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今回は、『奈良の落語』にまつわる場所を
旅してきました。
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奈良の名所旧跡がずらずらっと出てくる落語といえば、「猿後家」ですね。以下は、さる大店のお家はん(後家さん)が、「わたし奈良へも行ったことが無いの」と言ったので、この店に出入りしている太兵衛さんが自慢げにしゃべるセリフの一節です。
「さよでございますか。そらお行きあそばせ、閑静なとこでございましてなぁ、ざっと説明を申し上げますとな。奈良の駅、降りましたところが三条通と申しまして、角細工、奈良漬、アラレ酒と土産物を売ってる店がズラ〜ッと並んでございます。これをしばらく参りますと、印番屋に小刀屋という二軒の宿屋がございましてな、こら奈良一番の大きな宿屋でございます。これをタラタラッと上がったとこにありますのが、西国三十三か所第九番の札所、南円堂でございます。『普陀落や南の岸に堂建てて、今も栄えん北の藤波』とか申しまして、藤原冬嗣が建立したお堂やそうでございます。この一帯が興福寺の境内になっておりましてなぁ、これを北へ参りますと東大寺。これが奈良一番に大きなお寺でございまして、南大門という仁王門がございます。東にあるのが快慶の作、西にあるのが運慶の作。正面が大仏殿でございまして、大仏は身の丈、五丈三尺五寸あって、鼻の穴を傘をさして通れるんやそうでございます。これを裏手へくるりっと回りますと、二月堂に三月堂。若狭の呼び水、良弁杉。二月堂には十一面観世音がお祀りしてございましてな、肌に温みのあるところから一名、肉身の像とも言うんやそうでございます。隣にあるのが手向山八幡。『この度は幣(ぬさ)も取り敢えず手向山、紅葉の錦、神のまにまに』とか申しまして、秋になるとそら紅葉が美しゅうございます。これをズーと行きますと山がございまして、三笠山。こらまた、絨毯を敷き詰めたように美しゅうございまして、これをタラタラッと下って参りますと春日神社。ここには灯篭の数がぎょうさんにございまして、灯篭の数を読んだ者は長者になるんやそうでございますが、未だに読んだもんも無ければ、長者になったもんも無いんやそうでございますなぁ。走り元の大黒、白藤の滝、これをちょっと参りますと池がございまして、のの字形になってございまして、魚半分水半分、龍宮まで届くという「猿沢の池」でございます。隣にあるのが絹掛け柳に采女(うねめ)の宮・・・」
と、ここまで一気にしゃべったところで、禁句の『猿』を言ったがためにしくじります。
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お寺のような造りのJR奈良駅は、町のシンボル
的な建物でしたが、駅改装(高架工事)のため現
在は使われておりません。
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そういうことで、今は隣に新しい駅舎が建ってま
す。でも、旧駅舎の建物は残すそうです。
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奈良駅からすぐ三条通が始まります。両側にお店
が並んでいますが、昔ながらの筆屋さんがあるか
と思えば、現代風のゲームセンターがあったりし
て、時代の流れを感じます。噺に出てくる「印番
屋」と「小刀屋」の宿屋は今はもうありません。
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南円堂。セリフのとおり西国三十三か所第九番の
札所で、今も賑わっていました。
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法相宗の大本山「興福寺」の境内。南都七大寺の
ひとつやそうです。境内はかなり広いです。右が
五重塔。左が東金堂。
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東大寺南大門。鎌倉時代に再興された建物で、
仁王様が番をするいわゆる仁王門です。
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右が快慶の作で左が運慶の作・・・
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大仏殿です。大仏と大仏殿はどっちが大きいか?
