期待という大きなプレッシャーに押しつぶされて、実力を発揮できぬまま予選落ち、というのが多かったようです。でも、昨今の選手たちは、プレッシャーをエネルギーに変えて、のびのびプレーしているように思えます。

 

 直前のけがを克服し見事な金の谷亮子、15歳ながら、貫禄さえ感じる福原愛、宿敵キューバを抑えた松坂大輔・・・その他感動のドラマ満載です。

 

 さて、明日の閉会式までに、何個のメダルを獲得できるか、

わくわくします。もう、五輪五輪で、ネタの稽古どころではない!?

 

 でも、いいんです。なぜなら、今回私は出番がないから・・・・

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 ひとりごとNo63 【2004年9月19日・第27回高槻市民寄席プログラムより】

 

昨年7月23日に桂三枝さんが上方落語協会会長に就任されて以来、上方落語界が大きく変化しています。常日頃から落語ファン拡大に人一倍心を砕いておられる三枝さんの想いが、少しずつ実現してきていると言えるでしょう。

 

 それが顕著に表れたのが、先日行われた「彦八まつり」でしょう。実行委員長に鶴瓶さんを起用。また、ざこばさんが協会に復帰。そして、シークレットゲストの明石家さんまさんが、「五枚笹」紋つき着物姿で登場。様々な話題作りの成果が、2日間で10万人動員という快挙。例年をはるかにしのぐ熱気に包まれていました。

 

 そして、我々落語ファンの長年の夢である上方落語の定席。これが今、実現の方向に進んでいます。そこに行けば四六時中、生の落語が楽しめる空間が、大阪天満宮の隣の敷地に建設予定ということです。「末広亭」「鈴本演芸場」などの江戸落語の定席を、どれほどうらやましく思ったことでしょう。一日も早い実現のため、我々ファンは協力を惜しみません。

 

このように、三枝会長は常に落語ファンを大切に考えておられます。素人ながら、落語に携わっている私たちには、本当に誇らしく心強い限りです・・・。

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 ひとりごとNo64 【2004年10月17日・第93回駅前寄席プログラムより】

 

近鉄・オリックス合併問題に始まって、選手会のストライキなど、グラウンド外の話題ばかりの日本プロ野球。そんな中落合博満監督率いる中日ドラゴンズが、セ・リーグ優勝を果たしました。

 

 正直な話、落合氏は果たして監督の器だろうかと、失礼ながら疑問に思ったものです。選手時代は、三度の三冠王など素晴らしい実績は残したものの、「一匹狼」的イメージが強く、チームをまとめるのは苦手だろうと、勝手に思ったものです。

 

 ところが、この落合監督の「オレ流」采配が、見事に当たりました。でも、この「オレ流」、戦術的には極めてオーソドックスな、基本に忠実な守りの野球です。では「オレ流」に真骨頂はどこにあるのか。それは、選手の起用法、そして選手との接し方でしょう。

 

 落合監督は、選手を徹底して大人扱い、プロ扱いしました。だから、やたらに選手を怒鳴ったりはしません。また1・2軍の枠をはずし、実績にこだわらず、適材適所の選手起用に撤しました。選手はそんな監督を信頼してのびのびとプレーに専念しました。

 

 一見放任主義にも見える「オレ流」。落合監督は、ドラゴンズを大人の集団に育て上げました。そう言う意味では今の「噺の会じゅげむ」も「落合ドラゴンズ」に通ずるものがあると言えるでしょう。

 

 メンバーの一人一人が自分の責任で稽古にとりくむ・・・今後もずっと「じゅげむ」は、大人の集団であり続けたいものです。

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 ひとりごとNo65 【2004年11月21日・第94回駅前寄席プログラムより】

 

十年ひと昔、とはいいますが、あの「阪神大震災」から、来年の一月でもう十年になります。大阪市内在住の私は震度4で、大きな被害にこそ遭いませんでしたが、家の棚のものが次々と落ちてきて、本当に怖い思いをしたものです。また、神戸をはじめとした被災地の復興には長い何月を要しました。

 

 あれから約十年。風化させてはいけないと思いつつ震災のことなどほとんど意識から離れていました。そんな私たちの「眠り」をさましてくれたのが、今回の新潟・中越地震です。TVの画面から伝わってくるあの新潟被災地の惨状は、あの十年前そのものです。

 

 まだまだ、余震が燻ってるようです。プライバシーもままならない体育館での避難生活。再開のめどの立たない商店街。復興には、阪神大震災に要しただけの年月が必要と思われます。

 

 私たちに出来ること・・・ボランティアや支援募金への協力、もちろん重要ですが、もっと根本的なこと、それは「日本は地震国である」ことをきっちり認識することではないでしょうか。次なる大震災が、明日、この高槻に訪れても、なんの不思議でもない・・・

 

(それでは、おちおち落語も聞いてられない・・・それは困るな!?)

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 ひとりごとNo66 【2004年12月12日・第95回駅前寄席プログラムより】

 

今年も「噺の会じゅげむ」へのご支援、誠にありがとうございます。すばらしいお客様方の後押しで、メンバー一同、気持ちよく高座をつとめることができました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。

 

 さて、今年は例年にも増して、多くの方々がゲスト出演され、会を盛り上げてくださいました。

 

 1月~「希路凛(けろりん)社中」の皆様による生のお囃子を体験しました。

 

 2月~「南遊亭栄歌」さん。社会人落語選手権優勝の実力者。大いに勉強させてもらいました。

 

 5月~「太閤堂海州」さん。旭堂南鱗師匠主宰の講談道場の学級委員長。見事な話芸に聞き入りました。また、南鱗師匠のお弟子さん、花鱗さんにもいろいろお世話になりました。

 

 6月~「竹馬亭志ん友」さん。粋な江戸落語。その後もいろいろ、お手伝いいただいています。

 

 7月~「フラワー亭繁盛」さん。落語・演劇の経験豊富。「フラワー劇場」との交流は、じゅげむメンバーに大いなる刺激となっています。

    

 「ミュージカルハッピー」の皆様。手話コーラスで、場を大いに和ませてくださいました。

 

 8月~「里ありす」さん。奄美の島唄と三線。小学5年生の可愛い女の子ながら、唄は本格派。

 

 9月~「太閤堂新玄」さん。講談道場から2人目の出演。さすがは、プロの指導をうけられた、素晴らしい高座。

 

    「バックヤード」の皆様。「人形振り浄瑠璃」というユニークな演し物で、メンバーもお客    様も舞台に釘付け・・・

 

 10月~「ラージサイズ」さん。女子高生らしい、はつらつとした漫才。ぜひ、またご出演を・・・

 

 11月~「桜さきこ」さん。大ネタ「地獄八景亡者戯」を、ほのぼのとした語りで楽しませてもらいました。

 

  12月~「三流亭志まね」さん。たのしみですね。

 

 そして、プログラム外ながら、前説で盛り上げてくださってるミルキー俊二さん。本当にお世話になってます。このような、多くの方々との交流を糧にして、来年以降も「じゅげむ」は走りつづけます。今後とも、ごひいきに・・・

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 ひとりごとNo67 【2005年1月23日・第28回高槻市民寄席プログラムより】 

 

1月の23日にもなって「あけましておめでとうございます」と言うのも変ですが、私達「噺の会じゅげむ」の定期公演としましては、今日が「しゃべり初め」であります。本年もこれまで同様、ご支援のほどよろしくお願いします。

 

さて、昨年から今年にかけて「お笑いブーム」と言われています。今回のブームの特徴として言えるのは、落語ではない、また漫談ともちょっと違う「ピン芸(一人芸)」の芸人さんたちの台頭です。

 

 「ギター侍」の波田陽区、「間違いない!」の長井秀和、「どーでもいいですよ」のだいたひかる、「ヒロシです」のヒロシ、などのピン芸人さんたちが、次々とネタを披露してゆきます。21世紀の笑いのスタイルはこれだ! といわんばかりの勢いです。

 

 では、今後このような芸が落語にとって変わるのか・・・というと、それはあり得ないと私は断言したい。そう、彼らのピン芸と、落語とは、全く別物なのです。

彼らのネタは、いわば「4コマまんが」の寄せ集めです。一貫したストーリーはありません。1つ1つのネタは面白くても、その場限り・・・これが悪いことだとは思いません。手軽な笑いも時には必要でしょう。

 

 一方、落語には一定のストーリーがあります。はじめからきちんと聞いていないとわからなくなることもあります。「笑いの手軽さ」には欠けますが、聞いたあとの充実感はやはり落語に勝るものはない・・・と思いませんか?

 

 今年も「じゅげむ」は、落語にこだわり続けます。

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 ひとりごとNo68 【2005年2月20日・第96回駅前寄席プログラムより】

 

毎回このコラムを担当させてもらってますと、「ああ、今月はどうしよう?」と悩むこともあります・・・実は、今がそうです。そこで、去年の2月は何を書かせてもらっていたのかな?

 

 おーっと、「大阪じゅげむバファローズ」・・・そうです、あの時点ではまさか「大阪近鉄バファローズ」が事実上消滅するなんて思ってもいませんでした。その後、選手会のストライキ、楽天の新規参入、ソフトバンクのホークス買収などなど、日本のプロ野球は大きく動きました。

 

 そんな球界の激動の中、機構側も選手側も「ファンサービスの重要性」を思い知らされたようです。何せあの「ストライキ」を大多数のファンが支持したのですから・・・

 

 で、この2月からのキャンプで、各球団がいろんなファンサービスを行うようになりました。素晴らしいこと・・・というよりも「へ~、今までそんなこともしてなかったの?」という感じです。言葉は悪いけど、今までのプロ野球は「殿様商売」だったと言わざるをえないでしょう。

 

私個人に、現在ひいき球団はありません。でも、やっぱりプロ野球は気になります。今年、球界はどのように改革が進むのか、見守りたいです。そして、どこまでファンを大切にしてくれるのか・・・ファンサービスのあり方について、我々じゅげむメンバーが各球団にアドバイスに行こうかな!? 

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 ひとりごとNo69 【2005年4月17日・第97回駅前寄席プログラムより】

 
 思わず叫びました。「今年は上方落語界の厄年なのか!」
3月9日、桂文紅師が亡くなられました。享年72歳。「上方落語界の笠智衆」というキャッチフレーズどおりの、味のある語り口の噺家さんでした。派手さはありませんが、じっくり聞かせてもらいました。

 そのショックから立ち直るまもなく、12日に五代目桂文枝師が永眠されました。享年72歳。松鶴、米朝、春團治とならぶ「上方落語四天王」の一人として、上方落語復興に尽力されました。「はんなり」という大阪弁がもっとも似合う語り口。「女性」をはじめとする、人物描写の的確さ。そして三枝・きん枝・文珍・文太などなど、各自の個性を大切にする弟子育成などなど、この功績は半端ではありません。

 で、その悲しみに追い打ちをかけるがごとく、29日林家染語楼師が亡くなられました。享年なんと54歳。早すぎる!お父様である先代ゆずりのセンスあふれる高座。後輩や素人落語家の面倒見もよく多くの若手噺家が途方にくれているようです。

 そう、お三方ともに「噺家らしい噺家」でした。こんなすばらしい宝物が、なぜこんなにいっぺんに無くなってしまったの・・・

 改めて文紅師・文枝師・染語楼師のご冥福をお祈りします。 

 

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 ひとりごとNo70 【2005年5月15日・第98回駅前寄席プログラムより】

 
 4月25日朝、本当にショッキングで傷ましいニュースが飛び込んできました。JR福知山線・尼崎脱線事故。100名を超す死者に500名近い負傷者の方々及びそのご家族ご友人の皆様に、この場をお借りしましてお見舞い申し上げます。

 思わず「電車に乗るのが恐くなった」「もうJRなんか乗らない」と思われた方もおられるでしょう。私もそうです。でも厄介なことに、だからと言って電車には乗らないわけにはまいりません。毎日の通勤もそうですし、私の場合、JRに乗らなければこの「グリーンプラザたかつき」へも来られません。

 そうです。電車をはじめとする数々の交通機関は、我々にとってまさに「空気」のような存在です。「安全」に乗れることが当たり前であることを前提に利用しています。

 駅のオーバーランによるロスタイムを取り戻すために、本来スピードを落とすべきカーブを猛スピードで・・・事故の真相はまだわかりませんが(当該列車の運転士も亡くなられてます)どうも「安全」よりも「時間の正確さ」が優先されたようです。
 
 ひと昔まえの交通標語
    「せまい日本、そんなに急いでどこへゆく」
 この言葉の意味を、もう一度、見つめ直したいです・・・

 

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 ひとりごとNo71 【2005年8月21日・第99回駅前寄席プログラムより】

 
 ありがたいことに、我々「噺の会じゅげむ」の定例会には毎回多彩なゲストの方々の出演により、会を盛り上げて下さっています。中でも「講談道場」及び「フラワー劇場」の方々とは、何度となく交流を深めてまいりました。で、私は幸運なことに、それぞれの定期公演にゲスト出演させてもらう機会を得ました。

 7月9日(土)「講談道場発表会」。旭堂南鱗師匠が直々に指導されている道場生の皆様の晴れ舞台です。舞台はプロの方々も使用されている「ワッハ上方・レッスンルーム」。そこで私は「商売根問」を披露しました。この発表会で「落語」が演じられるのは初めてということでかなり緊張しました。でも、講談を聞きにこられるお客さまは、噺をじっくり聞いてくださいます。おかげさまで、気持ちのよい高座でした。

 7月18日(祝)「フラワー劇場・天神さん寄席」。今回は、なんと屋外・・・正直言って、ちょっと不安でした。でもさすが劇団。舞台作りのノウハウをお持ちなので、立派な高座を組んで下さいました。そこでの私のネタは「鯉盗人」。屋外向きのネタではないのでどうなるかと思いましたが、なんとか無事に高座をつとめることができました。フラワーの皆さんは、落語は素人でもプロの役者さん。声の出し方、表現力、本当に勉強になります。

 もちろん、私以外のメンバーも「出前寄席」など定期公演以外の高座で腕を磨いています。そんな成果を持ち寄って第99回「駅前寄席」間もなく開演です・・・

 

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 ひとりごとNo72 【2005年10月16日・第100回駅前寄席プログラムより】

 
おかげさまをもちまして、「駅前寄席」は今日100回目を迎えます。平成4年の11月、このグリーンプラザ1号館5階で産声をあげて以来、本当に多くの方々にご支援をいただきました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。

そこで、「駅前寄席」のあゆみを振り返ってみます。平成5年9月、現代表の「寿亭司之助」が参加。ただし当時はスタッフでした。11月には、現在もスタッフとして活躍中の「真琴家笑吉」参加。現在の「駅前寄席」の真柱ともいえる2人はこの年の加入です。平成6年、寿亭司之助が高座デビュー。ただ、この当時は現在の隆盛からはほど遠い状態でした。平成7年8月、第32回「駅前寄席」。実は、きちんとした資料が残っているのはこの回からです。ここからが「駅前寄席」の本格的スタートです。平成8年12月、素人落語の親睦団体「噺の会じゅげむ」を設立。寄席運営の骨格ができました。

平成9年、正月公演(第43回)で初めてお客様が100人を超えました。また「仁六家拾八」「文々亭小輔」が相次いで入会し、同年には「ワッハ上方」でも公演。平成10年、「潮吹亭くじら」入会。翌平成11年に「噺の会じゅげむ」ホームページ開設。以来、当会の知名度が大幅にアップしました。この年は「桂枝雀」師逝去という、落語愛好家にとって転機の年でもありました。平成12年、「喜怒家哀楽」入会。一方で、主要メンバーが相次ぎ退会するという激動の1年でした。

平成13年、「吉備家めじろ」「讃岐家かずのこ」という岡山在住メンバーが相次いで入会。当時は毎回、岡山から高槻まで通ってました。「じゅげむ広域化」のはしりです。平成14年、前述の2名が「岡山支店」を旗揚げ。また「山椒家小粒」「みちのく小雪」「阿遊亭弘遊」「洋酒家巧駆」が相次いで入会。このころから「駅前寄席」には毎回100名を超すお客様がお見えになるようになりました。また「定期公演100回」「駅前寄席10周年」という2つの節目の年でもありました。

平成15年、「山椒家小粒」「みちのく小雪」夫妻が転勤先で「小倉出張所」を設立。小倉新メンバー相次ぎ加入。そして、「天乃小てる」入会。平成16年、岡山・小倉とも新メンバー続々入会。それに刺激をうけ、「駅前寄席」の動員数もうなぎのぼり。「花乃家めぞん」入会。平成17年、定例会入場者数一万人突破。また「駅前寄席」のゲストだった「竹馬亭志ん友」が「噺の会じゅげむKOBE」旗揚げし、同じくゲストだった「三流亭志まね」「あばら家艶幽」がKOBEメンバーとして入会。「高槻」「岡山」「小倉」「KOBE」が互いに刺激しあうように発展し・・・ここに「駅前寄席」100回。
 
さて、この「100回記念駅前寄席」は「グリーンプラザさよなら興行」でもあります。私達をはぐくんでくれたここ「グリーンプラザたかつき1号館」におおいなる感謝しつつ、101回目からの新たなる旅立ちです。どうか今まで同様、いや今まで以上のご支援をお願い申し上げます。

「グリーンプラザ駅前寄席」は今日が最後。あなたは、歴史の生き証人です・・・・

 

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 ひとりごとNo73 【2005年12月4日・第101回駅前寄席プログラムより】

 

 100回にわたりまして我々をはぐくんでくれた「グリーンプラザ」から、ここ「西武高槻百貨店・オーロラシティ」に引っ越してまいりました。どうぞこれまで同様、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 さて、期待と不安のなか、新天地での奮闘を誓い合った私達に、とんでもないニュースが飛び込んでまいりました。
 
   桂吉朝師、11月8日深夜、心不全により逝去。享年50歳

 今年は「上方演芸界の厄年」と言われました。落語界では文枝・文紅・染語楼各師。講談界の総帥旭堂南陵師。吉本新喜劇の岡八郎さん・・・・

 しかし、それらの訃報とは、明らかに意味が違います。多くの落語愛好家は、今、途方に暮れています。50歳、あまりに早すぎます!

 上手い噺家さんは、上方・江戸を問わず、何人もおられます。でも「上手い噺家をひとり挙げよ」と言われたら、迷わず「桂吉朝」と答えます。他の噺家と吉朝師と、何が違うのか・・・

 吉朝師の噺は、聞いていて安心感があります。無駄な言葉がほとんどなく素直に耳に入ってきます。故に、私達素人落語家にとっては、この上ない「教材」なのです。我々が高座でかけているネタの多くは、吉朝師のビデオやテープから覚えさせてもらったものです。

 いわゆる「TVタレント活動」はほとんどせず、高座一筋。芸人の知名度や芸のすばらしさは、マスコミの露出度とは関係ないということを教えてくださったのも吉朝師です。そんなわけで、私にとって吉朝師はある意味「カリスマ」です。通り一遍の追悼文は書きたくない・・・というわけで今後も、この紙面をお借りしまして折に触れて吉朝師の思い出を語りたく思います。
 月並みですが

        桂吉朝師のご冥福を心からお祈り致します・・・・

 

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 ひとりごとNo74 【2006年2月26日・第102回駅前寄席プログラムより】

 
古い話で恐縮です。阪神大震災のあった1995年、NHKで「この指とまれ」という連続ドラマが放映されました。ご記憶の方もおられるかも知れませんが。

「ドーナツ化現象」により、児童数が極端に減った大阪都心の小学校に赴任した、藤山直美さん演じる臨時教諭「すみれ先生」の奮闘記。普段あまりTVドラマは見ない私ですが、このドラマはかじりついて見てました。全放送分ビデオ録画もしてあります。

さて、今日はすみれ先生受け持ちの「5,6年生」クラス(複式学級です)の保護者参観日。各生徒が、保護者の前で自己紹介をします。その中で、5年生ながら中学生並の身長で「オバン」とあだ名される女の子「お父さんは、もっと大きくなって女子プロレスに入れというけど、そんなん絶対いややからね。私の夢は、女子大に行ってアナウンサーになることやからね。」

すると、教室の後ろから「アホ!女子プロなんか冗談に決まっとるやないか!」とつっこみをいれる、どこかで見たような四角い顔・・・

そう、この「お父さん」は、なんと桂吉朝師なのです。小劇団「リリパットアーミー」などで役者の経験はおありですが、マスコミへの露出が少なかった吉朝師。TVドラマの出演は、これが最初で最後ではなかったでしょうか? 少ない出番ながら、大いなる存在感でした。

そして、すみれ先生の父親で関東煮屋のおやじ・・・これが桂枝雀師。ドラマの終盤、この枝雀師は、急性アルコール中毒で急逝となります。

そんなわけで、「この指とまれ」には、私が尊敬してやまない枝雀・吉朝両師が出演されてる貴重なドラマとなりました。両師共々、もうこの世にはおられません。見応えのあるドラマで、全編ビデオには残ってるのですが・・・今は、つらくて、見られません・・・

噺家として一級品の枝雀・吉朝両師は、役者としてもピカ一でした!

 

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 ひとりごとNo75 【2006年4月16日・第103回駅前寄席プログラムより】

 
4月1日。三代目桂春團治師が芸歴60周年。そして旭堂南左衛門師が芸歴30周年。上方演芸界の大看板の方々のそれぞれ節目となるイベントがにぎにぎしく行われています。そんな中、ひっそりと亡くなられた一人の芸人さんがいます。

1980年ごろ、まだ「落語ファン」ではなく、漠然としたお笑い好きだった私は、毎日のようにTVのお笑い番組を見ていました。時は「やすしきよし」を頂点とする漫才ブーム。B&B、ザ・ぼんち、阪神巨人、そして「紳助竜介」そうです、機関銃のごとく笑いを撃ち放つ紳助竜介の漫才に釘付けでした。

上方漫才界のジンクスとして「一世風靡した漫才コンビは短命に終わる」エンタツアチャコ、漫画トリオ、千里万里、皆実働年数はわずか・・・そのジンクスをなぞるかのように紳助竜介も実働8年でコンビ解消・・・その後2人の軌跡は天国と地獄です。

紳助さんの活躍は、もう説明不要ですね。一方の竜介さん(後に「竜助」と表記を変えますが、ここではあえて「竜介」で通します)一時は別コンビで漫才をしたり、AVやVシネマに出たり、細々とタレント活動を続けますが鳴かず飛ばず。借金をかかえ自己破産。

芸能界は弱肉強食の世界とはいえ、この「差」はひどすぎます。紳助さんくらいになれば、ご自身が司会をする番組に竜介さんを呼ぶくらいの職権はあるはずです。この人には「仲間意識」というものがないのか・・・

紳助さんは「自分を育ててくれた漫才界への恩返し」として「M-1グランプリ」を立ち上げました。若手漫才師の登竜門として確かに大きな役割を果たしています。でも、本当の意味での恩返しは、竜介さんに対して行われるべきでしょう。M-1より先に、竜介さんを何とかしてあげてほしかった。

享年49歳。思えばかの吉朝師とほぼ同じ世代。「惜しい」の一言につきます。ご冥福をお祈りします。

 

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 ひとりごとNo76 【2006年6月18日・第104回駅前寄席プログラムより】

 
今、上方落語ファンの間では、映画「寝ずの番」の話題でもちきりです。正直な話、既にこの原作本を読んでいた私は「これ、映像化して大丈夫なの?」なんて余計な心配もしていましたが、さすがマキノ雅彦(津川雅彦)さん。見事な上方落語ワールドに仕上げて下さいました。

さて、この原作者・中島らも氏。この名前をはじめて知ったのは朝日新聞連載「明るい悩み相談室」。この回答者として、今までにない不思議なユーモアセンスを振りまいていました。

その後、役者のわかぎゑふさんと共に、小劇団「リリパット・アーミー」を立ち上げ、座付き脚本家兼役者として、鬼才ぶりを発揮。この「リリパット・アーミー」には桂吉朝師など、噺家も多数参加。落語と小演劇との垣根を低くしたのもまた中島らも氏でした。

特にらも氏と吉朝師は、親友でした。吉朝師のちょっとシュールなマクラは、らも氏の影響と思われます。らも氏は、創作落語を多数執筆され、雀三郎師や文珍師などにより口演されてます。もちろん、吉朝師も、ラジオの特別番組でらも氏の作品を3席口演されてます。

2004年7月、らも氏死去。享年52歳。2005年11月吉朝師死去。享年50歳。何も、こんな所まで親友ぶりを発揮しなくても・・・

らも氏と吉朝師。今頃は映画「寝ずの番」を肴に、飲み明かしてることでしょう・・・・。

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 ひとりごとNo77 【2006年8月20日・第105回駅前寄席プログラムより】

 
早いもので、「駅前寄席」がここ「西武高槻百貨店」で開催されるようになってもう5回目です。天下の西武百貨店が、我々のような素人落語サークルのために貴重なスペースを提供してくださってる・・・そのことだけでも普通ありえないことなのに当日の会場設営や椅子の確保、広報活動などなど、いろいろ心配りをしてくださっております。この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。

このご厚意に報いようとメンバー一同が奮闘した甲斐もあって、毎回100名を超すお客様にお越し下さっております。まさに感謝の一言につきます。西武百貨店の方々が気持ちよく私達を受け入れてくださってるのは、ひとえに大勢のお客様方のおかげです。

今後も、西武百貨店と我々「噺の会じゅげむ」との信頼関係をさらに密にしていきたいと思っております。その為にも、この「駅前寄席」を今まで以上に西武百貨店の売り上げ増に貢献できるイベント にしていきたいと思います。そこで、お客様方に折り入ってお願いがございます。

この「駅前寄席」からお帰りの節に、何か一つお買い物をして頂ければと思います。大きな買い物でなくて結構です。たとえば、タバコ一箱でも、飴玉一個でも、ちりめんじゃこ一匹でも・・・これは極端ですが、お一人が100円お買い物してくだされば、100名で1万円。西武百貨店全体からみれば微々たる金額でも、この積み重ねが大きな実を結ぶでしょう。

