七の扉(歴史)
三菱の由来 (2006.4.1)
「三菱」のマークは、何処から来たのでしょうか? 答えは山内一豊です。 え!何のこと?
今年の大河ドラマ「功名が辻」の主人公、山内一豊の家紋は三つ葉柏ですね、
これはドラマでも言ってましたが、山内家の先祖が、丹波にて強敵と一戦した時、
指物を打ち折り、柏の枝を指物にした所勝利し、その時柏の枝を見ると、葉三枚のこっていた。
これをもって、三つ葉柏を家紋と定めたとあるが、さてこのドラマ、信長は本能寺の変で死に、
その後秀吉の天下となるが、そのおり、山内一豊は、今の愛知県の掛川に城持大名となる。
秀吉は家康対策として、東海道に子飼の大名を配置するが、秀吉の死後、関が原の戦いの折、
これらの大名は、すべて東軍家康に味方する事になる。
その功により、山内一豊は土佐22万石(高知県)を任される。ところがここは、西軍に味方し敗れた
長宗我部氏の領地であり、山内家は進駐軍として治めなければならず、大変であった。
そこで、自分達(掛川衆)は上士とし、元々の土佐の武士を郷士として採用し、上士と郷士との間に
大きな差別をもって治めた。それが原動力となり(それがすべてではないが)幕末には、
倒幕運動が盛んになり、薩摩、長州と共に、明治維新の原動力となる。
その時の有名な郷士に坂本竜馬がいるが、この人は海援隊を興した。
これは平和時には海運業を営み、戦時には海からの応援をした。
さて、竜馬の死後、同じ土佐郷士の岩崎弥太郎が、この海運業の方だけを引き継ぎ、
山内家をスポンサーに明治になってから、三菱商会を興し成功する。
その際、山内家の家紋三つ葉柏を簡素化し、菱形を三つならべた「三菱」のマークを作った。
つまり、「三菱」のマークの基は、山内一豊でした。
ちょっとした一口メモですが、歴史を勉強すると、色々面白い事が分かりますよ。

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