眞琴家笑吉の畿内歴史探訪
<高槻編・・私の住んでいる高槻市の中からいくつかの史跡を紹介します。>
前回お話しした様に高槻は、戦国時代末期にいたキリシタン大名であった高山右近が治めた
時期、キリシタンの城下町として発展しました。
高山右近がキリシタンとなったのは、元の主人和田惟政が、キリシタン信徒であり高山右近
の父、高山飛騨守もキリシタン信徒(洗礼名ダリオ)であり、その影響を受けて自らも宣教
師ロレンソを招いて洗礼したのです。(洗礼名ジュスト)
後に和田氏を滅ぼして高槻城主となり、約13年間高槻を治めた間にキリスト教の布教が最
も盛んになり、キリシタンの町として最盛期を迎えていました。
天正二年には、高槻に初めての教会が布教活動の為に建てられました。
それは、現在高槻商工会議所前に「高山右近天主教会堂跡」として石碑が建っており、また
右近のキリスト教への思いは、高槻現代劇場北側にある「高槻カトリック教会(高山右近記
念聖堂)」に引き継がれています。
なお、教会の敷地内には、高山右近の大理石像があります。
高山右近は、豊臣秀吉が政権を握ると明石へ転封され、徳川家康のキリシタン禁止令により
フィリピンのマニラへ追放されましたが、その名前と足跡はこの様にして高槻の象徴として
今も伝わっています。
一度高槻に来られる機会があれば是非よって見てください。
終わり
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