あるいは、この同じフロアのレストラン街でのお食事・・・私達も今日の会場設営を終えた後の昼食はここで取ってます。良いお店ばかりで、どこに入ろうかいつも迷っています。

ゆくゆくは、このプログラムご持参の方は全商品割引き・・・となれば素晴らしい。 そんな「西武高槻百貨店」になくてはならないイベントを目指して、本日もメンバー一同頑張ります。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。

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 ひとりごとNo78 2006年10月15日・第106回駅前寄席プログラムより】

 
当たり前の話ではありますが、私たち「噺の会じゅげむ」は、落語をこよなく愛する人間の集まりです。各人の落語に対する思い入れは半端ではありません。もちろん、その思い入れの度合いは様々です。
 
そんな「じゅげむ」のメンバーの中で、最も「落語好き」は誰なのか? 私は迷わず「仁六家拾八」と答えます。彼は他のメンバーとどこが違うのか。
 
まず、なんと言っても「落語ファン歴」の長さ。古きよき時代の落語界の事を語らせたら、もう止まりません。家庭用テープレコーダーがまだオープンリールだった時代から、ラジオの落語番組をこまめに録音。今となってはまさに貴重な落語ライブラリー。ワッハ上方も顔負けです。
 
落語の稽古量も当会随一です。ネタは必ず、手書きで書き起こしオリジナルの台本を作成。で、ネタの反復練習いわゆる「ネタ繰り」。これはメンバーだれもが行いますが彼は家の近くの裏山で、本番さながらの声を出して納得のいくまで稽古。だから彼の高座はいつも堂々としています。
 
で、ここまで見るといかにも落語しか興味のないオッペケぺ野郎のように思えますが、実はなかなかの多趣味。日曜大工・釣り・ゴルフ・家庭菜園などなど、どれも片手間ではない本格派です。この趣味の多さも当会随一。実はこの事も落語を演じる者には重要な事なのです。落語しか知らない人間には本当に面白い噺は出来ません。いろんな趣味を通じて培った様々な経験が、総て噺の「厚み」となるのです。
 
そんな 仁六家拾八 、人呼んで「じゅげむのお父さん」が、9ヶ月あまりの療養生活を経て、今日、「駅前寄席」の高座に帰ってきます。お客様方同様、お父さんがどんな高座を披露してくれるのか。メンバー一同固唾を飲んでいます。
 
 さあ、いよいよ 「仁六家拾八・駅前復活祭」の幕開けです。

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 ひとりごとNo79 2006年11月12日・第107回駅前寄席プログラムより】

 
「リニアモーターカーが開通すると、東京まで一時間で行ける・・・。誰がそんなに急いでるんでしょう。あれはコマ(車輪)があったら、あんなに速く走れないそうです。磁石のN極とN極が反発する力を応用してる、宙に浮いてるわけです。だから抵抗が無い分、まだまだ速く走れるそうです。磁気を応用してますから、目的地に速く着ける上に、肩のこりが取れるそうです・・・。」

「歌舞伎同様、寄席でも通のお客さんは、噺家の住んでる地名でかけ声をかけるんですな。先代の文楽師匠なら『黒門町』彦六師匠なら『稲荷町』ああいうの聞いてると、噺家はええとこに住まなあきまへんな。米朝師匠は『武庫之荘』ですから、まだかけ声になりますが、声のかけにくい所に住んでる噺家もおりますな。『尼崎センタープール前』!」

「うどんは関西、そばは関東、とよく言われます。東京の寄席の楽屋でそばをとって食べてるとあちらの噺家が『そんなまぬけな喰い方してちゃいけねえな』じゃ、どんな食べ方がええのかというと、まず箸にそばを2~3本だけはさんで、つゆは下から3分の1だけつける。で勢いよくツーッと、半分はのどで味わうんやそうです。確かにかっこいいですな。勢いよくツーッ、ツーッ!これが通(つう)の食べ方やそうで。」

お気づきの方もおられるでしょう。これらはすべて、桂吉朝師のマクラの抜粋です。吉朝師の噺の見事さは、誰もが認めるところですが、このようにマクラのセンスもまさに秀逸!・・・改めて師の急逝は「残念」の一言につきます。

・・・11月8日、桂吉朝師の一周忌でした・・・

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 ひとりごとNo80 2006年12月10日・第108回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。

さて、今年2006年と言えば、我々落語愛好家が待ち望んでいた上方落語の定席「天満天神繁昌亭」が誕生した、記念の年であります。幸か不幸か、連日の大盛況で定席本来の「いつでもぶらっと出かけて落語が楽しめる」状態ではなくなっています。これは「それだけ多くのファンが待ち焦がれていたから」 かというと、ちょっと違うようです。

実は「繁昌亭」にお越しのお客さんのほとんどは、今まであまり落語になじみのない方々のようです。「繁昌亭」の誕生を機会に、一度落語を聞いてみよう・・・これはまた素晴らしいことです。「繁昌亭効果」で、落語ファンの底辺がかなり拡がりそうで、今後が楽しみであります。

ただ、我々としては今の「繁昌亭」に一抹の物足りなさを感じています。それは、そう「桂吉朝」がここにいないこと。一周忌を過ぎた今でも、やはり寂しさはぬぐえません。

現在「ワッハ上方」で「特別展・桂吉朝の魅力」が催されています。そこに寄せられた数々のメッセージのなかで、吉朝師と親交の深かった、女優・演出家のわかぎゑふさんの書かれた一文・・・「今からでもいいから、桂吉朝という人を知ってください。そして今からでも桂吉朝のファンになってください。」
 
本来、「繁昌亭の顔」であるべきだった吉朝師。吉朝師を知らずに「繁昌亭」へお越しお客様方にも吉朝師のCDやDVDを是非聞いてもらいたいものです。
 あえて言います。「桂吉朝を知らずして、落語を語る無かれ」

来年も引き続きお引き立てのほどをお願い申し上げます。2007年は真価が問われる年となるでしょう。「繁昌亭」も、そして「駅前寄席」 も・・・

*「特別展・桂吉朝の魅力」は、大阪難波「ワッハ上方」にて、26日(火)まで開かれています。

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 ひとりごとNo81 2007年2月25日・第109回駅前寄席プログラムより】

 
誤解を恐れずに申し上げるなら、私にとって「関西テレビ」は、かなり魅力的なテレビ局です。たとえば、自社制作のワイドショーの司会には上方落語家を起用。あの伝説の「ハイ!土曜日です」の米朝師から、現在の「痛快!エブリデイ」の南光師まで、上方文化の色合いたっぷりの番組作りに、各師匠方の存在は欠かせません。

その他、関西テレビの番組は、結構大阪らしい味のあるものが多いようです。その集大成が、1979年10月~1990年3月にかけて放映された「花王名人劇場」です。日曜夜9時というゴールデンタイムに、枝雀師の落語ややすしきよしの漫才といった本格的演芸が楽しめるという、現在ではあり得ないようなまさに珠玉の番組でした。
 
また「裸の大将」もこの枠でした。芦屋雁之助さん扮する「山下清画伯」の放浪記。他愛もないワンパターンドラマながら、何ともいえないほのぼのとした味がありました。

その後「名人劇場」はドラマ中心の「ファミリースペシャル」にかわり、1996年から、今物議を醸している「発掘!あるある大辞典」 へと移行します。

私、この「あるある」はほとんど見てません。それゆえ、例の捏造疑惑についてここでどうこう言うつもりはありません。ただ、私がなぜこの「あるある」は見てなかったのか。それは、あの「関西テレビ」制作でありながら、上方文化の匂いが全くしないからです。あの時間枠、花王がスポンサーを降り、関西テレビが東京キー局フジテレビに明け渡したとの報道がありますが、私にはどうでもよいこと。関西テレビが、その魅力を放棄した番組作りをしてきた報い、と私は見ています。
 
そこで、私からの勝手な提案。関西テレビさん並びに花王さん。放送時間帯について贅沢は言いません。昨今はビデオやDVDなどでいつでも録画できます。ここらで「花王名人劇場」を復活してみませんか? 「繁昌亭」などで今上方落語が見直されています。ぜひ、御一考を・・・・

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 ひとりごとNo82 2007年4月15日・第110回駅前寄席プログラムより】

 
ある時は「放送作家」、またある時は「意地悪ばあさん」、またある時は「東京都知事」。その実体は・・・昨年末亡くなられた青島幸男さん。
 
ある時は「喜劇役者」、またある時は「渋いバイプレーヤー」、またある時は「クレージーキャッツのリードボーカル」。その実体は・・・先日亡くなられた植木等さん。
 
で、このお二方がタッグを組んで世に放った数々の名曲「スーダラ節」「ハイそれまでョ」「これで日本も安心だ」これらの歌は今でもたびたび口ずさんでいます。
 
特に私のお気に入りは「黙って俺について来い」1番の歌詞は、

♪ 銭のないやつぁ 俺んとこへ来い
   俺もないけど 心配すんな
   見ろよ青い空 白い雲
   そのうちなんとか なるだろう~

この何とも「お気楽」な歌詞が、植木さんの伸びやかな歌声とマッチしています。この歌を歌っていると、少々の悩み事など、たちどころに消えてしまいます。何度私を救ってくれたことか・・・
 
昨今、こういう感じの歌があまり生まれてこないことに寂しさを感じているのは私だけでしょうか。何か、世の中に余裕が亡くなってきてるのでしょうか・・・

 お二方のご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo83 2007年6月3日・第111回駅前寄席プログラムより】

 
お笑いコンビ「タカアンドトシ」の ギャグじゃないけれど、生活様式の「欧米化」で正座をしない日本人が増えているようです。家での食事は椅子とテーブルが主流。今どき「卓袱台(ちゃぶだい)」を囲むのは「サザエさん一家」 くらいではないでしょうか。親御さんによっては「スタイルが悪くなる」「O脚になる」などの理由で子供に正座をさせない家もあるようです。
 
また「正座が当たり前」だとされていた世界にも、異変が起きています。茶道の裏千家では、正座をしない「立礼式」茶道や、あぐらをかいてお手前をする茶道も誕生しているようです。お寺の「法要」も、椅子にすわってするのが主流のようです。
 
学校現場では、生徒に正座をさせると「体罰だ」とPTAににらまれることもあるようです。このように、今や正座は「きついもの」「特殊な修行」というイメージで語られるご時世のようです。
 
そんな中、頑として正座にこだわり続ける集団がいます。そう、我々「噺の会じゅげむ」メンバーは、毎回正座姿で皆様のご機嫌を伺っております。なぜいつも正座なのか。それは落語という芸は正座ならばこそ成り立つ芸だからです。
 
落語は、聞き手の「想像力」と演じ手の「演技力」の合わせ技でストーリーが進行します。「想像力」をふくらませるためには、演じ手はシンプルな姿の方がいいのです。
 
正座をすると、客席に見えるのは上半身のみ。そこからいろいろな姿・仕草を想像します。ひざを動かせば、歩く動作が表せます。そのほか、上半身だけだからこそ、空も飛べるし、はしごも登れる、船もこげる、枝にもぶら下がれる、まさに自由自在です。
 
そのほか、正座をすることで心が引き締まり、「皆様に噺を聞いて頂こう」という気持ちが前面に出るという、精神的効果もあります。
 
正座。大切にしたい日本文化であると考えます。スタイルが悪くなろうが、O脚になろうが、今日も私たちは正座姿で がんばります・・・

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 ひとりごとNo84 2007年8月19日・第112回駅前寄席プログラムより】

 
落語をモチーフにした映画「しゃべれどもしゃべれども」を見ました。主人公は架空の落語家(国分太一)ですが、物語は落語とは無縁だったの素人たちがどのように落語と関わってゆくのかが焦点となっています。会話の苦手な女性(香里奈)、関西出身で学校でいじめにあっている少年(森永悠希)それぞれに感情移入しながらスクリーンに注目しました。私自身も素人落語家の一人。 自分にとって落語って何なのだろう・・そんなことも改めて考えていました。そして思いました。 この映画、是非拾八さんと一緒に見たかった。拾八さんのこの映画についての感想を是非聞きたかった・・・

 この10月から始まるNHK朝ドラ「ちりとてちん」のヒロインは上方落語家を目指す若い女性(貫地谷しほり)。「上方落語界」がドラマの中でどのように描かれるのか。非常に興味深いものがあります。そして思いました。 このドラマを、おそらく拾八さんも毎日見るでしょう。このドラマの感想を是非拾八さんと 語り合いたかった・・・

 上方落語界のサラブレッド桂小米朝さんが、五代目「桂米團治(かつら・よねだんじ)」を来年10月に襲名することが決まりました。小米朝さんの師匠であり父である人間国宝桂米朝師の師匠の名跡・まさに上方落語界のビッグネームの復活となります。関西芸能界が盛りあがることは間違いないでしょう。そして思いました。 このニュース、拾八さんはどんなコメントをされるのか・・・この話題で、拾八さんと大いに盛りあがりたかった・・・

「駅前寄席・仁六家拾八・追善興行」まもなく開演です。

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 ひとりごとNo85 2007年10月14日・第113回駅前寄席プログラムより】

 
はっきり言って、今、「国技」たる「大相撲」は、存続の危機です。ある調査によると、日本人の半数は「大相撲には興味がない」のだそうです。一部週刊誌は、やれ八百長だの何だのと、「大相撲バッシング」に躍起になっています。それはもう「この世から大相撲なんかなくなってしまえ」と言わんばかりです。

そんな逆風に追い打ちをかけるかのように、例の「朝青龍事件」。高砂親方の「弟子掌握能力」の無さ、相撲協会の「危機管理能力」の欠如が浮き彫りになりました。未だに朝青龍関本人からも、北の湖理事長以下相撲協会からも、ファンに対して何の謝罪も釈明も行われていないのはどういうことでしょう。どこか、他人事です。
 
でもこれはまだ「お間抜け事件」で済むかもしれません。でも、あの「時津風部屋事件」。一人の命を奪って、それも「かわいがり」の名の下の集団リンチ。こんな事が明るみになって、誰が力士を志願するでしょう。誰が可愛い我が子を相撲部屋に送るでしょう。
 
さらに許せないのが時津風親方及び相撲協会の「隠蔽体質」です。他の事とは違います。「刑事事件」となった今、事はうやむやでは済まされません。ここを避けて通っていては、ファンはますます大相撲から遠ざかってゆくでしょう。
 
相撲協会は、元力士だけで運営されています。相撲一筋で、どうしても世間知らずになりがちな元力士オンリーでは、これからの時代、限界があるでしょう。これからは思い切って、違う分野出身の人を招聘して協会運営の一翼を担う、そういうことも必要かと思います。
(ちなみに、プロ野球機構は野球を知らない「名誉職」の集まり。これも困ったものですが・・・)

とにかく、この危機を乗り越えて大相撲が発展してゆくことを願わずにはいられません。大相撲がなくなったら大いに困ります。大相撲がなくなると「相撲場風景」「大安売り」「花筏」といった噺ができなくなりますから!

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 ひとりごとNo86 2007年11月4日・第114回駅前寄席プログラムより】

 
今回で「駅前寄席」は15周年を迎えます。これもひとえに、皆様方のご支援のたまものです。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
 
15周年と言いましても、「落語」の歴史は約300年。「駅前寄席」の歴史はその20分の1にすぎないのですが、やはり「継続は力なり」を実感します。

さて、300年の歴史と言えば、「赤福」が 創業以来の大ピンチです。この事に私は深く心を痛めています。マスコミは一方的に「赤福」を悪者にしてますが、ここではあえて誤解を恐れず、「赤福ファン」の一人としてエールを送りたい・・・
 
私の両親が伊勢の出身ということもあって、子どもの頃から、「赤福」は最上級のおやつでした。私の中では、「赤福」は単なる伊勢土産ではなく、「和菓子の王様」です。あの滑らかで上品な甘さのこしあんは、他にはあり得ない究極の味わい。 普通、和菓子は、2~3個食べたら「もう結構」。でも「赤福」なら、一箱でも空けられます。
 
そんな「赤福」は「伊勢の名物」でありながら、大阪でも気軽に買えます。近鉄やJRの売店に、いつも山積み。 賞味期限2日の生菓子を、伊勢から遠く離れた場所でも 欠品無く供給するためには・・・冷凍もやむを得ない気がします。だから今後は、駅売店で売られるものについては、「解凍品」であることを明記して売れば問題ないと思います。「生」が食べたければ、伊勢まで足を運べばいい・・・
 
強引かも知れませんが、落語に例えると、駅売店の「赤福」はTVやDVDなどの映像。そして伊勢の本店で売られている「赤福」が寄席でのライブ。映像でも落語は充分楽しめます。でも、本物の味わいは、やはりライブならではです。
 
さて、伊勢本店の「赤福」には遠く及ばないかも知れませんが、今日も6席ライブの 醍醐味を楽しんで頂きます。乞うご期待!


(追記:この原稿作成後、新たな事実が明るみとなり、私の想像を遙かに超えた事態となっておりますが、私の「赤福」復活への想いは、変わることはありません!)


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 ひとりごとNo87 2007年12月16日・第115回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて、今年2007年。我々「噺の会じゅげむ」メンバーにとってあらゆる意味で転機の年となりました。5月31日、かけがえのない仲間である「仁六家拾八」さんが亡くなられました。享年59歳。あと一週間で還暦だったのに・・・
 
以前にもこのコラムで述べましたが、拾八さんの落語に対する真摯な姿勢は当会随一でした。また、じゅげむのメンバーはもちろん、ご家族、職場の同僚からも慕われており、そんな人柄が、そのまま高座に表れていました。半年たった今でも、ここに拾八さんがいないことがどんなに寂しく、くやしいか・・・メンバー一同今後も「拾八イズム」を胸に刻んで、さらに精進していきたく思います。
 
そしてもう一つの転機。今年は落語をモチーフにした映画・舞台・TVドラマが数多く披露されました。中でもNHK朝ドラ「ちりとてちん」には、多くの上方落語ファンが釘付けになってます。祖父と一緒に聞いた一本の落語テープが、一人の少女を落語家の世界へ導きます。ヒロイン喜代美(貫地谷しほり)の内弟子修業に、ハラハラドキドキ。落語の基本的知識も満載で、このドラマをきっかけに落語ファンの底辺が広がる事が期待されます。
 
改めて、素人ながら落語に携わってることに大いに誇りを感じた一年でした。来年はさらに努力を重ね、落語を通じてより多くの方々と楽しいひとときを共有できるよう頑張っていきたいと思ってます。今後ともより一層のご声援をお願い申し上げます。

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 ひとりごとNo88 2008年2月11日・第116回駅前寄席プログラムより】

 
新しい「大阪の顔」は、38歳の若きタレント弁護士・・・さる1月27日投票の 大阪府知事選挙で、橋下徹氏が183万票を獲得。これは他の有力候補2名の票数を 合算しても届かない圧倒的勝利でした。「第二の夕張市」になりかねない財政的ピンチを どう乗り切っていくのか。「地盤沈下」が叫ばれて久しい大阪経済をどう建て直すのか。 また彼が公約で掲げた「子育て支援」はどこまで具体化できるのか。38歳の手腕が見ものです。ぜひとも頑張ってもらいたい。(ついでながら、昨年当選した大阪市長が平松邦夫氏。大阪は市長が「くにお」で知事が「とおる」となります。)
 
さて、この大阪府知事選挙ですが、毎回、時代の空気を色濃く反映してきました。戦後 高度経済成長の象徴ともいえる「大阪万博」を成功させたのが左藤義詮氏。ところが翌年 黒田了一氏に敗れました。折からの「革新ブーム」にのって、黒田革新府政は二期8年 続きました。六代目笑福亭松鶴師が先陣をきって選挙応援演説をされてたこと、極度の 顔面神経痛の姿が印象的です。
 
その後副知事から昇格した形で岸昌氏が三期12年。与野党相乗りで、府民の選択肢が狭められた時期でもあります。後をうけた中川和雄氏も副知事から昇格。府民は無難な 選択をします。しかし、中川氏は一期のみで立候補を断念します。
 
そして95年、横山ノック氏が当選。東京都の青島幸男氏共に「無党派ブーム」の 象徴となりました。タレント知事ということでは橋下氏と同じですが、横山氏の場合 参議院議員の経験が長く、ある意味政治のプロだったと言えます。99年に再選されてすぐ「セクハラ問題」で辞任。いろいろ問題の多かった人ですが、「ワッハ上方設立」 など、成果も結構多いのです。
 
00年には全国初の女性知事、太田房江氏当選。官僚出身ということで、男性顔負け の辣腕をふるいました。その後続々誕生した女性知事の先駆けです。

そんな時代に敏感な大阪府民が選んだ橋下徹氏。まずはお手並み拝見・・・

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 ひとりごとNo89 2008年4月20日・第117回駅前寄席プログラムより】

 
2007年4月、徒然亭草々(青木崇高)・若狭(貫地谷しほり)夫妻に待望の子宝が。若狭、無事女の子を出産。当初草々は「女の子なら落子(おちこ)にしよう。」などと言っていたが、結局二人の本名から一文字ずつとり「一美(ひとみ)」と命名。(現在放映中の朝ドラヒロインと同じ名前。配役は若狭の子供時代を演じた桑島真里乃)
 
若狭は子育ての傍ら草々の内弟子たちや「ひぐらし亭」に出演する上方落語家みんなのおかみさんとしても活躍中。落語家引退宣言をしたものの、心のどこかで「これで良かったのか?」と自問自答の日々。
 
一方「ひぐらし亭」のスポンサーでもある「若狭塗箸製作所」社長のA子(佐藤めぐみ)は、「ひぐらし亭グッズ」として、徒然亭の噺家ネーム入り塗箸を販売。箸の売り上げがそのまま噺家の人気投票に。A子は若狭に「ダントツに売れてるのが徒然亭若狭のネーム入り塗箸。みんなB子の復活をまっとるでぇ。」
 
小草々(辻本祐樹)を筆頭にいつの間にか草々の弟子は四人に。2008年4月。四番弟子小若狭(こわかさ。女性の弟子。小浜市の隣の若狭町出身。配役は女性落語家露の團姫)の初舞台を兼ねた「徒然亭草々一門会」。当日トリを務める予定の師匠草々の体調が思わしくない。熱が38℃。ほとんど声も出ない。しかし草々は弟子たちの手前無理している。一門会は次々進み、とうとう草々の出囃子が。ところが高座には誰も出てこない。客席は次第にざわつき出す・・・。
 
そのとき高座には、若狭の姿が。それは「あの時」の草若師匠(渡瀬恒彦)のように。草々が演じる予定だった「愛宕山」を演じきった若狭。「子育て中につき、ひぐらし亭限定で高座復帰致します。」客席は大きな拍手で、若狭の復活を祝福。
 
一番弟子草原(桂吉弥)の息子颯太(中村大輝)は父の弟子となり「徒然亭小草原」。四番弟子四草(加藤虎之介)にも弟子ができ「徒然亭すなば」(公園の遊具でシーソーに砂場。配役は落語家桂吉坊)。小草若改め四代目草若(茂山宗彦)には弟子はまだだが、A子との遠距離恋愛は継続中・・・。

と言うわけでこの三月に終わったドラマ「ちりとてちん」の続編を勝手に作ってみました。


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 ひとりごとNo90 2008年5月18日・第118回駅前寄席プログラムより】

 
先日、国立文楽劇場(大阪・日本橋)へ行ってきました。第110回文楽公演夜の部演目は「日吉丸稚桜(ひよしまるわかさのさくら)」「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」。 「桂川連理柵」は、私が今日かけさせてもらう「胴乱の幸助」に出てくるお話です。そこで、このあらすじを・・・

京都にある「帯屋」の旦那「長右衛門」は仕事の帰り、石部の宿屋に泊まります。そこに帯屋の隣「信濃屋」のお嬢様「お半」。伊勢詣りの帰り道、乳母と丁稚「長吉」をお供に従え偶然長右衛門と同じ宿屋に泊まり合わせます。
 
長右衛門とお半は幼なじみ。親子ほど歳は離れてるが、隣のお嬢さんということで何かと可愛がっていました。そんな長右衛門が泊まってる部屋にお半が飛び込んで来ます。丁稚長吉のセクハラに耐えかねて逃げてきたのです。長右衛門は「まだ子供のこと」と自分の布団にお半を寝かせますが、そこで「間違い」が起こります。
 
長右衛門の養父「繁斎」の後妻「おとせ」は自分の連れ子「義兵衛」を可愛がるあまり長右衛門を追い出そうとします。おとせが金戸棚からくすねた50両も長右衛門に罪をなすりつけようとします。
 
おとせ・儀兵衛母子は50両の件、そしてお半との件を長右衛門に詰問します。儀兵衛はお半が長右衛門に宛てた手紙を読み上げます。「長様、参る」。長右衛門の妻「お絹」は「この長様とは、長右衛門のことではなく隣の丁稚長吉のこと」ととりなします。あらかじめお絹から根回しされていた長吉はおとせ・儀兵衛の前で「それは自分の事」と答えます。それでもおとせ母子は50両の件で長右衛門をなじります。繁斎はおとせをたしなめ、その場は収まりましたが・・・
 
結局お絹は何もかも知っていました。そんな自分に情けなくなった長右衛門。お半が長右衛門の元に置き手紙「桂川に身を投げます」。その後を追う長右衛門・・・

というわけで「胴乱の幸助」 お楽しみ下さいませ・・・ 


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 ひとりごとNo91 2008年6月15日・第119回駅前寄席プログラムより】

 
「駅前寄席」にお越しの皆さん。お久しぶりです。仁六家拾八です。私があちらの世界へ行ってからも、「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」を贔屓にして下さいまして、ほんまにありがたいことです。御礼申し上げます。
 
今日は私の「一周忌追善興行」らしいですな。もう1年になりますか。早いもんですな。今はおかげさんで、毎日のように落語を聞かせてもらってます。あちらの世界は「名人」が揃ってますよって。初代春團治に六代目松鶴。枝雀さんに吉朝さんも頑張ってまっせ。
 
けどね、落語を聞く場所はあっても、私が落語をやる場所がありまへんねん。こんだけ「名人」が揃ってるとね、素人の出る幕がおまへんねん。そやからね、今の「じゅげむ」のメンバーに言うてやりたいですわ。こういう落語をやれる場所があることに感謝せなあきまへん。こうやって、足を運んで聴きに来てくださるお客さんのおかげで、好きな落語がめいっぱいやれるんや、てね。
 
今日の番組 、トップが哀楽さん。今もそうやけど熱心に「出前寄席」に取り組んではりました。私もようご一緒させてもらいました。くじらさんは「たけのこ」。私もそうやったけど、最初のうちはまず短い噺から言うことで、こればっかりやってましたな。
 
司之助さんには、ほんまに感謝ですわ。司之助さんと出会わなんだら、こんな場所があると言うことを知らんままやったでしょうな。私ら大学の「落研」とは無縁やったよって、ほんまありがたいことですわ。

弘遊さんとは、歳も近かったこともあって、仲良うさせてもらいました。小輔くんは同じ「和泉市」組やということもあったし、「じゅげむ」に入ったのもほぼ同時やったから、いろいろ苦楽を共にさせてもらいました。
 
私のビデオも流れるんですな。まあ、楽しんでもらえたらうれしいことですわ。

実はいつも、「駅前寄席」がある日は、あちらの世界を抜け出して高座の袖で聴かせてもろてます。今日はせっかくやから、客席で聴かせてもらいますわ。どこか席、空いてまへんやろか・・・・

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 ひとりごとNo92 2008年8月17日・第120回駅前寄席プログラムより】

 
今「上方落語」がブームらしいですね。
 
ここで「らしいですね」なんて曖昧な表現を使うのはなぜか。「噺の会じゅげむ」のメンバーになって10年、それ以前の「一落語ファン」だった時代も含めると20年近く落語と関わってきた私には、かえって今のブームがピンと来ないのです。世の中の動きとは無関係に、ずーっと落語を追いかけてきましたから・・・。
 
でも、ある噺家さんのブレイクぶりをみると、これはまさに「大ブーム」と言えます。ドラマ「ちりとてちん」でヒロイン徒然亭若狭の兄弟子「徒然亭草原」を好演された桂吉弥さん。上方落語界の「ちりとてちん効果」は、彼が独り占めしている感があります。
 
神戸大卒のインテリでもある吉弥さん。元々、教師志望だった彼は大学の落研で活躍。ある落語会で桂吉朝師の魅力にはまり弟子入りを志願します。
 
師匠である吉朝師は当時の吉弥青年に「今まで落研でやった落語はすべて忘れなさい。私が一から教えてあげる。」そうです。吉弥さんは、あの「吉朝落語」の極意を根底からたたき込まれたのです。基本に忠実で端正、尚かつシュールなセンス。「吉朝師に最も近い噺家」はこうして生まれました。吉弥さんも常々「お前の師匠の落語を聞いてみたい、と言われる噺家をめざしている」と話されています。
 
吉朝師は落語ファンにとっては「大スター」なのですが、いかんせんマスコミの露出が少なかったので、どうしても「玄人ウケする噺家」という評価で終わってしまう事が多いようです。しかし、吉弥さんは「ちりとてちん」以外でも幅広く多くのTV・ラジオ番組に出演。今、最も「落語初心者に愛される落語家」でもあります。
 
そんな吉弥さんは、今、最もチケットのとりにくい噺家でもあります。「繁昌亭」などの前売り券はいつも発売当日売り切れ。DVDも何枚か出て、これもよく売れてます。
 
桂吉弥さん。これからも間違いなく進化し続けるでしょう。ずっと注目し続けたいです。

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 ひとりごとNo93 2008年10月12日・第121回駅前寄席プログラムより】

 
祝・埼玉西武ライオンズ パ・リーグ優勝!