というクイズ。大仏殿の中に大仏が入っているの
で、大仏殿が大きいはずですが、それではクイズ
になりません。正解は大仏さんの方が大きいんで
す。なぜなら座ったはるさかいに、立ち上がった
ら屋根突き抜けるやろと・・・
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大仏様。
とにかくデカいです。
「大仏は 見るものにして 尊ばず」
と言われるくらいで、皆、感心ばかりで、拝むの
を忘れています。
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二月堂。
3月(旧暦で2月)に行われる春の風物「お水取
り」で有名なところですね。
天平勝宝4年(752年)に創建。
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三月堂。
東大寺法華堂の通称で、正式名は検索(けんじゃ
く)堂と言います。天平5年(733年)に創建
されました。
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若狭の呼び水。
「お水取り」に使う水をここの井戸から汲むそう
です。若狭井(わかさい)とも言います。
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良弁杉。
有名な杉で樹齢600年やったそうですが、
昭和31年の台風で倒れてしまい、今はその杉を
を接ぎ木して同じ場所に立ってます。
いわば、正真正銘の二代目ですね。
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手向山八幡。
紅葉の名所やそうですが、この時期はもうほとん
ど散っていました。
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三笠山。
なだらかな山で鹿ものんびりと草を食べているよ
うです。標高342メートル。三段になっている
ので三笠山やそうです。通称名の若草山の方が分
かりやすいかも知れません。山焼きでも有名です
ね。
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春日神社。
とにかく、灯籠の数は半端じゃありません。
噺の中にも「灯篭の数を読んだ者は長者になる」
てなことが言われてますが、とても数えられたも
のではありません。次々と新しいものも寄進され
ているようです。
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白藤の滝。
ちょっと分かりにくい所にあります。水がチョロ
チョロ流れているだけで、滝とは言い難い感じで
した。あと、噺に出てくる「走り元の大黒」は発
見に到りませんでした。「夫婦大黒」というのは
ありましたが・・・
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そして、いよいよ落語「猿後家」のキーポイント
「猿沢の池」です。そんなに大きくはありません
が、風情はあります。行ったのが12月なので、
本当に「寒そうな池!?」でした。
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絹掛け柳。
時の帝に成らぬ恋をした采女(うねめ=女官)が
思い余って猿沢の池に身投げした時に、衣をかけ
た柳やそうです。
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采女(うねめ)の宮。
身投げした女官を祭るために池の畔に面して建て
た祠(ほこら)が、池を見るのは辛いということ
か、一夜にして池に背を向けたという逸話があり
ます。
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その他に、奈良が舞台になったり、奈良の地名が出てくる落語には、「鹿政談」や「奈良名所」や「東の旅」などがあります。「奈良名所」は「鹿政談」のマクラなんかによく使われますが、その中の一節にこんなのがあります。
奈良の名物は『大仏に、鹿の巻筆、あられ酒、春日灯篭、町の早起』と言います。何で『町の早起き』が名物かと言いますと、奈良の鹿は神鹿(春日大社のお遣い)だったので、殺せば『石子詰(いしこづめ)』という死罪になったそうです。昔、三作という少年が手習をしておりました。その時分の紙は高価なので、清書に使う白紙を一枚大事に取っといたんですが、鹿が来てこの白紙を食べてしまった。三作が怒って『何をする』と文鎮を掴んで投げ付けると、当たり所が悪うて鹿が死んでしまいました。そこで、鹿の死骸と生きてる三作の体をグルグル巻きにして、十三尺掘った穴んなかへ落とし込んで、上から石やら土やらで生き埋めにしてしもうた。奈良公園の辺りをウロウロしてますと『十三鐘』と書いた棒杭が目に入ることがあるかと思います。あすこに『三作の墓』というのが今でも残っとります。そういうことで、昔は鹿を大事にしたんですな、鹿殺したてなことになるとえらいことになる。とにかく、朝起きて表に鹿が死んでたりしたら『こらえらいことや、どうしょ〜? 隣まだ寝てるわ、隣へ持って行け隣りへ』隣りの家が今度『あッ、鹿が死んでる……、向かいまだ寝てる、向かいへ持って行け』ウカウカ朝寝してたら、どんな目に遭うや分からん。それで『町の早起』が名物になったという・・・
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十三鐘。
三条通を猿沢の池から少し東に行った道路沿いの
右側に「菩提院」があり、その前に「十三鐘」と
「三作石子詰之旧跡」と書いた古びた棒杭が立っ
ています。落語好きの方以外は気にもとめないよ
うな所だと思います。
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三作の墓。
「菩提院」の奥に石の亀の背に石塔が建っていま
す。これが「三作の墓」です。13歳という若さ
で死罪になったので来世は長生きの亀に生まれ変
わって欲しいという母の願いが込められているそ
うです。
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そして、落語「鹿政談」の主役? の鹿は、奈良公園付近の到るところに出没して、観光客
に餌をねだっています。「鹿せんべい」欲しさにお辞儀をする鹿がたくさんいるのには驚き
ました。この「鹿政談」は、誤って鹿を殺してしまった正直者の豆腐屋の六兵衛さんが、町
奉行の曲淵甲斐守(まがりぶち・かいのかみ)の機転で無罪になるという噺です。
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町奉行所があった場所は、現在、奈良女子大学に
なっていました。大学の方にお聞きしたのですが
町奉行所の跡らしきものは何もないそうです。
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花札の図柄「鹿にモミジ」です。
(モミジはほとんど枯れていますが・・・)
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奈良の名物? かの吉永小百合さんも高らかに
歌っていた「鹿のフン」です。鹿の数も多いだけ
に至るところに転がっています。
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そして、お土産物のひとつ「御神鹿のフン」!?
中身はピーナツチョコなんですが、よく似ている
だけに食べるのは、ちょっと微妙・・・
(でも、おいしかったですよ)
[2007.12.12]
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