眞琴家笑吉の畿内歴史探訪
<高槻編・・私の住んでいる高槻市の中からいくつかの史跡を紹介します。>
高槻は、昔は「摂津国島上郡高槻」と呼ばれ、京・大阪との中間に位置し、西国街道近くの城下町
として発展してきました。
高槻には、昔からいくつの城がありましたが、江戸時代以降明治維新まで藩政の中心となっていた
のが高槻城です。
その創築は、平安時代にまで遡りますが、みなさんが高槻と言って知っておられるのは戦国時代末
期にいたキリシタン大名であった高山右近だと思います。
高山右近は、元々和田惟政の家臣でありましたが後に和田氏を滅ぼして高槻城主となりました。
その後約13年間高槻を治め、キリシタンの町として最盛期を迎えていましたが、豊臣秀吉が政権
を握ると明石へ転封され、徳川家康のキリシタン禁止令により、フィリピンのマニラへ追放されま
した。
高山右近が去った後は、豊臣・徳川の譜代大名が入れ替わり入封しましたが、四代将軍家綱の時代
に永井直清が入封した後は、明治維新迄13代にわたり永井氏が、高槻を治めました。
高槻城の跡には現在島上高校や高槻第一中学校などがあり、中学校の南側に城址公園と資料館が整
備されてあるのみです。
一度高槻に来られる機会があれば是非よって見てください。
終わり
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