お客様方はもちろん、我々「噺の会じゅげむ」のメンバーの中にもプロ野球に全く興味のない人もいれば、他のチームを贔屓にしている人もいるでしょう。でも、こうして「西武百貨店」で「駅前寄席」を開催させてもらってはや21回目。西武百貨店に全面的にお世話になっている我々にとって、やはりこの優勝は喜ばしいことです。
 
この優勝への道のりは、決して平坦なものではありませんでした。「松井稼頭央」「松坂大輔」といったスター選手の米大リーグ流出、「裏金問題」に端を発したチームイメージの低下など様々な要因が響き、先シーズンは25年間守り続けたAクラスから転落。今シーズンは渡辺新監督の下「捲土重来」の年となりました。
 
渡辺監督といえば、現役時代はライオンズのエースとして活躍するも、「戦力外通告」・「台湾球界移籍」などを経験した苦労人。 昨年までライオンズ2軍監督だった経験を生かし「選手の個性を重んじる」チーム作りに徹しました。
 
その監督の姿勢に応えるべく、各打者は初球からフルスイング。その結果、「中村」「ブラゼル」「GG佐藤」といった中軸打者は本塁打を連発。一方、
「片岡」「栗山」の1・2番コンビが塁を駆け回る。おおらかな伸び伸び野球。まさに「大人の集団」です。
 
かつて、森監督が率いていた時代とはひと味違う 「第2期黄金時代」の予感がします。ライオンズが盛りあがれば、高槻の街も活気づきます。何と言っても、ここ「西武高槻百貨店」は高槻のシンボルですから。
 
私たち「噺の会じゅげむ」もライオンズに負けないよう、しっかり高槻の街を盛りあげたいものです。こじつけを承知で申しあげるなら、「ライオンズ」と「噺の会じゅげむ」、遠縁の親戚といえるでしょう・・・

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 ひとりごとNo94 2008年12月14日・第122回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて、いつも思うのですが我々「噺の会じゅげむ」本当に不思議な団体です。出身も年齢も職業も見事にバラバラなメンバーが月に一回集まり、皆で力を合わせて寄席を運営しています。みんな決して仲が悪い訳では無いのですが、お互いのプライベートには深入りはしません。また、普段から「芸名」で呼び合ってるせいか、ふと「本名」が出てこないことも珍しくありません。
 
職業も、公務員・会社員・自営業とさまざまです。そんな中、本職が「学校の先生」なのが、本日3席目に登場の「喜怒家哀楽」さん。教員というのは「先生と教え子」という関係により、一般の我々にない広い人脈を持っています。そんな多くの「教え子」の中に、なんと「プロ講談師」がいました。何とか彼の存在を多くの人に知らせたいという哀楽さんらしい「親心」により、今回当会の定期公演としては初の試みとしてプロの芸人さんをゲストとしてお招きする運びとなりました。
 
今回登場する「太平洋」さん。ちょっと異例の「亭号」のない講談師です。その他くわしい事は、「恩師」哀楽さんの方から説明があることと思います。そちらの方もお楽しみに・・・。
 
来年以降も、メンバー一同様々な「試行錯誤」を重ねつつ、より楽しい高座づくりに精進してまいります。引き続き、ご贔屓のほどをよろしくお願いします。

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 ひとりごとNo95 2009年2月15日・第123回駅前寄席プログラムより】

 
高槻にお住まいの方に「高槻の名物は?」尋ねますと、ほとんどの方から「総本家田辺屋の冬籠(ふゆごもり)」という答えが返ってきます。その「総本家田辺屋」から、今年3月末をもって創業170年の歴史にピリオドを打つという発表がありました。
 
実は私、大阪市在住とは言え10年近く高槻で活動をさせてもらっているにも拘わらず、今まで「冬籠」を食べたことがありませんでした。これではいけないと思い、先日購入いたしました。
 
なるほど、原料・水・釜・燃料、すべてに創業以来変わることのない製法を頑なに守り続けた結晶・・・文章では表現できない「上品」な味わいです。
 
お店の方にも「何とか残せないものでしょうか?」なんてお願いをしてもみましたが、その後よく考えてみて、これは安易に「残してほしい」なんて言えるものではない、と言うことに気づきました。最高の原料、地下水、ガスを使わず燃料は薪、銅竃、そして熟練の職人、どれ一つとっても今の時代においそれと調達出来る物ではないのですね。
 
確かに残念です。特に高槻市民の方々にとっては、いわば「高槻の象徴」ともいうべき銘菓がなくなるというのは、断腸の思いでしょう。でも、ここは「田辺屋」の方々の「偽物は作りたくない」という良心を尊重するしかないようです。「冬籠」はその「歴史的使命」を終えたということではないでしょうか?
 
なお、3月末までは「総本家田辺屋」は営業されてます。是非とも一度ご購入のうえ、その「本物の風味」をご堪能いただきたく思います。今まで「お使い物」として購入されていた方も、一度ご自身のご賞味の為にお買い求め下さい。

 ・ 田辺屋本店   高槻市上田辺町5-18  JR高槻駅から南へ徒歩3分 
 ・ 田辺屋阪急駅前支店 高槻市北園町16-16  いずれも水曜日定休日

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 ひとりごとNo96 2009年4月19日・第124回駅前寄席プログラムより】

 
WBCで「侍ジャパン」が2連覇達成!それまであまり野球に詳しくなかった方々をも巻きこんで盛り上がりました。それと平行して選抜高校野球も熱戦の連続。そしてプロ野球開幕・・・野球というスポーツは「第2の国技」と言ってもいいかと思います。
 
しかし、そんなプロ野球を目指す若者の受け皿が減ってきています。企業のクラブチームが不況のあおりを受けて次々と廃部に追い込まれています。この流れをくい止めようと、四国を皮切りに各地の「独立リーグ」が誕生しています。
 
その「独立リーグ」が関西にも・・・日本初の女子プロ野球選手の吉田えりちゃんの話題でご存じの方もおられましょう。関西にも独立リーグのチームが出来ました。 

「大阪ゴールドビリケーンズ」 監督 元近鉄の顔 村上隆行氏
「神戸9クルーズ」      監督 元阪神主力投手 中田良弘氏
「明石レッドソルジャーズ」  監督 元近鉄名外野手 北川公一氏 
「紀州レンジャーズ」     監督 元阪神の顔で安打製造機 藤田平氏
  
の4チームから成っています。来年は、滋賀・三重のチームも参戦予定でさらなる盛り上がりが期待できます。

それぞれの選手が、将来のNPB(いわゆるセパ両リーグのプロ野球)入りを目指して切磋琢磨しています。それぞれに魅力的な選手がそろってますが、いちばんの目玉は、やはり「神戸9クルーズ」の吉田えり投手ということになるでしょう。彼女は、日本には指導者もお手本もいないといわれる「ナックルボール」という特殊な変化球を独学でマスターしました。その「魔球」ともいうべきナックルボールで並み居る打者をいかに料理してゆくか・・・水島新司氏の漫画「野球狂の歌」の主人公・水原勇気が現実となるかも、と今から興味津々です。

NPBとは違った角度で「地域密着型」で展開してゆく「関西独立リーグ」
プロアマの違いこそあれ「地域密着型」の我々からもエールを送りたいです・・・

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 ひとりごとNo97 2009年6月14日・第125回駅前寄席プログラムより】

 
将来を嘱望されながら、若くして亡くなられる噺家さんがどうも上方には多いように思います。今生きておられたら・・・返す返すも惜しい。
 
1993年に51歳で亡くなられた桂春蝶師もそのお一人です。熱狂的阪神タイガースファン。軽妙かつ一本筋の通ったトークでマスコミの人気者でもありました。
 
「猫の忠信」「替り目」「植木屋娘」「鉄砲勇助」等の正統派古典落語を演じきる一方で「昭和任侠伝」「ピカソ」などの創作落語も数多く発表。ある意味、春蝶師は落語家の理想像ではなかったかと思います。
 
ただ、春蝶師の高座姿を見るにつけ「この人は長生きできないだろう。」と思いました。典型的な「骨皮筋右衛門」。失礼ながら「骸骨が着物を着て座ってる」感じ。なるほどそれもその筈、素麺と酒のみの毎日だったそうです。もう少しまともな食生活を送っておられたら、と残念でなりません。
 
で、その遺志を受け継ごうと、翌年4月 春蝶師の師匠である3代目春團治師に入門した青年こそ長男の桂春菜さん。親子で「兄弟弟子」となりました。
 
その春菜さん、古典落語に精進する一方、お父様の遺作「昭和任侠伝」にも挑戦。マスコミの仕事も順調にこなしています。お父様同様、落語家らしい落語家になりつつあります。違うのは「健康状態」くらいでしょうか。
 
で、いよいよこの8月、春菜さんは「三代目桂春蝶」を襲名します。(お父様は二代目だったんですね。)春菜さんならこの春蝶という名前をきっと大きくしてくれるでしょう。ぜひとも、お父様をお手本に、更なる精進を期待したいものです。
(但し、健康面だけは見習わないように・・・)

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 ひとりごとNo98 2009年8月23日・第126回駅前寄席プログラムより】

 
橋下徹大阪府知事が誕生して、約1年半がたちました。「財政再建」の旗印のもと、時には「嫌われ者」になりながらも、日々奮闘中の毎日です。

そんな中「大阪府立上方演芸資料館」通称「ワッハ上方」が、現在の難波から「通天閣」に移転するという大阪府の方針がこの7月に発表されました。

「ワッハ上方」といえば、貴重な上方演芸に関するの生きた資料が数多く展示及び保存されています。また、「ワッハホール」「レッスンルーム」といった演芸場は、上方演芸にかかわる多くの芸人さんたちの発表の場でもあります。通天閣移転となれば「演芸資料」の保存・展示は継続されますが、「演芸場」は廃止となります。
 
「財政再建」という観点にたてば、やむをえない部分もありましょうが、実は一番のネックは年間4億とも言われている賃借料です。それも、家主は「吉本興業」。本来なら、吉本が寄付してもいいくらいの施設です。ここを改善すれば、あえて移転する必要もないように思います。特に「演芸場」廃止は、上方演芸ファンとしては残念です。
 
一方、移転先の「通天閣」といえば、大阪のシンボルといわれてますが、その根元の「新世界」は折からの「不況」の影響もあり、他府県の方々が思われてるほど賑わいはありません。そんな新世界の活性化の意味では、この移転案も「有り」でしょう。
 
で、もう一つ、通天閣で忘れてはいけないのが、松竹芸能の本拠地「通天閣劇場」です。「道頓堀」から撤退し、新天地を新世界に求めた松竹芸能ではありますが、まだまだ盛況とはいえません。「ワッハ上方」と「通天閣劇場」の相乗効果を考えれば、上方演芸の活性化にもつながるでしょう。
 
橋下知事は「この案は99%の人が賛成してくれるはず」と仰ってますが、まだまだ詰めなければいけない問題もあります。どうか、結論を急がずに熟慮してもらいたいものです。


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 ひとりごとNo99 2009年10月25日・第127回駅前寄席プログラムより】

 
「お伊勢七たび、熊野にゃ3度。愛宕さんへはナー月詣り・・・」と、伊勢音頭にも歌われています。我々落語愛好家にとっては心のふるさとともいうべき「愛宕山」に、我が「噺の会じゅげむ」のメンバーが行ってまいりました。

落語「愛宕山」では、京都は室町辺の旦那が祇園から芸妓・舞妓・幇間を引き連れて「野がけ」、つまりピクニック感覚で愛宕山登山を楽しむという噺ですが、山歩きに不慣れな(今回の発案者・三流亭志まねさんは例外です。)私たちには、なかなかハードな山行きでした。
 
「愛宕山坂、エー坂、二十五丁目の茶屋の嬶・・・」と噺の中で歌われている「二十五丁目茶屋」跡は、今は休憩所となっています。で、噺ではここで「かわらけ投げ」を楽しむことになっています。しかし現在、この近辺で「かわらけ投げ」を楽しむには一旦山を下りて「神護寺」へ行くことになります。
 
で、もちろん「神護寺」へも足を運びました。「かわらけ」とは、素焼きの土でできたちいさな皿のようなもので、伏せてフリスビーのように飛ばします。このかわらけを飛ばすことで「厄除け」となります。
 
こうして、落語「愛宕山」の世界を充分満喫したわけではありますが、残念ながら「噺の会じゅげむ」 の定例会で「愛宕山」はまだかかったことがありません。何せハメ(お囃子) がふんだんに入るので、生の下座さんと綿密に打ち合わせが必要で我々素人には、なかなか手が出ない噺ではありますが・・・
 
何とか、この体験を生かせないかな?
いつの日か「愛宕山」をこの場で披露できる日が・・・来たらいいな!


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 ひとりごとNo100 2009年12月20日・第128回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて、今年の終盤・・・10月29日に三遊亭円楽師、11月10日には森繁久彌師。日本芸能界の重鎮が相次いで亡くなられました。お二方が遺された功績は計り知れないものがあります。それぞれの分野において、大きな損失です。
 
でも、私が今最もショックなのは、11月23日に42歳の若さで急逝された亀山房代さんです。常に「元気印」の亀山さんから、幾度となくエネルギーをもらいました。新聞の死亡記事を見て、何度も我が目を疑ったものです・・・
 
NSC(吉本総合芸能学院)出身ながらこれといった「芸」を持ち合わせていなかった亀山さん。かの「ザ・ぼんち」を解散したばかりの里見まさとさんに誘われて漫才を始めたのが1989年。失礼ながら「素人」同然だった亀山さんに、まさとさんは一から漫才の基本をたたき込みました。そんな「里見まさと・亀山房代」コンビ。当時としては珍しい「夫婦」でも「元夫婦」でもない全く他人の男女コンビ。下ネタ・一発ギャグを排除した正統派漫才を目指しました。
 
私はそんな「まさと・亀山」漫才のファンでした。「ザ・ぼんち」で試され済みの実力者まさとさんと漫才にひたむきに取り組む亀山さんのコントラストが見事でした。心から安心して笑える漫才でした。
 
2人の努力が実を結び1998年に「上方漫才大賞」を受賞されたときは、思わずTVの画面の前でガッツポーズしたものです。
 
その後は、ワイドショーのコメンテーターや性教育の講演活動など幅広い活動をされてました。結婚により一旦コンビは解散となりましたが、いろんな可能性を秘めた彼女の活躍が期待されてました。誠に「無念」と言うしかありません。
 
月並みですが・・・亀山房代さんのご冥福をお祈りします。


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 ひとりごとNo101 2010年2月21日・第129回駅前寄席プログラムより】

 
基本的に偶数月には、ここ「高槻西武百貨店」にて「駅前寄席」、そして奇数月には「高槻市生涯学習センター」にて「高槻市民寄席」。我々「噺の会じゅげむ」定期公演は、この2本立てとなっております。それぞれ、毎回大勢のお客さま方のお越しにより大いに会を盛りあげてくださってます。 この場をお借りしまして厚く御礼申しあげます。
 
特に、先月17日に開催しました「第54回高槻市民寄席」には、334名ものお客様がご入場下さいました。当会の定期公演では史上最高の大入です。こういう言い方をすると身も蓋もないのですが、素人の落語会としては「あり得ない」入場者数です。これはもう「感謝」の一言につきます。
 
そんな当会の定期公演の通算入場者数が、まもなく20,000名に達します。思えば、グリーンプラザたかつき一号館の通路を紅白幕で仕切って開催していた頃には、想像し得なかったことです。初めの頃はお客様が3名という事も珍しくなかったわけでまさに隔世の感があります。
 
こういう話をすると、他の落語サークルの方々から「どうやってそこまでお客様を集めることが出来るのか。何か秘訣があるのか。」と聞かれることもあるのですが、はっきり言って秘訣なんてありません。我々も「信じられない」というのが正直なところです。あえていうなら「続けてきたから」でしょう。18年間、地道に定期公演を継続する中で、お客様方の間に定着していった、これに尽きるでしょう。
 
で、その20,000名にはいつ到達するのかといいますと、実は「今回」です。今はまだ発表できませんが、この会場の中に「20,000人目」の方がおられます。その方には、ある特典があります。ぜひそちらの方もおたのしみに・・・

 というわけで、本日も最後までごゆっくりとお過ごし下さい。


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 ひとりごとNo102 2010年4月18日・第130回駅前寄席プログラムより】

 
本日の「第130回駅前寄席」は、「噺の会じゅげむ岡山支店社中」による生のお囃子でお送りすることになりました。岡山支店社中は平成20年7月「第45回高槻市民寄席」以来2度目の来阪となります。前回同様、ライブならではの臨場感を楽しんでもらえるものと確信しております。
 
さて、以前にこのコラムで紹介させてもらったかとは思いますが、寄席のお囃子には、演者の登場時に演奏される「出囃子」、噺の効果音として演奏される「はめもの」などがあります。これらのお囃子はもともと上方落語独特のものでした。これは、上方落語と江戸落語の発達の違いによるものです。
 
江戸落語は限られたスペースで演じられる「お座敷芸」として発達しました。ですから、にぎやかな「お囃子」の必要性がありませんでした。一方、上方落語は屋外で不特定多数を相手にする「大道芸」として発展しました。よってお客さんの気を引くためににぎやかな「お囃子」が不可欠でした。
 
今でこそ「出囃子」は江戸・上方両方で演奏されてますが、これも上方から江戸に移入されたものです。で、「はめもの」については現在でも上方落語特有のものとなってます。
 
この「はめもの」が入る噺を演じるにあたっては、高座の「演者」と下座の「お囃子」との連係プレーが必要となります。また「お囃子」は「演者」以上に落語に精通していることが要求されます。 

今回は中トリで岡山支店の笑皆亭凡々さんが「七度狐」、トリで寿亭司之助代表が「鷺とり」。「はめもの」入りの噺を2席お送りする予定です。どのような楽しい高座となるでしょうか。乞うご期待!


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 ひとりごとNo103 2010年6月20日・第131回駅前寄席プログラムより】

 
私、「潮吹亭くじら」はこの度「全日本社会人落語選手権第十六回大阪本選」に出場致しました。今まではどちらかというと「人と争う為に落語をやってるのでない」という考えから、こういう「コンテスト」は敬遠していました。

しかし、「人と争う」 というよりも、「じゅげむ」以外の落語仲間の交流の場も必要であろうということで、思いきって申し込みました。

6月6日(日)大阪千日前「トリイホール」。プロの落語会も頻繁に開催されるホール。私以外の出場者は、前年度優勝者(ここまで4連覇)の竜宮亭無眠さんをはじめ、いづれも百戦錬磨の強者です。

「池田屋騒動」  若鯱亭夢輔(愛知県・落語若鯱亭)
    「蔵丁稚」     立の家猿之助(大阪府・落語天狗の会)
    「天狗刺し」    千里家圓九(大阪府・高石落語集団パンセの会)
    「老婆の休日」  弥勒亭福福(和歌山県・紀州落語愛好会)
    「看板の一」    錦松楼さだ吉(奈良県・京都楽笑会)
         ~仲入り~
    「元犬」       槍田家志ょ朝(愛知県・半田大衆演芸くらぶ)
    「憧れの甲子園」 河内家るぱん (千葉県・小素人連)
    「粗忽の釘」    鹿鳴家吉遊(埼玉県・キャナリー落語教室)
    「肝つぶし」    潮吹亭くじら(大阪府・噺の会じゅげむ)
    「堀川」       柱祭蝶(大阪府・社会人落語泉笑会)
     ~本年度優秀賞審査結果発表~
    「愛宕山」 竜宮亭無眠(岐阜県・楽語の会東海支部)
     ~本年度優勝者審査結果発表~

かつて5連覇を達成された「千里家圓九(せんりや・まるく)」さんがチャンピオンに 返り咲きました。

さて、私の出番は9番目。緊張が最高潮に達しております。そんな中「肝つぶし」 を何とか演じきったのですが、お客様から「声が出ていない」とのご指摘が。確かに他の出場者の方々は「発声」が違います。また、選手権の場において「肝つぶし」というネタの選択はどうだったのか、などいろいろ課題が見えてみました。
 
何にしても、貴重な経験でした。改めて、私の落語を暖かく受け入れてくださる、「駅前寄席」のお客様方のありがたさを感じました。この気持ちを忘れず、今日も頑張ります!  

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 ひとりごとNo104 2010年7月18日・第132回駅前寄席プログラムより】

 

   ♪ ハ~ テレビもねぇ ラジオもねぇ 録画以外は何にもねぇ
     賜杯もねぇ 副賞もねぇ 表彰式には誰も来ねぇ
     懸賞もねぇ のぼりもねぇ 呼び出しの背中は 真っ白け
     観客ねぇ たぶん来ねぇ 15日間 閑古鳥
     おらこんな相撲いやだ おらこんな相撲いやだ 国技の危機だ
     大相撲のために 銭っこぁ貯めて 相撲協会 買い取るだ・・・

                              (吉幾三「おら東京さ行くだ」)

と言うわけで、「大相撲」は存続できるかどうかの瀬戸際まで追いつめられました。日本の国技であり、伝統文化である大相撲がなくなってしまうなんて、あまりに悲しすぎます。
 
こうなった以上、改めるべきところは改めなければならないでしょう。「賭博」がいいことだとは言いません。「暴力団」との関係も、この際断つべきでしょう。
でも、親方・大関の解雇、該当力士の出場停止。「ペナルティ」としては、もう充分だと思います。ごく普通に精進してる大多数の力士たちや「場所」を心待ちにしているファンのためにも大相撲中継はやってほしかったと思います。
 
良くも悪くも、力士というのは「世間知らず」の人間の集まりです。午前中は激しい稽古。午後は休息ですが、おいそれと外には出られません。力士はどこにいても「あ、お相撲さんだ」とすぐわかってしまいます。プライベートは無いに等しい。だから、部屋にこもって賭け事をするしかない・・・
 
力士が賭博にのめり込むことのないように「幅広い趣味」を持てる環境作り。こういったことも考えなければならないでしょう。

がんばれ大相撲。必ず再生してほしい。大相撲がなくなると我々も困ります。なぜなら「相撲場風景」「大安売り」「ちはやふる」「花筏」といった噺が出来なくなります・・・

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 ひとりごとNo105 2010年10月10日・第133回駅前寄席プログラムより】

 
おかげさまで私ども「噺の会じゅげむ」は、先月19日「定例会200回記念興行」を盛況のうちに終えることができました。これもひとえに、寄席に足を運んでくださる皆様方のお力添えによるものです。改めまして、ここに御礼申しあげます。
 
改めて申すまでもなく「噺の会じゅげむ」は「素人落語家」の集まりです。しかし素人ながら「落語が好きでたまらない。」「聞くだけでなく自ら高座に登りたい。」そして「高座に登るからには少しでもお客様に喜んでもらいたい。」という気持ちは決してプロにも負けていないと思っています。
 
でもやはり、プロとアマとは違うのです。その違いはいろいろありますが、その一つに「芸名のつけかた」があるように思います。
 
我々素人の場合、亭号(いわゆる苗字に当たる部分)も名前も自分で好きなようにつけます。特に誰かの亭号を受け継ぐことはありません。(但し、大学の落研などでは代々受け継がれた亭号もあるようですが。)基本的に素人落語の世界には「師弟関係」はありませんから、芸名の付け方は自己責任です。

しかし、プロの場合は芸名は師匠がつける事が多いです。またその付け方も師匠の芸名の一字をもらうのが通例となっています。また亭号は基本的に代々受け継がれたものを使用します。上方では「笑福亭」「桂」「林家」など、江戸では「三遊亭」「古今亭」「柳家」など、いわば噺家の「共有財産」となっています。
 
だからプロの噺家の「芸名」はとても重いのです。特に亭号によって、一人一人がその一門の看板を背負っているのです。実は先日、新聞報道である噺家の芸名に「容疑者」の三文字がついていました。落語愛好家の一人として悲しかったです。
 
噺家の芸名を汚すことは、落語界全体を汚すことになります。今後ともプロの噺家には、その芸名、特に亭号に責任を持った行動を取ってもらいたいと願うばかりです。

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 ひとりごとNo106 2010年12月19日・第134回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて、先月28日京都・誓願寺で開かれた「京都アマチュア落語共演会」ですが、朝日新聞に掲載されたこともありまして、約170名ものお客様が詰めかけました。皆様の中にもお越し下さいました方も居られたかと思います。当日は窮屈な思いをさせまして、誠に申し訳ないことです。
 
で、この日の開演前、出演者・スタッフ一同にて「安楽庵策伝」上人のお墓をお詣りしてきました。この日の盛況には、策伝上人の御利益もあったのでは・・・
 
安楽庵策伝上人は、「落語の祖」と言われています。1613年に誓願寺の55世法主に就任。とかく堅苦しくなりがちな「説教」に笑いを取り入れ、各方面の注目を浴びます。その一方で「醒睡笑」という滑稽噺の本を執筆。現在演じられてる古典落語のいくつかはこの本が元になっています。
 
ただし、策伝上人はいわゆる「落語家」ではありませんでした。策伝上人の影響を受けて「露の五郎兵衛」「米沢彦八」「鹿野文左衛門」といった「プロの落語家」の元祖が 出現するわけです。
 
いずれにしても、策伝上人は日本人のもつ「洒落」「ユーモア」の源流と言えます。大きな事を申すようですが、これからも我々「噺の会じゅげむ」は策伝上人の精神を受け継いでゆきたいと思っています。

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 ひとりごとNo107 2011年3月6日・第135回駅前寄席プログラムより】

 
毎年2月の下旬から3月にかけて、大阪の街は活気づいてきます。そうです。大阪の春は、力士が運んでくるのです。

私の家の近所のお寺は、毎年「北の湖部屋」の宿舎となります。近所の商店街では力士たちが街にやってくるのを、首を長くして待っていました。今年はなんと一月場所開催中から「歓迎・北の湖部屋」という横断幕をアーケードの真下に掲げました。気が早すぎるといえばそのとおりですが、それだけ、地元の人々は待ちこがれているのです。
 
地元の保育園や幼稚園の園児たちにとって、力士はヒーローです。だっこや肩車をしてもらったり、一緒に餅つきを楽しんだり。そんな力士たちとのふれあいは、子供達の一生の思い出となることでしょう。
 難波の府立体育会館では、チケット発売日ともなると長蛇の列ができます。大阪場所は年に一回しかありません。だから何としてもチケットを手に入れたいのです。
 
難波は大阪の繁華街ではありますが、体育館周辺は普段はそれほど賑やかであるとは言えません。しかし、場所が近付くにつれて、相撲ファンの熱気で俄然盛り上がります。
 
力士の後援者を、相撲界の符丁で「タニマチ」といいますが、ご存じのとおり語源は大阪の「谷町」からきています。それだけ、大阪には相撲ファンが多いのです。
 
大相撲大阪場所の初日まであと一週間。今からワクワクドキドキです・・・


・・・というコラムを書きたかったな。極めて残念!

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 ひとりごとNo108 2011年6月19日・第136回駅前寄席プログラムより】

 
皆様、ご無沙汰しております。3月6日の「第135回駅前寄席」でお目にかかって以来、実に105日ぶりにここ高槻西武百貨店に帰って参りました。

 4月17日に開催予定だった「駅前寄席」は、「東日本大震災」の直後ということで、「イベント関係の自粛」という会場側の方針のもと、中止とさせてもらいました。楽しみにしてくださっていたお客様方には大変申し訳ないことでした。この場をお借りしましてお詫び申しあげます。
 
さて、この度の「東日本大震災」におきまして、被災された方々に心からお見舞い申しあげます。地震の規模、津波の激しさ、そして原発の事故。なにもかもが未曾有です。完全復興までには、まだまだ多くの時間と労力を有します。
 
ご親戚やご友人が「被災者」だと仰る方も居られると思います。
かくいう私も「福島」に友人がおります。その友人を尋ねて、被災地も見て参りました。その惨状を見るにつけ、ふと「落語などやってる場合だろうか」と思ったことも正直ありました。
 
でも、それは違うのです。この度の震災の復興スローガンが「がんばろう日本」。そうです。日本全体が「元気」にならないことには被災地を元気にすることは出来ません。いわゆる「自粛ムード」など、被災者の方々も望んでおられないはずです。
 
というわけで、今回もメンバー一同元気にがんばります。お客様方の「笑い」が、被災地復興へのエネルギーとなりますように・・・

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 ひとりごとNo109 2011年8月21日・第137回駅前寄席プログラムより】

 
おめでとう! なでしこジャパン世界一!
 
私のように普段サッカーの試合をあまり見ない門外漢が、かの決勝戦・対米国戦は早起きしてTVの試合中継に釘付けになっていました。実のところ、女子サッカーにW杯があることすら知らなかったのに・・・
 
一躍国民的ヒロインとなった彼女たちですが、その「待遇」を知るにつけ、「よくそれで世界一になれたもんだ。」と驚くことばかりです。
 
いわゆる「プロ契約」を結んでいる選手は「日本代表」の全選手21名中7名。つまり3分の2は「アマチュア」です。それも多くの「五輪選手」のように、所属する会社の仕事を免除され練習に専念出来るわけではありません。W杯から帰国後も会社で普通に仕事をこなし、練習は夜間という選手がほとんどです。仕事を優先して開いた時間を練習に充てる・・・おいおい、我々「素人落語家」と変わらんのでは?
 
では、「プロ契約」選手は恵まれてるのかというと、決してそうではありません。なでしこのキャプテン、MVPの澤選手でさえ月収は10万円ほど。かのスター選手にして、「プロ野球独立リーグ」並の待遇なのです。
 
だからでしょうか。彼女たちには、昨今死語になりつつある「ハングリー精神」が感じられます。今後は彼女たちの待遇も少しずつ改善されていくでしょうが、その精神を忘れずに、今後の精進を期待しましょう。
 
おめでとう! そしてありがとう! なでしこジャパン。

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 ひとりごとNo110 2011年10月30日・第138回駅前寄席プログラムより】

 
戦後「絶滅寸前」といわれていた上方落語の発展に尽力された「上方落語四天王」。松鶴・米朝・春團治・文枝、この中の誰が一人欠けても、現在の上方落語は存在し得なかったと言えます。
 
その中の一人、上方落語界唯一の「人間国宝」桂米朝師。そのネタ数の豊富さ、育成された弟子・孫弟子の多彩さ、失礼を承知で申しあげるなら、あらゆる意味で四天王の他の御三方より一歩抜きんでいると言えます。
 
米朝師のすごいのは、その豊富なネタのほとんどが、演じ手がいなくなって滅びかけたネタを掘り起こしたものです。ただ掘り起こすのではなく、現代の聞き手に受け入れられるように米朝師が構成し直されています。我々が「古典落語」として聞いたり高座にかけたりしてるネタの多くは、米朝師の苦心のたまものなのです。
 
中には「はてなの茶碗」「天狗裁き」「算段の平兵衛」などのように、噺の断片しか残っていなかったものをほとんど「創作」同然の形で復活したネタもあります。米朝師はまさに「落語家兼落語作家」なのです。
 
その米朝師の純然たる創作落語の一つが、本日私が演じさせてもらう「一文笛」。このネタが誕生したのが昭和36年。つまり、私と同い年。そんなご縁もあって何度かここで演らせてもらっています。本日も「人間国宝」の落語にかける情熱を身体に感じながら、精一杯演らせてもらいます。

お楽しみに・・・

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 ひとりごとNo111 2011年12月11日・第139回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
と言いたいところですが、今年の「噺の会じゅげむ」の定例会は今回が今年最終ではありません。先月20日に行われる予定でした「第65回・高槻市民寄席」が今月23日に順延となりました。会場が大阪府知事・大阪市長選挙の期日前投票所となった関係によるものです。橋下氏の知事から市長への鞍替え出馬の影響をまともに喰らった格好です。

で、当定例会の日程を変えてまで行われた大阪府知事・大阪市長選挙は、橋下陣営の予想外(こう予想したのは私だけかも、ですが)の圧勝で終わりました。大阪府民、大阪市民は「大阪都構想」を支持したということになります。これからの4年間、松井知事と橋下市長の動きをしっかり見据えていかねばなりません。

ところで、今回の選挙で気になったこと2つ。一つは投票率です。市長選・60.92% 知事選・52.88%。メディアの論調は「関心が高かった」となってますが、60%ということは10人に4人は棄権してる勘定です。ちょっと甘いんじゃないか?

もう一つは開票も行わないうちから「当確」報道。大河ドラマ「江」の最中にテロップ。これだけはやめて欲しかった。出口調査の結果らしいですが、これでは「投票」の意味がないのでは。足を運んで「投票」することの意義をもっと噛みしめてもらいたいものです。
 
改めてお知らせです。
「第65回・高槻市民寄席」は、12月23日(祝)
  高槻市生涯学習センター一階にて、午後二時開演です。

年末のあわただしい時期ですがよろしくお願いします。

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 ひとりごとNo112 2012年2月19日・第140回駅前寄席プログラムより】

 
「東日本大震災」から来月11日でまる1年。まだまだ被災地の復興には道なお遠しというところです。復興支援に関して、私達に出来ることは何なのか、引き続き考え、行動することが求められています。
 
そしてもう一つ忘れてはならないこと、17年前の1月17日に起こった「阪神・淡路大震災」あの当時のことを確認したくて、先日、「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」を訪れました。
 
17年前のこととは言え、あの出来事は鮮明に覚えている・・・つもりでいました。しかし、映像や展示物の数々を見るにつけて、随分記憶が「風化」していることに気づかされました。あの「震災」を語り継いでいかねばならない私がこんな事でいいのか。17年前に阪神・淡路で起こった出来事を風化させずにきちんと胸に刻んでおきたい。
 
是非一人でも多くの方々に 「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」を訪れてもらいたいと思っています。

「東日本大震災」をさらに知るためにも、「阪神・淡路大震災」をもう一度きちんと思い出しておきたい・・・

     ※ 「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」
       神戸市中央区脇浜海岸通1-5-2 http://www.dri.ne.jp/
       阪神「春日野道」または「岩屋」から南へ徒歩約10分

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 ひとりごとNo113 2012年4月15日・第141回駅前寄席プログラムより】

 
「♪ボインは~」で一世を風靡した可朝師や「ザ・パンダ」時代から現在に至るまでずっとお茶の間の人気者の八方師などなど、「月亭」というと「マスコミの寵児」のイメージがあります。そんな中で「落語一筋」の月亭八天さんは、ある意味異色の存在といえるでしょう。
 
「月亭」のみならず、上方落語界全体 からみても八天さんの 落語にかける情熱は半端ではありません。入門当時から、雀三郎師や吉朝師、さらには米朝御大の下へも積極的に出稽古へ。持ちネタ数は100を超えるほどに。そして高座では、手抜きのない誠実な、それでいてどこかシュールな楽しい噺を聞かせて下さいます。そして師匠である八方師からは、楽屋の礼儀作法を徹底的に叩き込まれました。TVで見せる顔からは想像出来ませんが、弟子に対しては厳格な八方師。そんな師匠の下で「落語家らしい落語家・月亭八天」が誕生したのです。
 
で、このたび八天さんは、来年3月に上方落語界の大名跡「月亭文都」を襲名されることとなりました。この「月亭文都」は、なんと113年ぶりの復活となります。この大名跡に最もふさわしい噺家といえばもう八天さんしかいません。若手の頃から注目してきた私としても、感慨深いものがあります。現在52歳。噺家として、最も脂ののってくる頃です。

今後の八天さん並びに「七代目・月亭文都」。是非、皆様方にも注目してもらいたいと思っています。

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 ひとりごとNo114 2012年6月17日・第142回駅前寄席プログラムより】

 
私たち「関西電力エリア」の住人は、その電力供給の半数を「原子力」に頼っていました。原子力発電所が関電エリアの北の端・福井県若狭地方に集中してるのはなぜか、あまり意識はしてなかったように思います。

TVでは「地球温暖化」の原因となるCO2を排出しないクリーンエネルギーを謳い文句にして、有名タレントや文化人を起用した派手なCMを毎日のように展開してきました。「原子力」明るい未来のエネルギー・・・そんなCMが「あの日」以来、ピタッと止まりました。見事なくらいに。
 
そうです。あの「福島第一原子力発電所」の事故により、多くの国民が「原子力」そして「電力」のあり方を考え直すようになりました。今年の夏は関電エリアでも「節電」は避けて通れません。大飯原発の再稼働のあるなしにかかわらず。
 
さて、 私たちにできる「節電」。基本は「こまめに電源を切る」そして「なるべく冷房に頼らない」あとは「家族はなるべく同じ部屋で過ごす」もちろん使わない部屋はきちんと電源オフ。これの発展系が「日曜日の午後は家中の電源をオフにして多くの人が集まる場所で過ごす。」そうです。ここにお集まりの皆様は、もうすでに「節電」を実践されてるわけです。皆様、本日は原子力に頼らない「笑い」のエネルギーを感じてください・・・がんばります。「停電」にならないよう!?


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 ひとりごとNo115 2012年8月19日・第143回駅前寄席プログラムより】

 
昨年8月にこのコラムで「おめでとう!なでしこジャパン世界一!」と書かせてもらいました。一躍「シンデレラガール」となった彼女たち。その周囲が目まぐるしく変わりました。
 
TVのバラエティ番組やCM、そして各種イベントに引っ張りだこ。AKB48も顔負けの人気ぶりです。そんな彼女たちに「そんなに浮かれていていいのか」「そんなことで五輪は大丈夫なのか」と、心配ともバッシングとも言える声が各方面から聞こえてきました。
 
でも、私は何の心配もしてませんでした。なぜなら、彼女たちが各種イベントに出演するのは、何も人気におぼれてるからではないからです。そう、すべては「女子サッカー普及」のため。自ら「広告塔」となってイベントに出続けました。
 
常に自分を見失わない「たくましさ」と「明るさ」そんな彼女たちの魅力はW杯の頃と何ら変わりません。今回のロンドン五輪、残念ながら金メダルこそ逃しましたが、その堂々たる戦いぶり、大いに感動を呼びました。それは、W杯後も決して浮かれてはいなかったことの証明でもあります。かの「ハングリー精神」は、今も健在です。
 
銀メダルいいじゃないですか。「銀は『金より良い』と書く」という佐々木監督のセンスに脱帽です。

  「祝・なでしこジャパン銀メダル」

私は今後も「なでしこ」たちを応援していきます・・・。

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 ひとりごとNo116 2012年10月14日・第144回駅前寄席プログラムより】

 
おかげさまで私ども「噺の会じゅげむ」は20周年を迎えます。来月25日には「20周年記念公演」を行う予定となっております。ここまで続けて来られたのもひとえに毎回足を運んでくださるお客様方の支援のたまものです。

そんな私どもに、高槻市からどえらいご褒美を戴くこととなりました。このたび、本年度の「高槻市民表彰(篤行賞)」を受賞することとなりました。正式には来月3日に受賞となります。「噺の会じゅげむ」の活動が高槻市に認められたわけです。
 
実は毎月奇数月に開催の「高槻市民寄席」を共催している「高槻市生涯学習センター」が私どもを推薦してくださいました。その推薦理由の要旨は、

「噺の会じゅげむ」は、落語等の演芸を楽しむアマチュアの会として1992年11月に結成され、20年に及ぶ活動を行っている。その活動内容は、落語等を楽しむ単なるサークル内の親睦の域を超えており、毎年、奇数月には生涯学習センターで「高槻市民寄席」、偶数月には西武百貨店で「駅前寄席」を交互に開催し、広く市民の方々に親しまれている。舞台設定・運営・宣伝・公演もすべて会員のボランティアで行い、入場料も無料で、高齢者を中心にその公演に心豊かな笑い、安らぎ、癒しを待ち望み、公演の問い合わせもしばしばある。また、近年は、上記定例公演だけでなく、市内の自治会催しや福祉施設等での公演、大阪・京都・豊中などでの市外公演も数多く行っている。

というものです。
 
この推薦文に書かれていることは、私たちが「落語が好きだから」好きな事を続けてきたということにすぎません。これにお付き合い下さいましたお客様方あってこそです。表彰されるにのは、お客様方の方だと言えます。
 
何にしましても、今後もこの市民表彰に恥じない活動を続けてゆく所存です。

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 ひとりごとNo117 2012年12月23日・第145回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に大いなる御声援を戴きました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて、先月25日に「第71回高槻市民寄席(20周年記念興行)」を開催しました。おかげさまで、盛況のうちに終えることが出来ました。改めて、20年の長きにわたって皆様方に 多大なるご支援を賜りましたことに、心から感謝する次第であります。では、「噺の会じゅげむ」が産声をあげた「1992年」とはどんな年であったのか。ちょっと振り返ってみたいと思います。

この年は「閏年」そして「バルセロナ五輪」「アルベール冬季五輪」のあった年です。冬期では「伊藤みどり」「橋本聖子 」が銀メダルを獲得。バルセロナでは当時14歳の「岩崎恭子」が金メダル。「今まで生きてきた中で一番幸せです。」

いわゆる「バブル景気」が終結したのもこの年。「財テク」などという言葉もこの年を境に過去のものとなりました。また、当時の熊本県知事「細川護煕」氏が「日本新党」を結成。20年前も、政治改革のキーマンは「知事」だったんですな。

「ゆとり教育」を主眼とした学習指導要領が小学校で施行。公立学校が週休2日へ。今になって、これが見直されています。かの「きんさん・ぎんさん」が「芸能界デビュー」したのもこの年。その一方、歌手の「尾崎豊」、サザエさんの作者「長谷川町子」が亡くなったのもこの年です。

この年の主なヒット曲は「それが大事」「決戦は金曜日」「部屋とYシャツと私」
 
ざっと見てきましたが、20年前というのはかなり昔なんですな・・・

来年以降も、よろしくお願いします。

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 ひとりごとNo118 2013年2月17日・第146回駅前寄席プログラムより】

 
昨年4月、このコラムで「月亭八天」さんの襲名について書かせてもらいました。来月、いよいよ「七代目月亭文都」が誕生します。で、今年はもう一つ大きな「襲名」が待っています。

桂雀松師が、この十月に「三代目桂文之助」を襲名されることとなりました。雀松師といえば、上方落語界きっての実力派。軽妙で癖のない語り口、特に「女性」の描写には定評があります。また、盟友である桂吉朝師の遺志を受け継ぎ「落言(落語と狂言のコラボレーション)」にも取り組んでいます。かつての「枝雀寄席」で大喜利の司会をされていたころから注目していた私にとって、この襲名は本当に感慨深いものがあります。

ところでこの「桂文之助」という名跡ですが、83年ぶりの復活とのことです。先代の二代目文之助は安政五年(1859年)生まれ。人情噺から創作まで幅広く手掛けました。.また、現在でもしばしば演じられる「動物園」は二代目文之助の作と言われています。ところが1920年に引退。京都・高台寺の境内で「文の助茶屋」を創業。現在場所は移転していますが、京の和菓子の老舗としてにぎわっています。

私が思いますに、雀松師は実力はありながらどちらかというと「欲がない」。いまだご自身のCDやDVDが一枚も出ていません。またお弟子さんもいません。この襲名を機会に、今まで以上に注目される存在になってもらいたいものです。

「三代目桂文之助」是非とも、皆様ご贔屓に!

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 ひとりごとNo119 2013年4月28日・第147回駅前寄席プログラムより】

 
4月19日といえば、桂枝雀師の命日。今年でもう15回忌となります。生前はもちろんのこと、亡くなられてからもCDやDVD等を通じて、落語の楽しさ、奥深さを伝え続けておられます。ゆえに、亡くなられた後から枝雀ファンになったという人も結構いるようです。
 
そんな枝雀ファンの一人、千原ジュニアさん。車の中や寝る前には枝雀師のCDをかけているとのことです。枝雀師の持論「笑いとは緊張の緩和である」このフレーズをジュニアさんはトークの中でよく使っています。

で、ジュニアさんは芸人仲間にも枝雀師のCDを勧めています。その仲間の一人が山崎邦正さん。芸人として行き詰まりを感じていた邦正さんは、ジュニアさんや東野幸治さんの薦めで枝雀師の「高津の富」を聴きました。そこで落語の面白さに目覚め本格的に勉強し始めました。2008年には月亭八方師の弟子となり「月亭方正」という高座名をもらいました。

ただし昨年までは「山崎邦正」との二足のわらじ。今年からは芸名を「月亭方正」に一本化し、正式に「落語家デビュー」となりました。もうすでに「繁昌亭」「動楽亭」などで活躍中です。現在もタレント活動もされてますが、落語家になってからは、かなり落ち着いた芸風に変化しています。

このように、枝雀師は亡くなられた後も落語愛好家を増やし続けておらてれます。現在もやはり「偉大な落語家」なのです。

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 ひとりごとNo120 2013年6月16日・第148回駅前寄席プログラムより】

 
連続テレビ小説「ちりとてちん」が始まったのが、2007年10月。あれからもう6年になろうとしています。あのドラマが放映されて以降、上方落語に対する注目度は確実にアップしたように思います。特に、プロアマを問わず、落語を演じる女性が増えてきています。

しかしながら、まだまだ「男社会」の様相が色濃く残る落語の世界。女性落語家がなかなか定着しないのも、これまたプロアマ問わずです。

そんな中、今、最も元気な女性落語家といえば、「露の都」、「桂あやめ」。このお二方でしょう。特に、「露の都」師の勢いは、留まるところを知りません。

「日本第1号の女性落語家」をキャッチフレーズに、落語に講演活動に東奔西走の毎日です。高座では、時には「正統派古典落語」、また時には、登場人物を女性に置き換えた「改作古典落語」、そして時には、さながら井戸端会議の延長のような「みやこ噺」で客席の度肝を抜きます。

弟子は「雅(みやび)」、「眞(まこと)」、「紫(むらさき)」、「瑞(みずほ)」の4名。全員女性という一門は、江戸・上方を通じてここだけです。それぞれがなかなかの実力派です。また雅・眞・紫の3名で「スリー美ューティーズ」という音曲漫才トリオを結成。これまた客席の視線を釘付け・・・。 

都師をはじめとする「都一門」の皆さんには、これからも女性落語家のパイオニアとして、頑張ってもらいたいものです。

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 ひとりごとNo121 2013年8月11日・第149回駅前寄席プログラムより】

 
平成25年5月19日
「第74回・高槻市民寄席」の朝、阿遊亭弘遊さんは旅立ちました。享年69歳。

私たち「噺の会じゅげむ」のメンバーは、そのことを知らないまま寄席の運営にあたりました。私たちに余計な動揺を与えないように・・・それもまた、弘遊さんらしい気配りでしょう。旅立ちながら、私たちを見守ってくださった弘遊さんのおかげで、この日は149名のお客様をお迎えしての盛況となりました。
 
そうです。弘遊さんを一言でいえば、「気配りの人」です。

「お客様への気配り」・・・少しでも快適に寄席をご覧になってもらいたい。その一心で、会場のレイアウトはいつも弘遊さんが先頭に立ってあたられてました。現在も私たちは「弘遊さんだったらこうするであろう」との思いで会場設営を行っています。寄席の最中の照明音響ならびに空調などいつも気にしておられました。

「メンバーや出演者への気配り」・・・当会にゲストで来られた出演者の方々は一様に「弘遊さんがにこやかに接してくださった」とおっしゃっています。私たちが高座からおりてくると、「あの場面が面白かったね。」と声をかけてくださいました。なんでもない一言が、おおいに励みになります。

「落語そのものへの気配り」・・・弘遊さんの高座はいつも完成度の高いものでした。毎回きちんと稽古をされていました。ゆえに、お客様のなかにも「弘遊ファン」が結構おられました。落語に対しての真摯な姿勢、大いに学びたいものです。

改めて
阿遊亭弘遊さん、ありがとうございます。
これからも、私たちもを見守ってください・・・・・

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 ひとりごとNo122 2013年10月20日・第150回駅前寄席プログラムより】

 
おかげさまをもちまして、当会の定期公演「駅前寄席」は150回目を迎えました。ここまで続けて来れましたのも、ひとえに寄席に足を運んで下さるお客さま方のご支援の賜物です。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
 
で、「グリーンプラザ」からここ「西武高槻百貨店」に引っ越して参りましたのが、2005年12月の第101回目からです。つまり「西武高槻百貨店」を本拠地にして今回がちょうど50回目ということになります。この間、一度も途切れることなく「大入り」(100名以上の入場者)を記録しています。本当にありがたいことです。
 
この間、西武百貨店側の担当者の方も何度か変わられていますが、毎度毎度本当にお世話になっております。百貨店本来の業務の合間をぬって、何かとお気づかい下さっております。おかげさまで、各メンバーが気持ちよく高座を務めております。
 
この.50回、約8年間の間いろいろなことがありました。まず、我々のかけがえのない仲間「仁六家拾八」「阿遊亭弘遊」のお二方が旅立たれました。それぞれの「追善興行」を執り行いましたのもこの「駅前寄席」です。
 
その一方で、「悠々亭一光」「六弦亭ざくろ」「南茶亭おすし」「びい亭るうず」という新メンバーが相次いで入会。それぞれが当会になくてはならない「戦力」です。また、当時の「じゅげむKOBE」から「三流亭志まね」「浪華家久句」の両名が、そして、「小倉出張所」からは「志熨家かりん」が大阪本店へ移籍されてきました。というわけで、現在「噺の会じゅげむ大阪本店」は旅立たれたお二方を含めて15名の大所帯です。
 
この15名が力を持ち寄って奮闘した甲斐あって、先に申しました連続「大入り」のほか多くの成果をあげています。高槻市からは「高槻市民表彰(篤行賞)」を受賞。「高槻ライオンズクラブ」からも顕彰をいただいております。
 
これからも、この「駅前寄席」がこの「西武高槻百貨店」になくてはならない大きなイベントとなるよう、メンバー一同精進を重ねて参る所存です。
 
「駅前寄席」の更なる発展と、お客様方のご健康ご幸福を祈念しまして「大阪締め」と参りましょう。皆様、お手を拝借!

   打ちまひょ!  「チョンチョン」
   も一つせ!   「チョンチョン」
   祝うて三度   「チョチョン チョン」

                 ありがとうございます

                                                          目次へ 

       

   

      

   

          

 ひとりごとNo123 2013年12月15日・第151回駅前寄席プログラムより】

 
かねてから日本人は「スピーチ」が苦手な国民だと言われてきました。たとえば結婚式における来賓のスピーチは「退屈なもの」の代表ともいえるでしょう。

「沈黙は金なり」。人前で余計なことをしゃべらないことが美徳とされてきました。落語「米揚げいかき」にも「男という者は、そうベラべラと喋るものやない。言葉多きは品少なし」というフレーズが出てきます。このような風土の中では、スピーチは苦手にならざるを得ないでしょう。
しかし、昨今はそうとは言えません。日本人の「スピーチ力」が多くの人々の感動を呼ぶこともあります。

2年前「東日本大震災」の年。被災地仙台が本拠地「東北楽天ゴールデンイーグルス」嶋基宏選手会長のスピーチに思わず釘付けになりました。元々野球機構側から原稿が用意されていたのを、「これでは他人事じゃないか」と嶋選手がチームメイトとも相談して全面書きかえました。その結果、後々までも語り継がれる珠玉のスピーチとなりました。

見せましょう、野球の底力を
見せましょう、野球選手の底力を。
見せましょう、野球ファンの底力を。

今年、イーグルスは球団創設9年目にして初の「日本一」となりました。その勇姿は、被災された多くの方々に勇気と感動をもたらしました。嶋選手のスピーチが二年越しで現実のものとなりました。
 
性格は異なりますが、私たち「噺の会じゅげむ」も、多くの方々の前でおしゃべりをする集団です。「勇気と感動」というわけにはいきませんが、お越しくださいました皆様に何かを伝えてゆきたいものです。

今年も「噺の会じゅげむ」にご支援くださいましてありがとうございます。
来年も「見せましょう、落語の底力を」

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 ひとりごとNo124 2014年2月16日・第152回駅前寄席プログラムより】

 
「全聾の作曲家」として知られていた佐村河内守氏の主要な作品は「ゴーストライター」が作曲したものであった・・・このニュースは、音楽界に限らずあらゆるジャンルで創作活動を行ってる方々にとって、至極迷惑な話であろうと思われます。「全聾」であることも偽りであったとすれば、これは何かと「美談」に弱い日本人に特性に付け込んだ、極めて悪質な「詐欺」といえるでしょう。
 
で、その「ゴーストライター」であった新垣隆氏の記者会見によると「ソチ五輪で高橋大輔選手が私の作曲したソナチネを使うことを聞き、優勝したらニセ物を使って勝ったのかといわれることを避けねばならないと思いました。それで、真実を話すことを決めました。」
 
ということは、もし高橋選手がこのソナチネを使わなかったら、この事実を墓場まで持ってゆく覚悟だったのでしょうか?
 
新垣氏は作曲家としてかなりの「腕」の持ち主のようです。どうか今後はご自分名義での音楽活動に専念されることを願っています。
 
ところで、我々が取り組んでいる落語、特に古典落語は、作者が誰であるかわからなくなっているのがほとんどです。300年近い歴史の中で多くの演者によって練り上げられてきたもので、江戸・上方を問わず、噺家及び落語愛好家の共有財産と見ていいでしょう。
 
ちなみに、本日の演目についてみてゆきますと
「ジンギスカン」は元々漫才のネタで作者は漫才作家の西村博氏。
「蒸発」は六代文枝師(作者としては桂三枝名義)の創作。
「時そば」は江戸時代の笑話本「軽口初笑」の中の「他人は喰より」が原型。上方の「時うどん」を3代目柳家小さんが江戸に移入。
「切符」は桂梅團治師の創作。
「トクさんトメさん」は笑福亭仁智師の創作。
「餅屋問答」は長野県の民話「こんにゃく問答」を3代目林家正蔵が落語に仕立あげ、後に上方へ移入。
(調べに間違いがありましたらごめんなさい・・・)

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 ひとりごとNo125 2014年4月20日・第153回駅前寄席プログラムより】

 
昨日4月19日は桂枝雀師の命日でした。早いもので、もう16回忌です。思えばこのコラムでも枝雀師に関してはしつこいくらい書かせてもらいました。私だけでなく、多くの落語愛好家にとって、やはり特別な存在であるといえるでしょう。
 
枝雀師には、落語というものをとことんまで追及し続ける「学者」でもありました。それが高じて結果的に生命を縮める結果になってしまったのですが・・・
 
そんな枝雀師の落語論の中でも今や「伝説」となっているものの一つに「サゲの4分類」があります。落語のサゲ(落ち)には、聞き手が感じる快感から「ドンデン」「謎解き」「ヘン」「合わせ」の4つに分類されるというものです。
 
「ドンデン」・・・「どんでん返し」つまり「うまくいった」と思わせて実は「ダメだった」という展開。
 例「愛宕山」・・・見事谷底から生還した一八。「小判は?」「忘れてきた!」

「謎解き」・・・「不思議な状況」から生じる「疑問」に対する解答がサゲとなる。
 例「皿屋敷」・・・「何でぎょうさん皿の数をよんだ?」「2日分よんで、明日休みますねん」

「ヘン」・・・常識的な話の流れが「非常識」に転換して「そんあアホな!」
 例「千両みかん」・・・番頭、みかん3袋もってドロンしよった・・・

「合わせ」・・・セリフや状況を人為的に合わせる。サゲで一番多いパターン。
 例「阿弥陀池」・・・それやったら、阿弥陀が行けといいました。

 紙面の都合であまり詳しくは紹介できませんが、さて本日の演目はどれに分類できるでしょうか?

(興味のある方は、ちくま文庫「落語DE枝雀」をお買い求めください。)

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 ひとりごとNo126 2014年6月15日・第154回駅前寄席プログラムより】

 
特に「AKB48」のファンというわけではありません。しかし、この度の「握手会襲撃事件」は実にショッキングでした。「誰でも良かった」という犯人の身勝手な言動は決して許されません。被害に遭われた2人のメンバーに心からお見舞い申し上げます。
 
ところで「AKB48」の握手会ですが、憧れのアイドルと身近に触れ合えるイベントとしてファンにとっては至福のひと時でしょう。しかしこの握手会のシステムについて調べてみると、いろいろ疑問が湧いてきます。
 
握手会に参加するためには「握手券」が必要です。で、この握手券はAKB48のCDに封入されています。つまりCDを買わなければ握手会には参加できないのです。
 
だから、熱狂的なファンは、数多くの握手会に参加するために同じCDを何十枚も購入するのです。贔屓のメンバーのためなら、多少の出費も厭わないという気持ちもわからないでもないのですが、ちょっと異常です。
 
音楽CDが売れなくなってきている昨今、AKB48のCDだけが順調に売れているのですが、多くのファンにとっては「握手券」がメインでCDはおまけ。本来の使途ではないCDが何やら不憫です。
 
「会いに行けるアイドル」が元々のコンセプトだったAKB48。今、会いに行く為にはかなりの出費と労力が必要です。その点、我々「噺の会じゅげむ」は決してアイドルではありませんが、こうして毎月気軽にお会いできます。「握手」がご所望ならば、いつでもお申し出ください。 

え?そんなの要らない? そうおっしゃらずに・・・

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 ひとりごとNo127 2014年8月31日・第155回駅前寄席プログラムより】

 
江戸の「鹿野武左衛門」京都の「初代・露の五郎兵衛」そして大阪の「米澤彦八」。この3名が、落語家の元祖といわれています。その一人、上方落語の祖「米澤彦八」が亡くなって今年で300年になります。

その「米澤彦八」が活躍した「生國魂神社」の境内で毎年9月第一土曜・日曜に開かれる上方落語家のファン感謝デー「彦八まつり」。今年で24回目となります。
 
境内には、落語家さんたちがそれぞれに工夫をこらした「出店」が並びます。屋外ステージでは落語家有志による「だんじり囃子」「住吉踊り」「バンド」などで賑わいます。そして「参集殿」における「奉納落語会」。毎年、落語ファンはもとより、落語にそれほど興味のない方々も来られて、おおいに盛り上がっています。       
 
今年は9月6日・7日の両日。実行委員長は桂雀松改メ三代目桂文之助師。おもえば
「彦八まつり」が始まった当時、文之助師は上方落語協会を離れていました。そんな
こともあって、今までどちらかと言えば、「彦八まつり」とは距離を置いておられました。そんな文之助師が実行委員長。何とも感慨深いものがあります。
 
まつりの内容は、年々グレードアップしています。出店の食べ物も年を追うごとに美味しくなってきています。そうです、毎年進化を続けています。

「第24回彦八まつり」はこの「第155回・駅前寄席」の一週間後です。皆様、よかったら、覗きに行ってみてください。

      「第24回彦八まつり」の開場「生國魂(いくたま)神社 」は
      地下鉄谷町線・「谷町9丁目」駅より徒歩約3分

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 ひとりごとNo128 2014年10月26日・第156回駅前寄席プログラムより】

 
「TBS・落語研究会」といえば、東京国立演芸場で収録された「名人芸」を毎月放送し続けている、落語愛好家には欠かせないTV番組です。と言いたいところですが、残念ながら関西にはネットされてません。今でこそ「BS-TBS」で見ることもできますが、関西在住の落語ファンはまず諦めていました。
 
そんな中、2011年11月に「落語研究会・桂吉朝全集DVD7枚組」が発売されました。発売からかなり遅れてですが、私も購入しました。あまり残っていないであろうと私が勝手に思っていた吉朝師の高座の映像が数多く収められていることにまず感動しました。その分、大いに悔しかったです。なぜTBSはこんな珠玉の番組を全国ネットしてくれなかったのか・・・でも今となっては貴重な映像を残してくださったことに感謝です。

 収録されている演目は
 ①蛸芝居・たちきり(たちきれ線香)
 ②仔猫・はてなの茶碗
 ③ふぐ鍋・どうらんの幸助
 ④米揚げ笊(いかき)・住吉駕籠
 ⑤崇徳院・猫の忠信
 ⑥高津の富・狐芝居(小佐田定雄作)
 ⑦不動坊・質屋蔵

そのいずれもが、吉朝師ならではのきめの細かい高座です。もう、DVD画面に釘付け!
金額は少々張りますが、上方落語愛好家なら、是非とも手元においておきたい逸品です。

 来月の8日。桂吉朝師の10回忌です・・・
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 ひとりごとNo129 2014年12月21日・第157回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。
 
さて皆様、来年のカレンダーの準備はお済みでしょうか?まだの方にも、そうでない方にもお勧めのカレンダーを2つご紹介します。

一つ目は 「上方落語美笑男(びしょうめん)」カレンダー。上方落語協会所属の女性落語家、お囃子さん、お茶子さん、女性スタッフ合計50名の投票で決まった12人の「イケメン落語家」カレンダーです。撮影は六代文枝会長。その「イケメン」の顔ぶれは、

  笑福亭たま・林家愛染・桂慶二朗・桂弥太郎・桂紋四郎・桂團治郎
  笑福亭喬介・桂三語・桂三四郎・桂三幸・桂吉坊・桂あおば

それぞれ「演歌歌手風」「大衆演劇風」「ボクサー風」などなど趣向をこらした渾身の写真集です。またそれぞれの噺家へのコメントを露の都・桂あやめ両師が寄せています。果たして、この中から「上方落語界のアイドル」が誕生するんだかどうなんだか?

二つ目は「盲導犬育成チャリティカレンダー」。上方落語界の重鎮であり、地域寄席の草分け「田辺寄席」の世話人でもある桂文太師は、今から10年ほど前に病気で視力をなくされました。それ以来盲導犬の「デイリー」くんと行動を共にされています。
 
文太師は常々、「盲導犬に理解を」と訴えておられます。その活動の一環として「田辺寄席」などでこのカレンダーを販売しています。こちらはほのぼのイラストと詩。文太師、ひいては上方落語そのものを支え続ける「デイリー」くん思いをよせて・・・

どちらも一部1000円です。問い合わせ先は、
「上方落語美男」は天満天神繁昌亭(06-6352-4874)
「盲導犬育成」は田辺寄席事務局(06-6628-9046)
<桃が池公園市民活動センター・大久保様>
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 ひとりごとNo130 2015年3月8日・第158回駅前寄席プログラムより】

 
私たち「噺の会じゅげむ」は、素人として落語を中心とした演芸を楽しむサークルです。サークル、つまり団体である以上「会則」があり、それに沿った活動を行なっています。その会則の条文を、一部抜粋しますと

 壱  この会則は、日常における個人の言動および行動を妨げるものではありません。
 弐  この会の会員は、素人として落語やその他の演芸を楽しみたいと考える方の集まりです。
 参  この会は「駅前寄席」を中心に、その他の落語会などを通じて親睦を深めることを主とします。

メンバー一人一人が演芸を楽しむために「駅前寄席」などの定例会を開催します。で、本当に演芸を楽しむためには、多くのお客様方にお越しいただけるような努力が必要です。しかしながら、それは誰から強制されるものでもなく、各自の自覚に任されています。
 
だから私たちメンバーは、同じ目的のために共に歩む貴重な仲間です。毎回定例会の終了後には「打ち上げ」を行い、互いの健闘をねぎらいます。
 
ただし、互いのプライベートには深入りはしません。メンバーを本名ではなく「芸名」で呼び合うのも、その現れといえるでしょう。この絶妙な「距離感」が、20年以上この会を存続させてきた秘訣とも言えるでしょう。
 
そんな私たちが開く「第158回・駅前寄席」 まもなく開演です・・・

(「会則」の全文をお知りになりたい方は。当会HPをご覧下さい)
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 ひとりごとNo131 2015年4月26日・第159回駅前寄席プログラムより】

 
私たち落語愛好家は「その日」が来ることを「覚悟」していたつもりでした。確かにここ数年は高座で落語をされることもなく、入退院を繰り返されている状態でした。
 
3月19日午後7時41分 。「その日」が来てしまいました。
 
桂米朝師は静かに旅立たれました。一門の方々をはじめ多くの落語関係者の方々同様、私たちの胸にぽっかりと大きな穴があいたようです。一ヶ月以上たった今でも、その穴がふさがることはありません。
 
戦後「絶滅危惧種」とまで言われた上方落語。「こんな洗練された話芸を廃れさせるわけにはいかない」という使命感のもと、上方落語の再構築に当たられました。
 
噺の断片しか残っていなかったネタを、改めて組み立て肉付けし、現代人にもわかるように構成する・・・現在「古典落語」として演じられている噺の多くは、米朝師が創作に近い形で手がけられたものです。
 
弟子の育成にも力を注がれました。現在「玄孫(やしゃご)弟子」まで含めて約70名の大所帯です。私が敬愛している枝雀・吉朝両師も米朝師の愛弟子です。一見両極端に見える芸風の御二方ですが、落語に対するあくなき探究心は、まさに米朝師ゆずりです。
そして、TVなどの「メディア」をうまく利用されたのも米朝師です。映像化 された高座の数はおそらく米朝師が一番ではないでしょうか。TVのワイドショーにラジオのDJ。記憶に新しいところでは「味の招待席」のタキシード姿。味わい深い珠玉の5分間番組でした。昨今の若手芸人のようにメディアに「利用される」のではありません。間違いなく、落語という芸の裾野を広げました。
 
その他、この限られた紙面では到底語りつくせません。今後も機会を見つけて米朝師について述べさせてもらいます。
 
米朝師匠、ありがとうございます。安らかにお眠りくださいませ・・・・
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 ひとりごとNo132 2015年6月21日・第160回駅前寄席プログラムより】

 
5月29日。上方演芸ファンの間に衝撃が走りました。女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今いくよ師、そして伝説の音曲漫才トリオ「宮川左近ショウ」の暁照雄師が相次いで旅立たれました。全国的な知名度の違いからか、メデイアの扱いにかなり差があるようですが、私の中で、この御二方の偉大さはほとんど変わらないと思います。

「いくよ・くるよ」の漫才は、他人の悪口を決して言わない、安心して笑える漫才でした。女性コンビが相方を変えず、ずっと第一線で活躍し続けたことは、現在活躍中の女性芸人の方々の大きな励みででしょう。いくよ師の若手芸人たちに対する面倒見の良さもピカ一で、その人柄から、多くの方々から惜しまれています。
 
「宮川左近ショウ」で三味線を担当されていた照雄師。「いややわ、何でこんな上手いんかしら」というお馴染みのフレーズは、かの洗練された名人芸があって初めて成立するギャグでした。左近師の死去によるトリオの解散後、弟子の光雄さんとコンビを結成。「照雄・光雄」の三味線パフォーマンスは「角座」「繁昌亭」などの演芸場の華であり続けました。また、照雄師は現高槻市長・濱田剛史氏の実父でもあります。

で、残念なのは御二方が亡くなられたこと以上に、今の演芸界にこの師匠方の後継者が見当たらないことです。皆様お気づきでしょうか? 現在「コンビ」で活動している芸人たちを「漫才師」とは呼ばず「お笑い芸人」というザックリした呼ばれ方をしている事を。
 
彼らは演芸場で腕を磨くよりもTVなどでいかに売れるかを一番に考えてるようです。このままでは「漫才」という芸能が消滅するのでないか・・・ちょっと大げさかも知れませんが、そんな心配をしている今日このごろです。
 
改めて「今いくよ」「暁照雄」両師のご冥福をお祈りします。
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 ひとりごとNo133 2015年8月9日・第161回駅前寄席プログラムより】

 
おかげさまで、先月12日開催の「第87回・高槻市民寄席」において「噺の会じゅげむ」定例会の入場者総数が3万人を突破いたしました。これもひとえに、こうして足を運んでくださるお客様方のご支援の賜物です。ここに厚く御礼申し上げます。
 
入場者数をはじめ、あらゆる記録を残し始めた平成7年8月「第32回・駅前寄席」以降紆余曲折いろんな事がありました。この「駅前寄席」については「グリーンプラザ」からここ「高槻西武百貨店」に変わりました。もうひとつの定例会「高槻市民寄席」は、共催となるセクションが「青少年センター」から「生涯学習センター」に移管され、それに伴い会場も変わりました。当方の都合による変更にもかかわらず、それぞれの会場にお越しくださいました。まことにありがたいことです。
 
「仁六家拾八」「阿遊亭弘遊」2人のかけがえのない仲間が旅立ちました。その一方で少なくない仲間が当会を去りました。「素人落語の会」はいかにあるべきか? メンバー全員で語り合ったこともありました。そんなこんなでメンバーはかなり入れ替わりました。
 
そんな中でも、お客様方の変わらぬ暖かいご支援に見守られ、この「3万人突破」と相成りました。毎回、多くのお客様の前で高座に登ることができる。これを「当たり前」だとは決して思いません。今後もメンバー一同、さらなる精進をお約束いたします。

「噺の会じゅげむ」の更なる発展と、お客様方のご健康ご幸福を祈念しまして、「大阪締め」と参りましょう。皆様、お手を拝借!

   打ちまひょ!  「チョンチョン」
   も一つせ!   「チョンチョン」
   祝うて三度   「チョチョン チョン」

                 ありがとうございます
                                                          目次へ 

       

 

          

 ひとりごとNo134 2015年10月18日・第162回駅前寄席プログラムより】

 
前回「第161回・駅前寄席」から、皆様に「生のお囃子」を披露させてもらっています。生と言っても「太鼓」だけではありますが、寄席の理想像に一歩近づいたのではないかと思っています。その前回では「一番太鼓」「打ち出し」そして司之助代表の「皿屋敷」の「ハメ(効果音)」と、生ならではの迫力を楽しんでもらえたのではないでしょうか。
 
出来ることなら三味線など他の楽器も、と思うのですがやはり素人の会でそこまで揃えるのは並大抵のことではありません。そこで「出囃子」などはカセットテープによる演奏となります。定例会の楽屋には、いつも何本ものテープが所狭しと並びます。
 
で、実はこのカセットテープですが、現在、国内で生産しているのは一社のみだそうです。カセットテープと聞いて、まず思い浮かぶT社やS社もとうに生産を中止しています。頼みの綱は百円ショップにある外国製のテープです。
 
この「出囃子」や「ハメ」は、微妙なタイミングが命で、事前に「頭出し」が必要です。これができるのはテープのみです。MDやCDなどでは不可能なのです。カセットテープの生産中止は、我々には死活問題です。
 
では、もうカセットテープに需要はないのか? CDショップには演歌系のテープが今でも並んでいます。演歌好きのお年寄りには、操作の簡単なカセットプレーヤーが重宝されています。また、歌手の森口博子さんは、新しい歌を覚える時にはウォークマン(これも懐かしい)にテープを入れて、要所要所で巻き戻すそうです。こんな使い方もテープならではです。
 
世の中、一見時代遅れのような「アナログ機器」にもちゃんと需要があるのです。各メーカーも、そこのところよく考えて貰いたいものです・・・
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 ひとりごとNo135 2015年12月13日・第163回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。  
 
さて皆様、昨年12月にこのコラムで2つのカレンダーを紹介させてもらったところ、予想外の反響がありまして、見本として用意していたカレンダーが2つとも売れました。そこで今年も2つのカレンダーを紹介いたします。
 
一つ目は「艶姿・繁昌亭女子乃賑」カレンダー。昨年は「イケメン落語家」12名選抜でしたが、今年は女性落語家、お三味線方、お茶子さん、女性スタッフ、色物芸人と繁昌亭に関わる女性が全員参加となります。ゆえに昨年より随分にぎやかです。
 
また落語家で僧侶でもある露の団姫さんの「落語でブッダ豆知識」というコラムもなかなかの読み物です。あとは・・・ぜひ実物をご覧ください。
 
二つ目は「盲導犬育成チャリティカレンダー」。地域寄席の草分け「田辺寄席」世話人で、今年NGKでの独演会を成功させた桂文太師。そんな文太師の活動を支えているのが、盲導犬「デイリー」くんです。実は盲導犬一頭を訓練するのにかかる費用は約600万円。このカレンダーの売り上げはすべて盲導犬育成に使われます。 
 
で、今年は楽屋の方に若干数用意しております。ご希望の方は早いもの勝ちです。
「繁昌亭女子乃賑」一部1000円、「盲導犬育成」は一部1100円です。
(どちらも当方が定価で買い求めたものをお分けするもので、営利目的ではありません)

問い合わせ先は、
「繁昌亭女子乃賑」は天満天神繁昌亭(06-6352-4874)
「盲導犬育成」は田辺寄席事務局(06-6628-9046)
 <桃が池公園市民活動センター・大久保様>
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 ひとりごとNo136 2016年3月6日・第164回駅前寄席プログラムより】

 
本年もあえて列挙はしませんが、今年の頭から何とも下世話な芸能ニュースがてんこ盛りでした。そんな中、この大ニュースが埋もれてしまったような格好です。
 
1月9日午前0時11分。三代目桂春團治師が静かに旅立ちました。享年85歳。世にいう「上方落語四天王」が、これで全員あちらの世界へ行ってしまいました・・・。
 
春團治師の特徴の一つに「持ちネタの少なさ」があげられます。正確にいえば持ちネタそのものは結構あったのですが、「完成品として高座にかける」と決めたネタは11席。磨きに磨きぬいた珠玉の高座で、ある意味上方落語を代表する11席とも言えます。これを私が勝手に分類すると、次の3つに分かれます。

①「子ほめ」「寄合酒」「月並丁稚」
 世にいう「前座ネタ」。キャリアの浅い噺家がトップで演じることが多いネタですが、天下の三代 目が演じると「堂々のトリネタ」に生まれ変わります。

②「いかけ屋」「代書屋」「祝いのし」「お玉牛」
 人物描写の巧みな滑稽噺。「いかけ屋」「代書屋」における「困らせる側」 と「困る側」とのコントラストが見事です。「祝いのし」のハト親爺、 「お玉牛」の色事師の隊長、みんな愛すべきキャラクターです。

③「親子茶屋」「野崎詣り」「皿屋敷」「高尾」
 舞踊のごとく華麗で繊細な音曲噺。 特に「皿屋敷」のお菊さんや「高尾」 の幽霊が登場するシーンはまさに「芸術品」です。

現役の噺家さんに失礼を承知で申すなら、もうこんな完成度の高い高座を披露される落語家は、もう現れないでしょう。その所作の一つ一つが、美しく理にかなっています。
 
三代目春團治師のご冥福をお祈り申し上げます。
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 ひとりごとNo137 2016年4月24日・第165回駅前寄席プログラムより】

 
4月19日といえば、桂枝雀師の命日。今年で18回忌になります。今後もう現れないと思われる上方落語界のスーパースターのDNAをもつ男が、先日プロデビューしました。
 
枝雀師の長男、前田一知さんが枝雀師の弟弟子である桂ざこば師に入門。「桂りょうば」という芸名をもらいました。初高座が新聞などで取り上げられるという、この世界では異例の扱いです。やはり「枝雀2世」。世間の注目は半端ではありません。
 
43歳での入門。「遅すぎる」という声もあります。確かに枝雀師が43歳の頃はすでに「時代の寵児」でした。今や伝説の「6日間連続独演会」を成功させたのもこの頃です。ただ最近の上方落語界の傾向として、月亭方正さんや桂すずめ(三林京子)さんのように他のジャンルの芸能活動を経て、入門する方々が増えてきています。こういった人たちは落語一本で修業を重ねた人とはまた違った味を醸し出しています。りょうばさんは20代後半からミュージシャンとして活動。一方で「素人落語家」でもありました。こういった経験が今後の高座にどう生かされるでしょうか・・・
 
私、3月19日「動楽亭昼席」でりょうばさんの落語を聞かせてもらいました。ネタは「子ほめ」。聴いた印象では小米時代の枝雀師の高座に近いですね。端正で基本に忠実な語り口です。さすが、サラブレッドです。
 
今後は「枝雀2世」であることが、時は武器に、時にはプレッシャーになるでしょう。このまま順調に成長した姿が楽しみです。
 
「桂りょうば」今後とも要チェックです。
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 ひとりごとNo138 2016年6月19日・第166回駅前寄席プログラムより】

 
今年で50周年を迎えるTV番組「笑点」。桂歌丸師の勇退などなど現在何かと話題になっています。落語家が毎週レギュラーで出演する数少ない演芸番組。この50年間、放送時間の短縮こそあったものの、放送内容をほとんど変えずに50年。お見事の一言につきます。そんな「笑点」にまつわる「トリビア」を2つほど紹介します。
 
  その1・「おなじみ『笑点のテーマ』には歌詞がある」

初代司会者・立川談志師の時代は全く別の曲でした。2代目司会者・前田武彦氏の時代に現在のメロディに前田氏が歌詞をつけ、自ら歌っておられました。前田時代が1年間しかなかったため、覚えておられる方が少ないようです。で、その歌詞とは・・・

   ♪ ゲラゲラ笑って見るテレビ ドキドキしながら見るテレビ
     メソメソ涙で見るテレビ いろんなテレビがあるけれど
     同じ見るなら笑わにゃ損損 笑う点ならそのものズバリ
     それはご存じ それはご存じ 笑点だよ♪

3代目司会者・三波伸介氏の時代からはメロディのみとなり、現在に至ります。

その2・「座布団運びの山田くんも、実は落語家である。」

4代目司会者・五代目三遊亭圓楽師の時代から座布団運び一筋31年。で、座布団運びを務める中で「落語界のしきたりを勉強したい」ということで、鈴々舎馬風師に入門「鈴々舎鈴丸(れいれいしゃ・すずまる)」 という芸名をもらいました。(「落語協会」には未加入のため、いわゆる「落語家名鑑」には載っていません。)「笑点」には座布団運びに徹するため「山田隆夫」で通してますが、落語家としての芸名がある以上、なにがしかの活動はされてるはずです。どなたかご存じないでしょうか?

ちなみに、あの大喜利用の座布団は、高座用座布団より大きめに作られています。一枚あたりの重量は約4㌔。座布団運びも結構重労働なのです。
 
なお、「笑点」の放送時刻は5時30分。「駅前寄席」終了後にお帰りになっても十分間に合います。どうか、途中でお帰りにならないように・・・
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 ひとりごとNo139 2016年8月21日・第167回駅前寄席プログラムより】

 
来月15日「天満天神繁昌亭」は開席10周年を迎えます。この10年間、上方落語の「定席」として、落語家にとっても落語愛好家にとっても落語文化の発信基地としてなくてはならないものとなっています。
 
また、今まで落語に興味のなかった人が初めて生の落語にふれるきっかけとしても、あるいは地方の団体客が初めて上方落語を知る場としても大きな役割を果たしています。
 
「天満天神繁昌亭」は単なる「寄席小屋」ではありません。特に若手にとっては、「楽屋のルール・マナー」を学ぶ場でもあります。
 
現在、繁昌亭には「楽屋番」という制度があります。概ね、入門5年未満の若手の輪番制で1日2名がこれにあたります。主な仕事は開場前の舞台・楽屋の清掃、先輩落語家へのお茶だし、着替えの手伝い、「ネタ帳」の記入、終演後の後かたづけなど雑用がほとんど。こういった中から、落語家としての「気配り」を学習します。
 
また開演前の「一番太鼓」も楽屋番が担当します。繁昌亭の場合、一番太鼓は開場を待つお客さんの前で叩きます。また繁昌亭売店の売り子(現在は業者さんが入ってますので、今この仕事はありません)など楽屋番の仕事は結構多岐にわたっています。
 
落語家の修業は、今まで各師匠方に任されていました。現在もあくまで修行は各師匠方の下で行われるのが基本ですが、この「楽屋番」制度により、若手の噺家をみんなで育てていこうという方向に変わってきています。
 
で、この「楽屋番」を卒業すると晴れて「繁昌亭昼席」に前座として出演が許されます。
「天満天神繁昌亭」。噺家を育て続けて10周年。今後もその育ってゆく過程を見守ってゆきたいと思っています。
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 ひとりごとNo140 2016年10月16日・第168回駅前寄席プログラムより】

 
「落語」。それは たった一人で何人もの人物を演じ分ける、いわゆる「一人芝居」。その「演じ分け」の基本テクニックの一つが「上下(かみしも)」です。
 
高座を「舞台」に見立てて、客席から向かって左側が「下手(しもて)」、右側が「上手(かみて)」。ある者が「こんにちは」とやってくるのは必ず下手から。そこで演者は上手を向いて「こんにちは」。すると家にいる者が「あんたかいな、こっち入り」。そこで演者は下手を向いて「あんたかいな、こっち入り」。これが基本的な落語の演じ分けです。
 
だから、落語を演じる者は人物の位置関係を常にイメージしておく必要があります。そのために落語のネタを「芝居」に置き換えるのも一つの方法です。芝居もいろいろありますが、一番わかりやすいのが「吉本新喜劇」だと思います。「吉本新喜劇」は、下手からの「登場」が一つのギャグになっています。

 「ごめんください!どなたですか!○○です!お入りください!ありがとう!」
 「ごめんくさい!こりゃまたくさい!ああくさ~!」
 「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ~!」
 「おじゃましまんにゃわ!」」

上から「桑原和男」、「チャーリー浜」、「末成由美」、そして「竜じぃ」こと「井上竜夫」。

そうです。吉本新喜劇を脇から支えてこられた井上竜夫さんが亡くなられました。享年74歳。古き良き時代の新喜劇を知る「生き証人」がまた一人旅立ちました。ここに、ご冥福をお祈りします。

「第167回・駅前寄席」まもなく開演です。今日も6人の素人落語家が次々と皆様の元へ「おじゃましまんにゃわ!」
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 ひとりごとNo141 2016年12月11日・第169回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。  
 
さて皆様、一昨年・昨年に引き続き、今年も「おすすめ・29年度カレンダー」を2つ紹介させてもらいます。ご希望の方は楽屋の方に若干数用意しておりますので定価にてお分けいたします。(昨年も申し上げたとおり「営利目的」ではありません)
 
まずおことわり。29年度「上方落語協会」はカレンダーを作成しませんでした。詳しい事情は存じ上げませんが、ちょっぴり残念です。で、今年のお勧めは・・・

1つ目は恒例の「盲導犬育成チャリティカレンダー」。地域寄席の草分け「田辺寄席」世話人で、今年NGKで2度目のの独演会を成功させた桂文太師。そんな文太師の活動を支えているのが、盲導犬「デイリー」くんです。実は盲導犬一頭を訓練するのにかかる費用は約600万円。このカレンダーの売り上げはすべて盲導犬育成に使われます。   

2つ目は「ARK動物保護カレンダー」。ARKとはさまざまな理由で飼育放棄された犬や猫を保護して里親を探す活動をする非営利団体です。当会のメンバー「びい亭るうず」さんはこの活動に賛同し、ARKで保護されていた犬の「里親」になっています。このカレンダーの売り上げはこのARKの活動費となります。

  「盲導犬育成」(壁掛け)は、一部1100円。
  「動物保護」(卓上)は、一部800円。

問い合わせ先は、
「盲導犬育成」は「日本ライトハウス盲導犬大阪訓練所」 TEL0721-72-0914
  (「田辺寄席事務局」ではもう予定数が売り切れだそうです)
「動物保護」は「大阪ARK(アニマルレフュージ関西)」 TEL072-737-0712
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 ひとりごとNo142 2017年3月5日・第170回駅前寄席プログラムより】

 
一昨年は米朝師、昨年は春団治師と大御所が相次いで亡くなられました。我々落語愛好家にとって残念な出来事ではあるのですが、年齢的にも「来るべき日が来た」とその事実をすぐに受け止めることができました。

しかし、この突然の訃報については、一ヶ月以上立つ今も「信じられない」というのが正直なところです。1月16日に女性落語家・露の雅(つゆのみやび)さんが静かに旅立ちました。享年35歳。落語家として、まさに「これからの人」でした。
 
露の雅さんは1981年 8月16日三重県津市生まれ。近畿大学文芸学部芸術学科で演劇とアナウンスを学び、卒業後露の都師に入門。地道な修行を重ね今や「実力派女性落語家」と多くの方々が認めるほどでした。
 
落語家でありながら、控えめで人見知り体質。カメラを向けられると顔を隠してしまうという照れ屋でもありました。しかし出囃子と同時にスイッチが入り堂々たる高座姿。派手さはないものの、一言一言をじっくりと丁寧な語り口。誠実な人柄そのままの「癒し」の落語でした。昨年末「繁昌亭昼席」で演じられた「紀州」。これが私にとって最後の雅さんの高座となってしまいました。当会では司之助代表の持ちネタとしてご存じかと思いますが、これは「地噺」といって登場人物のセリフよりも地の説明文で運ぶ噺です。淀みなく繰り出される雅さんの語りに釘付けになったものです・・・
 
実は昨年10月末に一度救急搬送されています。11月1日に予定された出番は大事をとって欠席されました。しかし検査の結果は「異常なし」。今にして思えば本当に異常がなかったのでしょうか? また東大阪市のアパートに一人暮らしだった雅さん、発見されたのは亡くなった3日後。姉妹弟子同士でメールのやりとりをしていたところが返事がない。もしやと思って妹弟子が自宅へ向かうと・・・何かと考えさせられる最期です。
 
師匠や妹弟子の方々はもとより、多くの落語家仲間や落語ファンに愛された雅さん。心からご冥福をお祈り申し上げます。一門の皆様、志半ばで倒れた雅さんの遺志を受け継いでくださいませ。

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 ひとりごとNo143 2017年4月16日・第171回駅前寄席プログラムより】

 
渡瀬恒彦さんといえば、TV・映画などで幅広く活躍された俳優で、世間的には「代表作」といわれても一つには絞りきれないようです。
 
でも我々にとって渡瀬さんは「徒然亭草若師匠」以外の何者でもありません。上方落語の世界を題材にした、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」ヒロイン貫地谷しほりさん扮する女性落語家「徒然亭若狭」の師匠です。 
 
このドラマがOAされたのが2007年10月から翌年3月まで。もう9年前ですね。今でも名シーンの数々が思い出されます。幼い頃のヒロインが夢中になって聴いていたテープから流れる落語「愛宕山」。それまで落語とはあまり縁がなかった渡瀬さんがご本人の納得がいくまで録音し直した渾身の一席です。
 
若狭の入門前、草若師匠宅に居候していた頃、後に兄弟子そして夫となる草々のために「辻占茶屋」のハメを演奏するために三味線の練習をするのですが、思うように弾けない。自信をなくしかけた若狭に師匠は「不器用でええ。不器用なもんほどいっぱい努力する」と励まします。ただ、その当時の草若師匠の出で立ちはひげ面のどてら姿。ある事情により、草若師匠は落語界から離れていました。4人いた弟子たちも空中分解。その4人の弟子を呼び戻し、師匠も落語界に復帰する・・・このドラマの山場の一つです。
 
復帰してからの師匠は弟子に対して厳格に接します。落語家の師匠とは、単に落語のネタを教えるだけの存在ではありません。落語家としての生き方そのものを教える、まさに大師匠です。やがてドラマの中でも師匠はあの世に旅立ちます。
 
その後弟子たちは、師匠の遺志である「上方落語の常打ち小屋」の建設にのりだします。現実の上方落語界に「天満天神繁昌亭」ができてすぐの頃です。ドラマの世界もここに追いつきます。「繁昌亭」は師匠の夢の具象化でもあったのですね。
 
実在の噺家の中にこれといったモデルがいない草若師匠ではありますが、落語愛好家の一人として、尊敬してやまない草若師匠。ここではあえて、
 
徒然亭草若師匠のご冥福を心からお祈りします。

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 ひとりごとNo144 2017年6月18日・第172回駅前寄席プログラムより】

 
「噺の会じゅげむ」の活動の3本柱・・・偶数月開催の「駅前寄席」、奇数月開催の「高槻市民寄席」、そして皆様のご希望にそって各地の施設にお邪魔して寄席を開催する「出前寄席」。この「出前寄席」ほとんどが大阪近郊なのですが、このたびなんと、九州は「熊本」まで行き帰りとも飛行機で出張して参りました。
 
「びい亭るうず」(今回の発案者)「三流亭志まね」「京楽亭あんこ」(るうずさんの古くからの落語仲間、今回の紅一点)そして私「潮吹亭くじら」この4名が6月10日11日の2日間、熊本大地震における仮設住宅の集会所4ヶ所にお邪魔しました。
 
各仮設住宅は、いずれも熊本市内。立地条件、規模も様々ですが、同じ熊本市が建てたということで、それぞれ全く同じプレハブ住宅。集会所の作りもほとんど一緒です。
 
各住宅の「相談員」(熊本市から派遣された住民のお世話をされる方)とるうずさんが事前に綿密な打ち合わせをされていたこともあって、いずれも我々を暖かく迎えて下さいました。2日間で4回開催した寄席、おかげさまで4回とも約20名のお客様がお越しになりました。皆様の反応も上々、演者の方がたっぷり楽しませてもらった2日間でした。お越し下さいました皆様に厚く御礼申し上げます。
 
熊本方面にはまだまだ、仮設住宅住まいを余儀なくされている方々が多数おられます。おなじみ「熊本城」を始め、地震の爪痕も残ったまま。完全復興までにはまだまだ時間がかかります。でも、熊本の皆さんは「前向き」です。我々の方が励まされました。
 
少々ハードでしたが、貴重な体験をさせてもらいました。申し上げたいことはまだまだありますが、あとはそれぞれの出番にてたっぷり土産話をしゃべらせてもらいます。どうぞご期待くださいませ。


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 ひとりごとNo145 2017年8月20日・第173回駅前寄席プログラムより】

 
「噺の会じゅげむ」の定例会といえば、偶数月開催の「駅前寄席」と奇数月開催の「高槻市民寄席」。おかげさまでどちらにも多くの皆様にご支援を頂いております。
 
その「高槻市民寄席」が、来月24日に「第100回」を迎えます。当初、「高槻市総合市民交流センター(現クロスパル高槻)」で始まった「高槻演芸市場・交遊亭」を引き継いでやらせてもらっていたものを、平成12年1月「高槻市民寄席」に名称変更。これが第1回です。
 
そして平成15年6月の第20回公演から、現在の「高槻市立生涯学習センター」1階展示ホールに会場を変更し現在に至ります。こちら「駅前寄席」同様毎回お客様が大勢お越しくださいます。本当にありがたいことです。
 
で、このたび「第100回記念公演」を高槻市のご好意により同センターの2階にある300名収容の「多目的ホール」でさせてもらうことと相成りました。記念公演ですので、もちろんメンバー全員出演。落語・漫談・歌謡ショーと多彩なプログラムでお楽しみください。
 
また、特別ゲストとして濱田剛史・高槻市長をお迎えして100回記念の挨拶と当会メンバーとの対談が実現しました。その上「高槻太鼓」の皆様による和太鼓演奏も見ものです。
 
そして、先着300名さまに「記念品」を進呈します。いつもの「タオル」などとはちょっと違います。こちらもお楽しみに。
 
このように盛りだくさんな内容となりましたので、開演はいつもより1時間早い午後1時となります。またいつも以上のお客様にお越し頂きたいということで、チラシをいつもの倍ほど用意しております。本日お越しの皆様方にお願いします。もしよければ何枚かチラシをお持ち帰りの上、お知り合いやご近所の方にお知らせください。よろしくお願いします。

「第100回記念・高槻市民寄席」
    9月24日(日)午後1時開演 
 高槻市立生涯学習センター 2階多目的ホール
 入場無料・先着300名様に記念品進呈

 
皆様のお越しを、心からお待ち申し上げます。


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 ひとりごとNo146 2017年10月15日・第174回駅前寄席プログラムより】

 
9月24日に開催しました「高槻市民寄席・100回記念公演」は、おかげさまをもちまして入場者395名の超・大入満員となりました。「噺の会じゅげむ」史上最多です。お越しくださいましたお客様方に厚く厚く御礼申し上げます。
 
会場の収容人数の関係で入場出来なかった方々には、この場を借りまして心からお詫び申し上げます。全くの想定外の動員記録、正直な話、戸惑っております。

生涯学習センター2階多目的ホールに、豪華な舞台を用意して下さいました。その舞台にメンバー全員が並んでの口上。後で画像で見ましたがそれは壮観です。私がこの中の一人であることを誇りに思います。そして、舞台にいないメンバーも含めみんなの力を結集してこの日を迎えることができたこと。感無量です。
 
思っていた以上に気さくな人柄の濱田高槻市長。迫力満点、高槻を代表する芸能の「高槻太鼓」の皆様に会を盛り上げていただき、なんとも豪華な会となりました。改めて、
ありがとうございました。 
 
メンバーは全員参加。そんなプログラムの関係上一人当たりの持ち時間は制限され、いわば「ネタのダイエット」を余儀なくされましたが、それがかえってすっきりした高座となって全体として楽しめる寄席となったように思います。我々にとって意外に苦手な「時間つなぎのフリートーク」もそつなくこなせたように思います。
 
そして、タイムテーブルどおりに終了。各自が自覚を持って臨んだ成果だと思います。いろんな意味で多くの貴重な体験をさせてもらいました。そして多くの方々に支えられて今日があるということも学びました。この体験をこれからの寄席運営に生かして参ります。本日の「第174回・駅前寄席」、そんな私たちにご注目ください。  


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 ひとりごとNo147 2017年12月17日・第175回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。  

さて、私たちが取り組んでる「落語」には大きく分けて「古典落語」と「創作落語」
があります。本日の演目で言えば、南茶亭おすしさんの「宿題」が「創作落語」。それ以外が「古典落語」となります。   
ざっくりといえば「古典落語」はひと昔前を、「創作落語」は概ね現代を描いています
(例外もありますが)。 で、その内容の違いについて、立川志の輔師が興味深いことを
仰ってます。
 
「古典落語と創作落語の違いは、物がなかった時代と物が豊富な現代の違いなのよ」
なるほど。だから古典落語には、ない物をあるように見せようとする噺が多いのです。
今日、私がさせてもらう「餅つき」。実は餅なんかひと臼もついてません。では、何をついているのか、それは本編をお楽しみに。
 
また、古典落語の時代には学校へも行ってない人が結構多いのに、創作落語「宿題」ではなんと「塾」から宿題が。いかにも物が豊富な時代の噺ですな。どんな「宿題」かは、おすしさんの高座をお楽しみに。
 
やっぱり落語って奥が深いですな・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて今年も恒例の「盲導犬育成チャリティカレンダー」をご用意しました。盲導犬一頭を訓練するのにかかる費用は約600万円。このカレンダーの売り上げはすべて盲導犬育成に使われます。「盲導犬育成カレンダー」(壁掛け)は一部1000円。
(昨年も申し上げたとおり「営利目的」ではありません)

問い合わせ先は、
「日本ライトハウス盲導犬大阪訓練所」 TEL0721-72-0914


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 ひとりごとNo148 2018年2月18日・第176回駅前寄席プログラムより】

 
2月に入って、上方演芸界にとって残念なお知らせが相次ぎました。1日に落語家の
桂福車(かつら・ふくしゃ)さんが亡くなられました。享年56歳。実は私と同い年。
つい最近までご活躍中で、まさに突然の訃報でした。
 
何年か前にある方から「福車さんにそっくり」と言われたこともあり、何かと気になる存在でした。少しくせのある押し気味の芸風で、古典落語から社会派創作落語まで幅広く手がけておられました。
 
死因その他の情報が少ないのが気になります。所属する「松竹芸能」のHPにも死亡記事が載っていません。 それでも上方落語界にとって大きな損失に違いありません。
 
同じく1日。トリオ漫才「レツゴー三匹」のメンバー、レツゴー長作さんが肺ガンの
ため亡くなられました。享年74歳。こちらは松竹芸能HPに訃報が載っています。
レツゴー三匹としての活躍ぶりはもう説明不要かと思います。他に歌手・俳優とその多彩な才能を遺憾なく発揮されました。最近では三味線漫談で繁昌亭昼席の貴重な色物芸人として、最近まで舞台に立っておられました。私も2回ほど拝見しましたが、庶民の日常を切り取った味わい深い漫談、もっともっと聴きたかったです。
 
先に「レツゴーじゅん」さんも亡くなられてます。現在は正児さん「一匹」のみ。その正児さんも現在は病気療養中だそうです。なんとも寂しい限りです。
 
その知名度に差はありますが、お二方とも上方演芸の功労者であることに変わりはありません。
 
お二方のご冥福をお祈りします。

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 ひとりごとNo149 2018年4月15日・第177回駅前寄席プログラムより】

 
お客様方からよく尋ねられます。「どうやってネタを覚えておられるんですか?」

プロの場合、師匠や先輩に稽古をつけてもらうのが主流ですが、我々素人にはそういう存在がいませんので、自分で音源や映像を探すところから始まります。TVラジオ番組から録音録画した物、あるいは市販のCDやDVD。そして最近では You Tube に配信された映像などなど、素人落語家にとって随分便利な世の中となりました。
 
ただ、プロの噺家にとってはちょっと厄介な時代なんだそうです。CDやDVDは、その売り上げの一部が噺家の収入となりますが、You Tube はどれだけ配信されても収入にはなりません。そればかりか、YouTube で見れば事足れりとばかり寄席に足を運ばなくなる、という心配をする落語家さんもおられます。
 
その心配もわからなくもないですが、私は「寄席」も「You Tube」も充分共存すると考えています。どんなに時代が進んでも、やはりライブに勝るものはないと思います。また、いろいろな事情で寄席に足を運ぶ余裕がない方々にとって、そういった映像媒体の存在は欠かせないと思われます。
 
私たち「噺の会じゅげむ」は、素人ではありますが、より楽しい生の落語の魅力をお伝えできますよう、日々精進して参ります。 本日もよろしくお付き合い下さいませ。

各映像媒体には、今後もお世話になります・・・・ 

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 ひとりごとNo150 2018年6月10日・第178回駅前寄席プログラムより】

 
「噺の会じゅげむ」の活動は、偶数月開催の「駅前寄席」、奇数月開催の「高槻市民寄席」のほか皆様のご希望にそって各地の施設にお邪魔して寄席を開催する「出前寄席」、そして、上方落語に登場する地を訪ね歩いて落語の世界観をより深めようという「風流落語旅」といった活動があります。その「出前寄席」と「風流落語旅」を一つずつ紹介します。
 
まず、今年で2回目となる「熊本出前寄席」。5月12・13日に熊本大地震の被害が大きかった「益城町(ましきまち)」の仮設住宅集会所を4箇所訪ねました。参加者は、昨年と同じ、「びい亭るうず(この出前寄席の発案者)」・「京楽亭あんこ(るうずさんの古くからの仲間)」・「三流亭志まね」・「潮吹亭くじら」の4名。それぞれの集会所で並々ならぬ歓迎を受けました。被災された方々は皆さん明るく振る舞っておられましたが、復興への道はまだまだ遠しといわざるを得ません。今後の活動は未定です。もし、この活動が現地の方々に望まれてるのであれば、続ける方向です。
 
一方「風流落語旅」は、9年ぶりに「愛宕山登山」を「第104回高槻市民寄席」の前日5月19日に敢行しました。参加者は三流亭志まね(発案者)・寿亭司之助(翌日「愛宕山」をネタおろし)・歩鱈小酔・びい亭るうず・高月亭すばる・潮吹亭くじらの6名。落語では、芸妓・舞妓・幇間連中がピクニック感覚で登ってゆきますが、9年前より確実に9つ歳をとってる上、運動不足気味の我々には堪えました。でもやはり、愛宕山は上方落語の聖地。全員できちんとお詣りを済ませた甲斐あって、翌日の「第104回高槻市民寄席」は入場者179名の大入となりました。トリの司之助代表「愛宕山」も見事でした。
 
この「風流落語旅」。秋口には、大阪市内の落語にまつわる地を訪れるツアーを計画中。またこの紙面にてお伝えしたいと思っています。
 
 
ところで、「上方落語協会」の新しい会長に「笑福亭仁智」師が就任と相成りました。このことについては、次回のこのコラムで述べさせてもらうつもりです。
各映像媒体には、今後もお世話になります・・・・ 

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 ひとりごとNo151 2018年8月19日・第179回駅前寄席プログラムより】

 
「大阪北部地震」「西日本豪雨」その他数々の災害にて被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。本日「第179回・駅前寄席」を無事開催できることの幸せをかみしめながら、メンバー一同、がんばってまいります。
 
さて、落語界も江戸・上方ともに大きな動きがありました。東京・落語芸術協会会長でTV番組「笑点」の終身名誉司会者、桂歌丸師が7月2日亡くなられました。享年81歳。「笑点」では、放送開始第1回目からのレギュラーでした。大喜利での風刺の効いた回答。社会を切り取る独自の視点が印象的でした。落語家としては、古典落語に真正面から取り組むその姿勢は多くの後輩たちのお手本でした。晩年、鼻に酸素注入チューブを挿れて高座をつとめる姿に、噺家としての執念を感じました。残念ながら、生の高座を一度も拝見しておりません。しかし、映像化されたものから感じられるのは、聴き手にやさしい語り口。心から、ご冥福をお祈りします。
 
上方落語協会では、会長が六代桂文枝師から笑福亭仁智師にバトンタッチ。文枝師は、なんと15年にわたる長期政権。その間「天満天神繁昌亭」建設など多くの功績を刻みました。仁智師はその後を受け継ぐこととなります。私にとって仁智師は、まず「大阪近鉄 バファローズ」応援団長。花月劇場では「大阪パイレーツ」というコントグループのリーダーでもありました。そんな仁智師、落語家としては文枝師同様「創作落語自作自演」。モットーは「等身大の笑い」。落語になじみのない人にも手軽に楽しんでもらえる作品を心がけておられるとのこと。実は当会定期公演でも「めざせ甲子園」「源太と兄貴」「トクさんトメさん」「川柳は心の憂さの吹きだまり」「ハードラック(不運)」といった作品が高座にかかっています。今後の上方落語界の課題は「新しい定席・神戸喜楽館の発展」「新しいファン層の開拓」「新しいスターの育成」 仁智新会長の舵取りに注目です。
 
 猛暑の中お越し下さいまして誠にありがとうございます。最後までどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。

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 ひとりごとNo152 2018年10月14日・第180回駅前寄席プログラムより】

 
台風24号による影響で、9月30日開催予定だった「第106回・高槻市民寄席」は中止と相成りました。お越しになるお客様や当会スタッフの安全を第一に考えた末の判断ではありますが、この寄席を楽しみにして下さった方々には大変申し訳なく思っています。この場をお借りして、心からお詫び申し上げます。
 
実は「噺の会じゅげむ」定例会が中止になるのはこれが2度目です。ご記憶の方もおられるかと思いますが、 平成23年(2011年)東日本大震災の影響で、4月に開催予定だった「第136回・駅前寄席」が中止になりました。これに関しましては事前告知がなされてましたので、それほどの混乱はありませんでした。しかしこのたびは突然の決定です。当会ホームページで告知はさせてもらいましたが、お客様の中にはインターネットとは無縁の方もおられることでしょう。かなりご迷惑をおかけした事と思われます。重ね重ねお詫び申し上げます。
 
それにしても、今年は地震や台風など数々の天災に翻弄され続けています。「天災は忘れたころにやってくる」とは申しますが、今年は忘れる間もなく襲ってきます。日頃の備えの大切さが身にしみて感じられる今日この頃です。
 
本日は「第180回・駅前寄席」にお越し下さいまして。誠にありがとうございます。中止にせざる得なかった「第106回・高槻市民寄席」の分を取り返すべく、出演者・スタッフ一同全力で寄席の運営にあたります。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
・・・まもなく開演です!

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 ひとりごとNo153 2018年12月16日・第181回駅前寄席プログラムより】

 
本年も「駅前寄席」並びに「噺の会じゅげむ」に多大なるご支援を賜りました。この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。  

さて、「ユネスコ無形文花遺産」に「秋田のなまはげ」をはじめとする8県10行事の「来訪神」が登録されることとなりました。これらはすべて「無病息災」「五穀豊穣」
「子供の健やかな成長」などを願う日本の伝統行事です。とくに「なまはげ」は毎年
大晦日に各家々をまわって、怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを払いにやってくる
といいますから、なにやら今日私が演らせてもらう「厄払い」に通ずるものがあります。
 
私たちの日常から、こういった伝統行事が姿を消しつつあります。でも「落語」の中
には、古き良き日本の生活習慣が色濃く残っています。私は「落語」こそが無形文化遺産に登録されてしかるべきだと思うのですが、いかがでしょう?

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて今年も恒例の「盲導犬育成チャリティカレンダー」をご用意しました。盲導犬一頭を訓練するのにかかる費用は約600万円。このカレンダーの売り上げはすべて盲導犬育成に使われます。「盲導犬育成カレンダー」(壁掛け)は一部1000円。
(昨年も申し上げたとおり「営利目的」ではありません)

問い合わせ先は、
「日本ライトハウス盲導犬大阪訓練所」 TEL0721-72-0914
 

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 ひとりごとNo154 2019年2月17日・第182回駅前寄席プログラムより】

 

本日開催「第182回・駅前寄席」は、「噺の会じゅげむ」の定例会としては299回目となります。で、来月開催の「第108回・高槻市民寄席」は「定例会第300回記念公演」として、賑々しくお送りすることと相成りました。

 「定例会第300回記念公演・第108回高槻市民寄席」
  3月3日 午後1時開演
  高槻市立生涯学習センター2階 多目的ホール
  先着300名様に記念品贈呈

一昨年9月開催した「第100回記念公演・高槻市民寄席」。まだ皆様の記憶に新しいかと思います。あの300名収容のホールでの開催です。おかげさまで395名のお客様が詰めかけるという超満員御礼となりました。ゆえに、300名というのは不可能な数ではないのは立証済みです。
 
しかし今回は「濱田高槻市長」のようなVIPも、「高槻太鼓」といった豪華ゲストも一切お呼びしておりません。当会メンバーのみでこの「記念公演」を執り行います。
 
記念口上、リレー落語、ギター弾き語り、大喜利、三題噺、落語「愛宕山」。そして、お楽しみ抽選会とバラエティに富んだプログラムを用意しております。日頃私どもに熱い声援を送って下さっている皆様方への感謝の気持ちをこめた番組となっております。

皆様、3月3日は
午後1時開演・2階の多目的ホール・300回記念
この「1,2,3」でよろしくお願いいたします。

ご家族、ご近所、ご友人をお誘い合わせの上お越し下さい。
(誘う方がおられない場合はお一人でかまいませんが・・・)
 

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 ひとりごとNo155 2019年4月21日・第183回駅前寄席プログラムより】

 

3月3日に開催しました「高槻市民寄席・噺の会じゅげむ定例会300回記念公演」は、おかげさまをもちまして入場者285名の大入満員となりました。お越しくださいましたお客様方に厚く厚く御礼申し上げます。

盛りだくさんのプログラムを進行する中で、改めて「300回」の重みをひしひしと感じました。「第1回」は残念ながら記録が残ってませんが「平成4年」に開かれました。噺の会じゅげむは「平成」という一時代を、多くの方々のご支援をうけながらここまで駆け抜けてこられたといえます。まさに「感謝」の一言に尽きます。
 
さて、本日の「第183回・駅前寄席」。もう使い古されたフレーズではありますが、「平成最後」の定例会です。そして上方落語界にも「平成最後」の大ニュース・・・

笑福亭松之助師が2月22日に亡くなられました。享年93歳。芸人として多くの顔を持つ師匠でした。1つ目は「明石家さんまさんの師匠」。さんまさんは入門当時は「笑福亭さんま」として古典落語も演じてました。しかし、松之助師は彼のタレントとしての才能を見抜き、「明石家(師匠の本名からとった創作亭号)」を名乗らせ自由にやらせました。その後の彼の活躍は説明不要ですね。
 
2つ目は「古典落語のよき指導者」。師匠御自身も吉本新喜劇など幅広い活動をされる一方、古典落語のネタもかなりお持ちです。若手の噺家にも精力的に稽古をつけますが、それは厳格なものであったと聞いています。
 
そして3つ目は「元気なお年寄りの代表」。寿亭司之助代表の十八番「老婆の休日」のマクラに必ず、元気な老人の代表として「きんさんぎんさん」と「松之助師匠」が登場しますが、御三方とも亡くなられました。今後どうしましょう・・・
 
松之助師のご冥福をお祈りします。

まもなく「令和」の時代がやってきます。今後も「噺の会じゅげむ」をご贔屓に!
 

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 ひとりごとNo156 2019年6月16日・第184回駅前寄席プログラムより】

 

2001年12月。一組のご夫婦が「噺の会じゅげむに入会させて下さい」と来られました。翌年、奥様の「みちのく小雪」さんがお茶子デビュー。続いて旦那様「山椒家小粒」さんが高座デビュー。当時の当会にして初の江戸落語です。その軽妙な語り口。すぐに当会になくてはならない存在となりました。
 
2003年にお二人は転勤のため北九州・小倉へ。そこで「噺の会じゅげむ・小倉出張所」を立ち上げます。その持ち前のバイタリティで、次々と会員を増やし、数多くの定例会出前寄席をこなしてきました。
 
2018年。小粒さんの定年退職を機会に、小雪さんの故郷福島県いわき市に移住。そこで「噺の会じゅげむ・いわき支店浪江準備室」を開設。そこでの新たな奮闘ぶりが先日、NHKのドキュメント番組で取りあげられました。ご覧になられた方はおられますでしょうか。いわき市と言えば東日本大震災の被災地で、今も不自由な生活を強いられておられる方々がおられます。そんな方々と寄り添いながらの活動です。かつて同じ高座に登った仲間が全国ネットの放送に取りあげられている。心からエールを送りたいですね。
 
さて、被災地といえば、今年も熊本まで行ってきました。メンバーは毎度おなじみの「びい亭るうず」「三流亭志まね」「潮吹亭くじら」の3名。6月8日・9日の2日間で今年も4カ所の仮設住宅を回って来ました。我々のつたない芸ではありますが、それぞれの集会所の担当者やお越し下さいましたお客様・・・仮設にお住まいの方のほか、ご近所の方、ボランティアの方など多くの方々に楽しんでもらいました。我々もおおいに励みにそして勉強になりました。
 
3年にわたって取り組んでまいりました「熊本シリーズ」は、今年で一旦終了とします。
 
この3年で学んだ物を必ずや普段の高座に生かしてまいります!
 

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 ひとりごとNo157 2019年8月18日・第185回駅前寄席プログラムより】

 

残暑お見舞い申し上げます。

本日の「第185回・駅前寄席」は「高槻西武百貨店」で 開催される最後の駅前寄席です。長らくJR高槻駅前のシンボル的存在であった高槻西武百貨店、また平成17年(2005年)12月の第101回以来ずっと「駅前寄席」を開催してきた高槻西武百貨店は、10月1日から「高槻阪急百貨店」と店名が変わります。「西武」から「阪急」。その企業イメージも随分違います。また「阪急高槻市駅」からも離れていますので、正直、この百貨店の看板が「阪急」に変わることに一抹の違和感はぬぐえません。まあ、すぐ慣れるとは思いますが。
 
それ以上に我々が心配していたのは「阪急」が「駅前寄席」を受け入れてくださるのか、ということでした。思えば「西武」は「駅前寄席」に対して過分なるご支援をして下さいました。おかげ様で「駅前寄席」は、毎回100名を超えるお客様がお越しになる寄席に成長することができたわけです。しかしその心配はご無用。「阪急」も引き続き「駅前寄席」をサポートしてくださる事となりました。本当に心強い限りです。
 
14年近くお世話になった高槻西武百貨店、そしてずっと声援を送り続けてくださったお客様方への感謝をこめて「第185回・駅前寄席」まもなく開演です。

 次回の「第186回・駅前寄席」は
   10月14日(月・祝)午後2時開演
    高槻阪急百貨店・6階多目的ホール <入場無料>

 

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 ひとりごとNo158 2019年10月14日・第186回駅前寄席プログラムより】

 

前回このコラムでもお知らせしましたとおり、この10月より「高槻西武百貨店」は「高槻阪急百貨店」と店名が変わりました。店名だけでなく、店内も以前より洗練された都会派の百貨店になるものと思われます。「駅前寄席」も、今まで以上に皆様に愛される寄席運営を心がけてまいります。今後ともよろしくお願いいたします。
 
さて、当会きっての人気者「高月亭太陽」くんが、先月の「高槻市民寄席」をもって、「噺の会じゅげむ」を卒業することとなりました。あるご縁で「笑福亭鶴二」師匠の下
に弟子入りをし、プロの落語家への道を進むこととなりました。あの寡黙な高校生だった太陽くんが、どえらい決心をしたものです。現在大学四回生。正式な入門は来年4月からとのことですが、今後彼がどのように成長してゆくのか、同じサークル仲間としても一落語愛好家としても、おおいに楽しみであります。
 
で、彼を受け入れてくださった「笑福亭鶴二」師匠は、上方落語四天王の一人・六代目笑福亭松鶴師の最後のお弟子さん。2011年には 第6回「繁昌亭大賞」を受賞。上方落語の実力派で、若手の落語家に積極的に稽古をつけておられます。
 
そんな鶴二師は、数々の落語会のお世話をされています。その中の一つ「笑福亭鶴二とにしんそば松葉の会」に先日行ってまいりました。京都南座の隣にある老舗のそば屋さんでの落語会で、会場は常連のお客様でほぼ満員。この日の鶴二師のネタは「胴乱の幸助」.偶然にも今日私が掛けさせてもらう噺です。さすがは鶴二師。いろいろ参考にさせてもらいました。終演後師匠にご挨拶。師匠は太陽くんのことはもとより「噺の会じゅげむ」にも関心を示して下さっていました。ありがたいことです。
 
というわけで、鶴二師匠。太陽くんをよろしくお願いいたします!

 

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 ひとりごとNo159 2019年12月15日・第187回駅前寄席プログラムより】

 

「平成」から「令和」に元号が変わった2019年。今年は我が「噺の会じゅげむ」にとっても、いろいろな意味で「節目」の年でした。
 
3月には「定例会300回記念公演」を高槻市立生涯学習センターの2階、300名
収容の多目的ホールにおいて、今までにない多彩なプログラムで開催。入場者285名の大盛況となりました。また、国政選挙の関係で通常公演ながら2階多目的ホールで開催された7月の「第110回・高槻市民寄席」が入場者215名の大入りとなりました。メンバー一同にとって大いなる励みとなりました。
 
一方「駅前寄席」の会場「高槻西武百貨店」が10月から「高槻阪急百貨店」に店名が変わりました。阪急に変わっても、引き続き「駅前寄席」をバックアップして下さるということで、誠にありがたいことです。今後我々もさらに精進してまいります。
 
そして、当会きっての人気者だった「高月亭太陽」くんが笑福亭鶴二師匠に弟子入りしプロの落語家への道を歩むこととなりました。現在は在学中ということで「弟子見習い」。もうすでに師匠に稽古をつけてもらってるとのこと、今後が楽しみです。
 
令和二年は、当会にとってどんな年になるのでしょう?来年も引き続きご支援のほど
よろしくお願いいたします。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて恒例の「盲導犬育成チャリティカレンダー」。「日本ライトハウス盲導犬大阪訓練所」設立50周年の記念カレンダーでもあります。このカレンダーの売り上げはすべて盲導犬育成のために使われます。ご希望の方に一部1000円でおわけします。
(毎年申しておりますが、「営利目的」ではありません)

問い合わせ先は、
「日本ライトハウス盲導犬大阪訓練所」 TEL 0721-72-0914

 

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 ひとりごとNo160 2020年2月16日・第188回駅前寄席プログラムより】

 

「ねえねえ岡村。この中で、寄席・演芸をこよなく愛する、文化的な大人ってだぁれ?」
「寄席ですか。実はこう見えて私、漫才で賞を取ったこともあるんです。というわけで、私、 行かせてもらいますね。」
「ねえねえ岡村。特に落語の寄席で、舞台番をする女の人をなんて言うの?」
「ああ、あれはお茶子さんっていいますね。」
「そう。そのお茶子さんの仕事って、どんなの?」
「えっと、名ビラを返したり、見台を出し入れしたり、座布団をひっくり返したり・・・」
「ほう。その座布団は、なぜひっくり返すの?」
「え?座布団はなぜひっくり返すか・・・えっと、上方落語はかつては大道芸、つまり屋外で やってたから、座布団の砂ぼこりを叩いてた、その名残で・・・」
「座布団の砂ぼこりを叩く・・・ボーっと生きてんじゃねーよ!」

ある落語会の客席で聞いてみました。
「昔からの寄席のルールだから」「演者が交代する合図」・・・
なぜお茶子さんが座布団を返すのかも知らずに、「あのお茶子さん、可愛いね」「うちの息子の嫁にほしい」などと好き勝手言ってる大人のなんと多いことか。
でも、チコちゃんは知っています。

「お茶子さんが座布団を返すのは、他人が長時間座っていた座布団の ぬくもりが心地悪いから・・・」

以上、今から10年以上前、桂米朝師匠がラジオ番組で仰っておられたことを、再構成してお送りしました。早いもので米朝師匠が亡くなられて、来月21日で丸5年です。
(なお、お茶子さんが座布団を返す理由については、諸説あります)
 

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 ひとりごとNo161 2020年6月5日・じゅげむかわらばん Vol.1より】

 

日頃より「噺の会じゅげむ」にご支援くださっておられる皆様方、心よりお詫び申し上げます。当会の定例会「駅前寄席」「高槻市民寄席」が新型コロナウィルス感染予防のため中止となって、3か月が過ぎようとしています。
 
自粛自粛で、心が滅入りそうな毎日を送っておられることと思います。私たちも、一日も早く、皆様の前で思い切り落語を聴いてもらえる日を待ち望んでいます。
 
この間改めて思ったこと・・・落語という芸は「お客様」と「演者」との共同作業で成り立っているということです。これはプロ・アマを問いません。NHKで木曜日の昼間放送されている「上方落語の会」もコロナウィルス感染予防の観点から「無観客」で落語が演じられています。演じているのは皆さん実力派のプロの皆さん。なのに何か物足りません。演者の皆さんも、受けてるのかすべってるのかもわからないまま喋っています。
やっぱり、お客様の前で演ってこその落語なのですね。
 
さて、プロといえば昨年まで当会きっての人気者で、この4月から正式に笑福亭鶴二師匠の弟子となった彼。この度「笑福亭夢二(ゆめじ)」という素晴らしい芸名をもらいました。コロナウィルスの関係で、現在修業らしい修業ができていないとのこと。また6月に予定されていた松竹座での独演会も中止となり、鶴二師匠も何かと苦悩の毎日のようです。コロナウィルスの一日も早い収束が待たれます。
 
何月になれば当会定例会が再開されるのか、今ここでお約束できないのが唯々申し訳ないの一言に尽きます。でも、これだけは言えます。

 私たち「噺の会じゅげむ」はいつか必ず帰ってきます!
 その日まで、体調にお気をつけて、お待ちくださいませ・・・」
 

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 ひとりごとNo162 2020年10月18日・第189回駅前寄席プログラムより

 

新型コロナウィルス感染予防の観点から、「噺の会じゅげむ」定例会は半年ほどお休みさせてもらいました。先月5日、「高槻市民寄席」を300名収容の生涯学習センター2階の多目的ホールにおいて、150名限定で開催しましたところ、118名のお客様がお越しくださいました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
 
さて、本日開催の「駅前寄席」ですが、これもコロナウィルス感染予防の観点から、なんと30名限定となってしまいました。このご時世、やむを得ないことではありますが、本日お越しになれなかった方々には、誠に申し訳ございません。
 
というわけで、本日お越しのお客様には、コロナ対策として「マスク着用」「手指消毒」「検温」「連絡先の記入」などのご協力をお願いしております。ご面倒ではございますが、これも、当会の定例会のお客様から感染者を出さないためです。何かとお手間をとらせますが、どうかよろしくお願いいたします。
 
なお、これは当会だけではありません。江戸・上方を問わず、プロ・アマを問わず、それぞれの落語会で、コロナ対策は実施されています。 ゆえに今のところ、寄席から感染者は出ておりません。これは落語に携わる者として、大いに誇っていいのではないかと思っています。(10月上旬現在)。
 
というわけで、本日お集りの30名の皆様。ご来場誠にありがとうございます。我々も、コロナ対策の一環として、飛沫の飛ばないよう、なるべく笑わせないように・・・これはもちろん冗談。大いに笑って、コロナウィルスを吹き飛ばそうではありませんか!
 

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 ひとりごとNo163 2020年12月20日・第190回駅前寄席プログラムより

 

思えば令和2年は、新型コロナウィルスに翻弄され続けた1年でした。我が「噺の会じゅげむ」も半年間の開催中止、再開後も入場制限を余儀なくされています。本日開催の「駅前寄席」も30名の入場制限を行いました。これまでお客様方と当会メンバー とで築き上げたものを否定するようで誠に心苦しいのですが、コロナが収束して通常の公演が行える日に向けてのステップとご理解いただけますようお願いします。
 
さて、コロナの話題ばかりでは気が滅入りますので、最近私が感じている昨今の落語界の動きについて少々述べさせてもらいます。
 
先日「NHK新人落語大賞」が放映されました。ご覧になった方もおられるでしょう。プロの落語家を対象にしたコンテストは意外に少なく、若手の落語家にとっては貴重な「腕試し」の場です。
 
東西6名の噺家がしのぎを削った結果、優勝者は笑福亭羽光さん。高槻市出身の上方落語家ではありますが、活動の拠点は東京。所属は東京の「落語芸術協会」。彼の師匠笑福亭鶴光師は「東京を拠点とする上方落語家」の先駆者。一番弟子の学光さん以外の弟子は皆「芸協」所属です。昨今は関西出身のTVタレントが活躍し、大阪弁もかなり市民権を得てはおりますが、まだまだ上方落語は東京ではアウェイではないかと思われます。そういう意味で今回の羽光さんの受賞は意義深いと思います。
 
一方、上方落語家の露の紫さん。演目は「手向け茶屋」。お気づきの方もおられるでしょう。江戸落語「お見立て」を上方風に仕立てた一席です。我々が上方落語だと思って聴いている噺が、元は江戸落語。最近結構多いのです。(もちろん、その逆も)。今後東西の人的交流、ネタの交流もさらに活発になってゆくでしょう。江戸・上方それぞれの良さを守りながら、今後の発展を願ってやみません。 

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 ひとりごとNo164 2021年4月18日・第191回駅前寄席プログラムより

 

 ♪着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます・・・

1976年日本レコード大賞受賞曲、都はるみさん「北の宿から」の一節です。なぜここで40年以上も前の曲が出てきたのか?実は、今皆様が読んでくださってるこのコラムが、もしかすると「着てはもらえぬセーター」になっていたからです。
 
新型コロナウィルス感染状況とのにらみ合いの末、本日の「第191回・駅前寄席」は、入場者50名限定で開催というご連絡を差し上げました。しかしながら、その決定をあざ笑うかのように、大阪府の感染者が日々増えてまいりました。これが「緊急事態宣言」発令となると、「中止(延期)」とせざるを得ない。となるとこのプログラムは「読んではもらえぬ文章」になってしまいます。
 
このコラムだけではありません。当会メンバーはみな、今日の寄席に向けて毎日の仕事の合間を縫ってネタの稽古を積んできました。本日の演者たちにとっても「聞いてはもらえぬ高座」になっていたかもしれません。
 
そんな中、本日は開催にこぎつけました。会場である「高槻阪急百貨店」の英断に、そして何より、このような状況の中駆けつけてくださったお客様方に心の底から御礼申し上げます。

では、ただいまから一番太鼓を打たせてもらいます・・・(テープではありますが)

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 ひとりごとNo165 2021年10月18日・第192回駅前寄席プログラムより

 

噺の会じゅげむ「定例会」でありながら、今年に入って今回でやっと2度目の開催です。
「非常事態宣言」が解除されたとはいえ、まだまだコロナウィルス感染収束には道遠し。
そんな中、お越しくださいましたお客様方、そして「開催」の英断を下してくださった
高槻阪急百貨店関係者の皆様にに心から御礼申し上げます。 

さて、かなり遅くなりましたが、皆様にご報告です。当会メンバーきっての人気者だった
「高月亭太陽」くん。プロの落語家を目指すということで当会を退会。昨年4月より
笑福亭鶴二師匠の下に入門しました。我々の仲間からプロが誕生するということで我々
は大喜び、お客様方からも声援を受けてました。「笑福亭夢二」という立派な芸名を頂き、師匠のご指導のもと、順風満帆の修行の日々を送っているように、我々には思えました。しかし、プロ芸人独特の世界にはどうしてもなじめなかったようです。師匠と相談の上、1年間で「廃業」となりました。
 
残念ではありますが、たとえ1年間でもプロの落語家の修業生活を送ることができた、
その健闘はたたえたいと思います。この体験は、今後の彼の人生の中できっと役に立つ
ことでしょう。そして何より、粘り強く彼にご指導くださった鶴二師匠には本当に感謝です。改めて、プロの世界の厳しさを我々にも教えてくださったわけですから・・・。
 
お父様である高月亭すばるさんは、本人以上に悩まれたようです。ご自分がこの会で落語を続けるべきか・・・。でも、その心配はご無用。その答えは9月「高槻市民寄席」での「始末の極意」。この人らしい、見事なトリでした。

・・・太陽くん、どうやら元気でやってるようです・・・。

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 ひとりごとNo167 2022年4月17日・第194回駅前寄席プログラムより

 

○●●●○○●○●●○○

これは大相撲の星取表ではありません。一昨年の2月から「駅前寄席」が開催できた偶数月を○、できなかった偶数月を●、で表しました。ご覧の通り、新型コロナウィルスに翻弄され続け、本来の「偶数月は駅前寄席」とは程遠い開催実績となりました。しかも、30名ないし50名の入場制限付きで。感染予防のためやむを得ない事情とはいえ、ご迷惑をおかけしておりますお客様方に方に心からお詫び申し上げます。
 
今月は入場制限なしで開催となりました。ありがたいことです。(これはこの原稿を書かせてもらっている時点のことです。当日情勢が変わりましたら申し訳ありません。)どうかこのまま、通常開催が続きますように祈るばかりです。
 
話は変わりますが、最近の上方落語界の話題といえば女性落語家の「桂二葉(かつら・によう)」さん。昨年の「NHK新人落語大賞」で女性初の優勝者となって以来各メディアから取材が殺到。果ては「ニューヨークタイムズ」にまで記事が載る過熱ぶり。しかし、その話題の裏には、まだまだ「落語は女性には向いていない」という考えが根強く残っているように思います。
 
確かに、古典落語のネタは男性落語家が演じるのが前提となっています。登場人物は圧倒的に男性が多いです。また噺の中の女性の多くは「男目線の女性像」といえます。よって、現在活躍中の女性落語家は、古典落語の登場人物を女性に置き換えたり、女性が主人公の創作落語を演じるなど、生き残るための工夫をされています。
 
でも、二葉さんはストレートに古典落語を演じ、それが受け入れられて優勝されました。そして他の多くの女性落語家の方々も堂々と古典で勝負しています。おそらく、落語が女性に不向きというのは単なる思い込みだと言えます。女性落語家はなぜ活躍できるのか。機会があれば、またこの場で述べてみたいと思います。

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 ひとりごとNo168 2022年6月12日・第195回駅前寄席プログラムより

 

前回このコラムは「女性落語家はなぜ活躍できるのか」というところで終わりました。それについて、私は次の2つの要因があると考えました。

①寄席の楽屋は、一般社会よりも「男女平等化」が進んでいる。
 
こんな事を書くと「うそばっかり!寄席の世界は典型的な男社会やないか!」と思われる方もおられるでしょう。確かに落語家の世界は男社会。現在も人数的には男性が圧倒的に多いです。しかし、寄席の楽屋は徹底した「タテ社会」。「香盤(こうばん)」によって序列がきちんと決まっています。入門が一日でも早いものが先輩。実年齢も性別も関係なく先輩が「兄さん」「姉さん」となります。
 
また、寄席の楽屋には「楽屋番」がいます。内弟子修業中の若手が男女関係なく楽屋の下働きを担当します。言ってみれば、特別に男女平等に取り組んだわけはなく、徹底したタテ社会の中に女性差別が入り込む隙間がなかったといえるでしょう。一方一般社会ではお茶くみや職場の掃除などは女子社員の仕事となっているところが令和の世の中でもまだまだ多いと聞いています。
 
②女性落語家の方が向いている古典落語もある。
 
「厩火事」という噺は職業を持った女性が主人公。こういう古典落語も中にはあります。また「初天神」のような「男の子」が主人公のネタも女性の演者の方がハマるのではないかと思われます。なぜそう思えるのか? TVの「サザエさん」や「ドラえもん」などのアニメーションにおいて「カツオ」」「タラちゃん」「のび太君」など男の子の声は大抵女性の声優さんが担当してます。男の子の声質やしゃべり方が、どことなく成人女性と似通っているのでは、と思えるのです。

あくまで素人の所見ですが、今後も女性落語家の動きを注目してゆきたいです。

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 ひとりごとNo169 2022年8月21日・第196回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その1「此花千鳥亭」

本日は「駅前寄席」にお越しくださいまして誠にありがとうございます。今回からこのコラムでは大阪及びその近郊で、寄席演芸を楽しめる小屋を紹介してゆきます。皆様ご存じの「天満天神繁昌亭」のほかにも、結構、寄席小屋がありまして・・・
 
第1回目は「此花千鳥亭」。2019年1月にオープン。女性講談師で現在の上方講談界の事実上のリーダー・五代目旭堂小南陵さん自らの大工仕事によって建てられた異色の小屋です。コンセプトは「上方唯一の講談専門の寄席小屋」ではありますが、まだまだ絶対人数が少ない上方講談界。落語家や浪曲師にとっても貴重な小屋となっています。
 
本来の収容客数は50人ほど。ただ昨今の「コロナ禍」により、その半数の25名が現在の定員。で、今この小屋の一番の呼び物は「365日千鳥亭」。千鳥亭席亭の小南陵さんと講談界の気鋭旭堂南龍さんが基本的に毎日千鳥亭に通いつめ、「赤穂義士銘々伝」「太閤記」といった続き読みに取り組んでいます。10日単位で共演する落語家や浪曲師とともに毎日3席の演芸が楽しめます。朝11時から約1時間半で木戸銭1000円。
 
他にも午後2時から曜日ごとに1日3席の寄席が企画されるなど、結構稼働率が高いです。芸人さんにとっては結構使い勝手がよく観客にとっては見やすい理想的な空間となっています。皆様もぶらっと出かけてみてはいかがでしょうか。

「此花千鳥亭」 阪神なんば線千鳥橋駅徒歩約3分。
           此花住吉商店街内。

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 ひとりごとNo170 2022年10月16日・第197回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その2「動楽亭」

 西成区山王町 、桂ざこば師の実家跡に建てられたマンションの2階部分を寄席小屋に改装して2008年「動楽亭」が誕生。(繁昌亭の開設が2006年)。定員100名の小屋は「動楽亭昼席(毎月1日~10日は「米朝事務所」所属の噺家のみ、11日~20日はそれ以外の噺家も出演」をベースに若手ベテランを問わず落語勉強会が毎日のように開かれ「準定席」と呼ぶにふさわしい稼働率です。
 
管理運営は米朝事務所が行っていますが、席亭はあくまでざこば師。そのざこば師は江戸の噺家とも交流が深く、ごくたまに「動楽亭昼席」に江戸落語家が飛び入り出演することもあります。実は、先日亡くなられた六代目三遊亭円楽師もその一人。私の知る範囲で2回ほど出演されています。
 
円楽師はざこば師に「一文笛」の稽古をつけてもらいました。その江戸落語に変換された「一文笛」は円楽師の十八番となりました。人間国宝桂米朝師の名作を江戸落語ファンの間に広められたことこそ、六代目円楽師の一番の功績であると思っています。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 
話を「動楽亭」に戻します。客席は板の間に座椅子。繁昌亭よりも気軽に落語が楽しめます。大阪庶民の繁華街「新世界」のすぐ近く。寄席小屋の最も似合う土地柄と言えます。交通も至便。是非とも足をお運びくださいませ。

  「動楽亭」
   大阪メトロ「動物園前」一番出口すぐ。または、
   JR大阪環状線「新今宮」東出口徒歩3分。
   問い合わせ・米朝事務所06-6365-8281
    (平日10時~18時)

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 ひとりごとNo171 2022年12月18日・第198回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その3「心斎橋角座」

その昔「道頓堀角座」は「日本一の演芸場」と呼ばれていました。それは単に、1000人近い収容人数だけでなく、「かしまし娘」「宮川左近ショー」といった伝説の演芸スターがしのぎを削った上方演芸の象徴といえる劇場でした。
 
しかし、さまざまな紆余曲折があり、2008年に角座は閉館となります。かつて、上方文化の発信基地だった道頓堀が、単なる商店街になってしまいました。その後「DAIHATSU」がスポンサーとなって2018年に「心斎橋角座」が寄席小屋として復活しました。
 
収容人数は140人。「日本一の演芸場」の時代からみれば寂しい限りですが、じっくり演芸を楽しむにはちょうどいいスペースかも知れません。「定席」というわけにはいかないようですが、若手の芸人たちのライブなどが開かれています。
 
我々落語愛好家にとってありがたいのは、月に4日間ではありますが、「鰻谷寄席」という落語中心の寄席があることです。落語10席、色物3席で木戸銭1500円。松竹芸能所属の落語家限定ではありますが、結構実力者揃いでそれほど遜色ありません。これで木戸銭1500円。「繁昌亭」「動楽亭」の昼席よりも随分お得です。
 
一度足を運んでみてください。

     「心斎橋角座」
      大阪メトロ「心斎橋」下車徒歩3分。
     問い合わせ・松竹芸能06-6258-8085
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2022年も「駅前寄席」及び「噺の会じゅげむ」へのご支援、誠にありがとうございます。2023年も変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。 

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 ひとりごとNo172 2023年2月19日・第199回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その4「ツギハギ荘」

絵本作家長谷川義文・あおきひろえご夫妻のかつてのお住まいを、レンタルスペースとして改装されたのが2015年。築50年の何とも味わい深いその空間にて、絵本展示会やミニ演奏会など開かれてはいますが、ご夫妻が大の上方落語ファンであり(長谷川氏は落語会のチラシのイラストも手がけておられます)、「天満天神繁昌亭」の近所という土地柄から、その開催イベントのほとんどが落語会。事実上の「寄席小屋」です。
 
収容人員は30名。そのコンパクトな空間がかえって落語会に向いてると判断した噺家が多く利用されています。主に開催されているのは若手の勉強会ですが、「桂九雀」「笑福亭喬介」といった実力派が毎月定例会を開催されているのも興味深いです。私も何度か通いましたが、高座と客席との一体感は一種独特なものがあります。定員の関係から事前予約が必要ですが、ぜひ一度足を運んでみてください。

    「ツギハギ荘」
     JR東西線「大阪天満宮」7番出口から南へ徒歩8分
     詳細はそれぞれの会の主催者にお問い合わせください。

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 おかげさまで次回の駅前寄席(4月30日)は「200回記念」となります。多くの皆様のご支援に、心から感謝申し上げます。

 次回このコラムは「特別寄稿」となりますので「上方寄席めぐり」一旦お休みします。

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 ひとりごとNo173 2023年4月30日・第200回駅前寄席プログラムより

 

おかげさまをもちまして「駅前寄席」は200回目を迎えることとなりました。これもひとえに寄席に足を運んで下さるお客さま方のご支援の賜物です。この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。

1992年の第1回から第100回までは「グリーンプラザ」での開催。2005年の第101回からは「高槻西武百貨店」そして2019年第186回からは「高槻阪急百貨店」(名称変更)を本拠地にして今回まで続けて参りました。
 
まさに「山あり谷あり」の200回ですが、一番のピンチはやはり「コロナ禍」ですね。感染状況をみながら「中止」あるいは「入場者制限」。やむを得ない措置とはいえ楽しみにして下っている皆様のことを思うと断腸の思いでした。現在、感染対策を施しながらも、通常開催の上で200回目を迎えることができました。ありがたいことです。 
 
本日の「200回記念」目玉は2つ。中入り後、当会の看板・歩鱈小酔さんの「猫の忠信」。素人の会はもとより、プロでも滅多にかからない屈指の大ネタをたっぷりご堪能あれ。そしておなじみのメンバーによる「大喜利」。笑いの中にも、今後、「駅前寄席」をさらに発展させてゆこうという決意表明になればいいな、と思っています。
 
ラストは「駅前寄席」の更なる発展と、お客様方のご健康ご幸福を祈念しまして「大阪締め」でお開き。皆様、お手を拝借!

   打ちまひょ!  「チョンチョン」
   も一つせ!   「チョンチョン」
   祝うて三度   「チョチョン チョン」

今後ともよろしくお願いいたします。 

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 ひとりごとNo174 2023年6月18日・第201回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その5「神戸新開地喜楽館」

「天満天神?昌亭」に次ぐ2軒目の「上方落語の定席」として誕生してはや5年。神戸きっての歓楽街・新開地の街並みにすっかり馴染んできたようです。「繁昌亭」と「喜楽館」。同じ「定席」ながら、その運営方針はかなり違うようです。たとえば「夜席」。繁昌亭は協会員でないと借りることができませんが、喜楽館は落語以外の演芸でもOK。そして江戸の落語家でもOK。よって、夜席のプログラムはバラエティに富んでいます。かつて「新開地」が上方文化の発信基地だった、その伝統を受け継ごうということでしょう。
 
そして「昼席」。その企画を見ると、私の印象では喜楽館の方が、攻めているように思います。先月8日から14日まで「新開地音楽祭」とのコラボレーションということで、昼席トリの出番の後、落語家バンド「ホーンなあほな」によるジャズ演奏を披露。演奏は至って真剣。噺家さんたちの別の顔が垣間見えました。
 
それともう一つ「昼席」におけるユニークな制度が「開口0番」。楽屋番の若手が観客の前で一番太鼓。これは繁昌亭でも同じですが、喜楽館では一番太鼓を叩いた噺家がその直後に、前説を兼ねて一席披露します。開演前ではありますが、客の前で落語ができる、貴重なひと時です。この制度、繁昌亭でも導入してほしいですね。

高槻からだと、阪急電車で新開地まで約1時間。一度のぞきに行ってみてください。

   「神戸新開地喜楽館」
    神戸高速鉄道(阪急・阪神と直通)「新開地」下車すぐ
    問い合わせ:078-335-7088 



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 ひとりごとNo175 2023年8月20日・第202回駅前寄席プログラムより

 

  シリーズ「上方寄席めぐり」 その6 「落語喫茶・古々粋亭(ここいきてい)」

残暑お見舞い申し上げます。記録的猛暑の中、「駅前寄席」にお越しくだいまして、誠にありがとうございます
 
「鹿政談」・「猿後家」など奈良を舞台にした落語は結構多いのですが、奈良市内には落語を気軽に楽しめるスペースがありませんでした。そんな奈良に2016年誕生したのが、「落語喫茶・古々粋亭(ここいきてい)」。
 
桂枝雀師がきっかけで、落語の魅力にはまり込んだご主人(60歳)が、一念発起して高座つきの喫茶店を開店。現在では、ほぼ毎日何らかの落語会が開かれている立派な「寄席小屋」です。魅力は客席と高座との近さ。生の落語をコーヒー片手に気軽に楽しめます。呼び物は毎週日曜の朝10時開演「おはよう日曜らくご」。「笑いのモーニングサービス」と称して天然酵母のトーストとコーヒーがついてます。(参加されるのは、当会定例会のない日にお願いします・・・)
 
高槻からだと、新快速で京都、そこから近鉄京都線で近鉄奈良まで計約1時間。奈良観光のついでにいかがでしょう・・・

「落語喫茶・古々粋亭(ここいきてい)」
近鉄奈良線「近鉄奈良下車徒歩約1分
問い合わせ:0742-94-7707



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 ひとりごとNo176 2023年10月15日・第203回駅前寄席プログラムより

 

    シリーズ「上方寄席めぐり」 その7 「梅田・太融寺」

「高槻阪急百貨店」は、10月6日「高槻阪急スクエア」に名称変更のうえ、リニューアルオープンしました。勝手ながら、「百貨店」の文字が消えることに一抹の寂しさを感じますが、今後は、「ファミリー志向」の商業スペースを目指すとのこと。我々「駅前寄席」も幅広いお客様方に愛される寄席として精進して参ります。
 
さて、今日の本題。リニューアルオープンで思い出すのが、「梅田・太融寺」です。私が「噺の会じゅげむ」に入会する前、ひたすら寄席通いをしていた頃、上方落語の聖地といえば「太融寺」でした。座布団を敷き詰めた100畳の大広間は、落語ファンの夢の空間でした。多くの実力派落語家が腕を磨いてきました。特に「吉朝学習塾」(桂吉朝師の勉強会)には、その大広間に入りきれない入場者が集まったものです。そんな太融寺の大広間が2006年に改装のため一時閉鎖となりました。そして翌年にリニューアルオープン。なんと「大広間」から「ホール」に生まれ変わりました。300名収容の椅子席。お寺のイメージではなくなりました。若手の勉強会には広すぎるということで、寄席としての稼働率は減りましたが、現在は、「桂千朝」「桂南天」などの実力派ベテランが、しのぎを削っています。交通は至って便利。一度訪れてみてください。

  太融寺
   JR「大阪」もしくは、阪急・阪神・大阪メトロ「梅田」下車
   地下街「ホワイティうめだ」経由徒歩約10分
   「千朝落語を聞く会」に関するお問い合わせは、
   米朝事務所 06-6365-8281 (平日10時~18時)
 (落語会に関するお問い合わせは、お寺へはご遠慮ください)



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 ひとりごとNo177 2023年12月17日・第204回駅前寄席プログラムより

 

    シリーズ「上方寄席めぐり」 その8「尼崎市・道心寺」

今年も「駅前寄席」ならびに「噺の会じゅげむ」をご贔屓下さいまして誠にありがとうございます。来年以降も、お客様と演者が共に楽しめる空間を追い求めて参ります。変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
 
さて今日の本題。露の団姫(まるこ)さんといえば、落語家と僧侶の「二刀流」で、
寄席はもとよりメディアでも活躍中。著書も多く、上方で最も忙しい噺家といえます。
 
そんな団姫さんがご自宅のある尼崎市に「道心寺」というお寺を建立されました。
紆余曲折を経て令和3年7月開山にこぎつけた道心寺は、これもまたご本尊と寄席の「二刀流」です。お寺で落語会が開かれること自体は珍しい事でも何でもないのですが、道心寺の場合、ご本尊の90度左側に檜舞台と高座が。まさに「寄席仕様」です。ここでは毎月3のつく日に「縁日寄席」が開かれます。11時開演で原則3席。その1時間前には、自由参加ではありますが、朝のお勤めと団姫住職による法話があります。かつて、京都・誓願寺の安楽庵策伝上人の法話が落語の原点と言われています。

団姫住職の法話は落語の先祖返りとも言えます。

新年1月3日・4日には、「新春寄席」が開催されます。初詣代わりにいかがでしょう。

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 道心寺
  阪神「尼崎」下車・北へ徒歩約10分
  縁日寄席に関するお問い合わせならびに予約
  道心寺06-4950-0452(平日10時~18時)



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 ひとりごとNo178 2024年2月18日・第205回駅前寄席プログラムより

 

    シリーズ「上方寄席めぐり」 その9「京都伏見・笑亭(わらてい)」

  ♪ ヤレ~ 伏見中書島ナ 泥島なれどヨ~ なぜに撞木町ゃナ 藪の中ヨ
  ヤレサヨイヨーィ~

上方落語「東の旅」の最終章「三十石夢の通い路」の舞台、いわば上方落語の聖地に、昨年11月に出来た新しい寄席小屋「京都伏見・笑亭」。
 
落語愛好家の席亭が脱サラし、京阪「中書島」駅付近の居酒屋2階を改装。現在は、ほぼ毎日、若手噺家の落語会が楽しめます。昼は2時から夜は6時半から、原則1人が2席ずつ。その魅力は「演者との近さ」。至近距離で落語が楽しめます。
 
昼席と夜席との空き時間は、伏見中書島の町並みを散策しましょう。ここは、上方落語の聖地のほか、「坂本龍馬」・「大手酒造会社の酒蔵」など観光スポットには事欠きません。
 
京阪沿線ゆえ、高槻からはちょっと不便かも。ですが、観光がてら訪れて見て下さい。

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「京都伏見・笑亭」
 京阪「中書島」下車・北へ徒歩約2分
お問い合わせ、ならびに予約
TEL 090-4297-9700



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 ひとりごとNo179 2024年4月21日・第206回駅前寄席プログラムより

 

    シリーズ「上方寄席めぐり」    番外編 「田辺寄席」

ほぼ半世紀にわたって、地域寄席の老舗として上方落語を支えてきた「田辺寄席」。昨年3月の「第910回公演」をもってその幕を下ろしました。多くの上方落語愛好家は、田辺寄席は永遠に続くものと思っていたでしょう。私もそのひとりです。
 
直接の原因は「コロナ禍」によって「休会」が常態化してしまったことでしょう。その他いろいろ要因はあります。その中でも大きいのが「世話人会の高齢化」です。「田辺寄席」は常設の小屋があるわけではなく「桃ヶ池公園市民活動センター」という公共の施設を借り上げ、当日朝に高座を組み会場を設営。会が終わればその日のうちに撤収。これは本日開催の「駅前寄席」とほとんど同じ。違うのは我々は自分たちが落語を演じる高座を組み会場を設営しますが、「田辺寄席世話人会」はプロの噺家のために行う全くのボランディアです。高齢化で体力が続かなくなっては存続は難しいでしょう。
 
我々は自分たちのための会場設営ではありますが、「高齢化」であることは紛れもない事実です。今のままでは我々も「田辺寄席」と同じ運命をたどることは避けられません。 
 
これだけ多くの皆様に愛され続けている「駅前寄席」をはじめ「噺の会じゅげむ」の定例会。できることなら1年でも長く存続させたい。そして次の世代へバトンタッチすることを切に願っています。
「噺の会じゅげむ」は新しいメンバーを募集中です。興味のある方は当会メンバーにお気軽にお声がけ下さい。

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 シリーズ「上方寄席めぐり」は、今回でひとまず終了とします。
次回からは、シリーズ「令和上方落語家列伝」をお送りする予定です。

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 ひとりごとNo180 2024年6月16日・第207回駅前寄席プログラムより

 

   シリーズ「令和上方落語家列伝」   その1「笑福亭銀瓶(ぎんぺい)」

1988年、笑福亭鶴瓶師に入門。当時の鶴瓶師はTVで見ない日はないほどの売れっ子タレントで、落語はほとんどされていませんでした。よって鶴瓶師のお弟子さんは皆、落語を知らずに入門されています。もちろん、本日紹介する銀瓶さんもその一人。いわゆる「TVタレント」になるための入門のつもりでした。
 
弟子修業中、鶴瓶師から「この本、読んでみ。」それは桂米朝師著「落語と私」。「これを読めば、落語の面白さがわかってくる。」そして鶴瓶師の書斎には六代目松鶴師や米朝師、その他多くの名人のCDやカセットテープがずらり。「聴きたかっら勝手に聴いてええんやで。」
 
やがて鶴瓶師から「大安売り」の稽古をつけてもらいます。実は誰よりも落語が好きな鶴瓶師。そんな鶴瓶師の薫陶をうけ、銀瓶さんは落語家としてめきめき頭角を現します。
 
現在は、「上方落語界の活性化」についても考える日々。話題になった「上方落語協会会長選挙立候補宣言」も、そんな想いから・・・。会長にこそなれませんでしたが、現在は理事。それ相応に出来ることがあるように思います。
 
在日韓国人でもある彼は、韓国語落語にも挑戦。音楽的センスも抜群で、人呼んで「上方落語界のやしきたかじん」。歌はもちろん、ピアノ演奏という意外な特技も。
 
今後も笑福亭銀瓶さん。要注目です。
 
なお、銀瓶さんについてもっとお知りになりたい方は、ご本人が書かれた本「師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉」西日本出版社をお読みください。

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 ひとりごとNo181 2024年8月18日・第208回駅前寄席プログラムより

 

   シリーズ「令和上方落語家列伝」   その2「四代目 桂米紫(べいし)」

1994年、桂都丸(現四代目桂塩鯛)師に入門。入門時の芸名は桂とんぼ。元々は映画ファンで、映画監督志望でした。その勉強の一環で聴いた都丸師の高座でいっぺんに落語の魅力にはまりました。なるほど、落語は監督・俳優その他スタッフすべて一人で行います。「落語は一人映画」ともいえます。
 
1997年、名前の表記を「都んぼ」に改めます。その2年後「NHK新人演芸大賞落語部門」受賞、落語ファンの注目の的となります。2010年、師匠の塩鯛襲名と同時に四代目桂米紫を襲名します。芸風は大師匠にあたる桂ざこば師に近いように思います。ご自身も「ざこばイズムの継承者」と仰っています。
 
米紫さんの落語には「一本気な不器用者」が多く出てきます。面白いだけでなくどこ
か人々の共感を呼ぶ深い描写に、ファンも結構多いようです。
 
その一方で、YouTube 配信もされています。その多くは飼い猫「めんちぼうる」と戯れる様子、それが思わぬ反響を呼び、めんちぼうるファン急増。米朝事務所がめんちぼうるグッズを売り出すほど。いまや飼い主をしのぐ人気者です。
 
一方、米朝事務所Chで毎週月曜日に配信される「米紫・吉の丞㊙ワールドニュース」。ワールドニュースとはいうものの、中身は「楽屋ニュース」。この中での桂吉の丞さんとの軽妙なやりとりが反響を呼んでいます。

というわけで、次回は「桂吉の丞」さんを取り上げる予定です。

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 ひとりごとNo182 2024年10月20日・第209回駅前寄席プログラムより

 

   シリーズ「令和上方落語家列伝」   その3「桂吉の丞(きちのじょう)」

2002年桂吉朝師に入門。兄弟子6人(あさ吉・吉弥・よね吉・しん吉・吉坊・佐ん吉)がいわゆる「落語マニア」だったのに対し、吉の丞さんは「落語のらの字も知らない」状態で入門。たった一度聴いた吉朝師の高座に衝撃を受けて、その場で入門志願。吉朝師は、初めのうちは「お前何しに来たんや」とあきれてましたが、「こういう奴がかえって面白くなるかも」と入門を許されました。
 
初めは「上下をふる」などの落語の基本的テクニックをマスターするのに3ヶ月かかりました。その粘り強い指導の甲斐もあり、師匠の予言どおり兄弟子たちとはひと味違う面白さを身につけました。
 
残念ながら2005年に吉朝師は他界。その後は大師匠米朝師の預かり弟子となりました。元々吉朝一門は米朝師宅での住み込み修行を3年間。変則内弟子制度をとっていました。昨今の弟子修行はほとんど「通い弟子」。吉の丞さんは「最後の内弟子」とも言えます。

2015年に「第1回上方落語若手噺家グランプリ」 を受賞。多くの落語愛好家から注目をされる存在となって現在に至ります。吉朝一門ならではの基本に忠実ながらシュールな面白さ。最近吉朝師の親友、中島らも作の創作落語にも挑戦されています。
 
桂吉の丞さん。まさに師匠の予言通り!

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                                                  ◎ くじらいだー@の「わがまま勝手なことばかり」